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5年以上同棲している方と入籍して

 5年以上同棲している方とこの度入籍をした。両親に挨拶に行き、婚姻届を記入し、昨日提出した。入籍するのは覚えやすいから1月23日。いつものように朝寝坊して、東陽町で油そばを二人で食べる。食べる間は無言。これくらい長い間一緒にいると、不思議と食べ終わるタイミングが全く同時。市役所は日曜で休みなので暗かった。どこに行けばいいかわからずうろうろしていると、奥のほうで、おじさんが小さな窓口にこじんまり座っている。「婚姻届ですか?」と聞かれ私がおずおずと「はい」と答える。書類の不備を直し(こういう書類を間違いなく記入するのはやっぱりそうとうむずかしい)、「確かに受理しました。おめでとうございます!」とおじさん。私たちは「はあ」と気のない返事をする。市役所を出るといつも通りの街の風景。「夫婦になったね」と旦那さんが言った。案外あっさり終わってしまった気がした。私たちはその後物件探しに出かけた。
 入籍から一日経って、旦那さんにご飯を作るのも、旦那さんが朝から晩までパソコンに向かっているのも、何も変わらない。苗字を変えるために一日有給休暇をとるくらい。でも、入籍はやっぱりうれしい。それは、愛が変わらないように思えるから、とかではなく、子供がクリスマスを楽しみにするみたいに、なんとなくうれしいのだ。
 入籍しても何も変わらないことがわかっていたからこそ、今までどっちでもいいねとか夫婦別姓がいいよねとか避けてきたけれど、入籍しないとわからないこともある。入籍はやっぱり社会的保証という面は否定できなくて、ゆえに両親も親戚も友人も祝ってくれる。大人として一緒にいる責任を果たす一つの方法にいまだなっていることは否定できない(そういう戸籍とか家父長制とかまじクソだよねという意見も理解できるけれども)。みんなが背中を押してくれて、ひとつ自分の属性が増える、自分のなすべきことができる、そういうれしさがあるのだと思う。
 そして、不思議と人のために生きていこうという気持ちになる。思春期というのは自分の精神との命がけの戦いだけれども、その時期を抜けて、自分ではなく人の魂のために生きていこうという気になる。
 結婚したからといってなにか偉くなったわけでもないし、突然大人になるわけでもない。蔦屋書店で売っている「十年メモ」を買おうと思うのだが、来年、再来年、五年後の結婚記念日がどうなっているかなんて怖くて想像できない。永遠はどこにもなくて、日々少しずつ移ろってゆく日常があるだけだ。ただ旦那さんと毎日を過ごすことが大切なのだと思う。大島弓子とサバの、「私の永遠ではない 限りある日の クレイジー・ラブストーリー またあした」、まさにあれだ。

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