わたしは好きな女の子に憧れている童貞みたいな気持ちで世界に向きあっている
二十四歳にもなって、自分に自信がない。
綺麗じゃないと思う。頭もよくないと思う。仕事もできないと思う。
なぜ、世の中の大人はみんなそんなに偉そうなのかがわからない。きっとお金と権力があれば自信がつくのだろう。
勉強して成果を出した。仕事で叱られることもあれば褒められることもある。綺麗だと言われ、新宿や渋谷を歩くと男が声をかけてくる。好きなことを仕事にして、好きな人と暮らして、世界の幸せを手にしている。それでも自分に自信がない。何を言われても満たされない。世界中のすべてがくだらなく思える鬱と、世界のすべてが希望に見える躁を繰り返して生きていて、鬱の時間のほうが長い。
一度うしなわれた尊厳は取り戻せない、ということだと思う。
子供の時のつらい経験(それは主観的に「つらい」経験だ)、それはどんな大人になっても取り返しがつかない。性の問題は特にわかりやすい。女性は、中高生の時に痴漢にあったことを思い出してほしい。その時は、「あー最悪だな、でも我慢してればもう次の駅だし、騒ぎ立てるのも面倒だな」と思っているけれど、心の奥ではそのことを深く恨んでいると思う。「なんとも思っていない」心の空洞みたいなところに怨念がある。レイプされたら死ぬまで殺してやりたいほど恨むと思う。それは、その先の人生で誰とどんなセックスをしようともう取り返しがつかない。
「わたしには権利がない」とわたしはよく思う。「わたしには食べる権利がない」と思うから食べなくなるし、「わたしには眠る権利がない」と思うから眠らなくなる。
どうしたら自分の尊厳を認められるのか。答えはまだ見つからない。希望を無理に見出そうとも思わない。
ただ、そんな欠落の感情が満たされることがある。先輩と一緒に煙草を吸って会話したとき。良い映画を観たとき。彼氏と語り合うとき。音楽に感動するとき。人の瞳の深さに気づくとき。
欠落を満たすものは美しい。それはさりげない優しさだったり、正直さだったり、本質的な感情の結晶であったりする。どんなに絶望しようとも、美しさだけは変わらない。わたしは好きな女の子に憧れている自信のない童貞みたいな気持ちで世界に向きあっている。僕は世界に恋をしているのだと言った詩人はやはり偉大だと思う。
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