どんな人間もみんなひとりだ


 たったひとりでも、自分のことを正直に話せる人がいたらよかったと、ずっと思っている。
 旦那さんは、とても大切だ。私の一番の財産だ。だからこそ、自分のトラウマとか闇は見せたくない。
 大学生の頃、仲の良い男の子がいた。彼は私に対していつも敬語で話した。よくお茶をしたり、夜中ラインしたり、通話したりしてた。彼の優しさとさらさらの髪が好きだった。彼は、私の暗部を正直に話せる人だった。でも、ある夜、一緒に桜をみて、その帰り、私が「死にたい」と言うと、「僕はあなたのことが好きなんです。だから、死ぬなんて言わないでください」と言われた。その後も色々あったけど、その瞬間、彼は友達ではなくなってしまった。あの夜の桜は本当に美しかった。今では、彼がどうしているかは全く知らない。私のことなんか忘れて元気でいてくれたらいいと思う。
 そして、異性に正直な気持ちを話した場合、彼らは大抵性行為を求めるので、私にはその程度の価値しかないのだとその度に思うのである。だから、私は人に期待するのをやめている。
 最近になって、「なんでも相談していいよ」と言ってくれる大人に会えた。信頼できる人だと思う。その時はやっと信頼できる人に会えたと嬉しくなった。でも、私はその人にどう頼れば良いのかもわからないし、二人きりになるタイミングもないので、やっぱりうっすらとした絶望感に相変わらず包まれてる。
 双極性障害で精神科にかかっていることも隠している。薬を飲むたび自分はおかしいのだと感じて、正直飲みたくない。でも生きていかなくちゃいけないから飲んでる。
 人は誰しも孤独で、私だけじゃない。そのために芸術があることは、よく理解している。
 世の中は自分の話を聞いてほしい人で溢れている。私はいつも人を慰めている。疲れる。誰か、なんの意見も押し付けも説教もせずに、私の話を聞いてくれたら良いのなと思う。カウンセラーもみんな説教してくるのでうんざりする。
 性暴力サバイバーなので、一度被害者支援センターにメールしてみた。でも過去のことで裁判にすることはできないから、「電話で話だけ聞きます」と。電話でことの顛末を話すのは辛すぎるので、やめた。私はまたひとつ絶望した。
 これはどうにもならない思いの壁打ちだ。人間には期待できないと日々確信するばかりだ。コーヒーが美味しいとか、夜風が気持ちいいとか、そういうことで生きていくしかないんだろう。
 どんな人間だってみんなひとりだ。

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