私たちは自由で、売り物じゃない。ライブを観て思ったこと
ステージに立つべく生まれてきた人はいる。彼ら、彼女らはステージに立つことで、生まれながらの才能が招く不幸せを吹き飛ばし、自己実現し、その姿で人を勇気づける。
そして私は、ライブの関係者席にたまに座ることになる仕事につき、その席に座る人はステージに立つ人を「売り物」と見ることを避けられない。だって仕事だもの。お金とそのためにしっかり働く人がいないとエンタメは届かない。
ステージに立つ人は、売り物であることも多分わかっていて、「信者」を集めていることを揶揄されようとも、そこには自己実現と観客に希望を与えているという真実が確かにある。それは、お金では計算できないし、私はエンタメ業界にいながらも、表現者を値踏みすることは(本当の心の底では)決してしたく無いと思う。
そして、ステージに立つ人だけでなく、一般のサラリーマンにも同じことが言える。私たちはいわば歯車で、「売り物」だ。転職サイトの広告で「自分の市場価値を知ろう!」と喧伝され嫌になる人も多いと思う。会社のお金を預かり、それを最大化する仕事に没頭することで、得られるものも見えるものもたくさんある。でも、私たちのなかの「真実」は決して忘れてはいけなくって、本当の心の底ではどう思っているか、何とかを愛し、何が楽しくて、何を実現したいかをしっかり持ってなきゃいけない。ライブで号泣するオタクを「きっしょ」と笑ってはならないし、心の奥で闘志を燃やすサラリーマンを笑ってはならない。
そういう真実はたくさんある。恋愛でもそうだ。アプリで出会ったからダメとか、歳の差だからダメとか、そんなものを吹き飛ばすくらい愛は自由なはずだ。
今日ステージに立つスターを観た時、「彼女は選ばれた人で、私はそうはなれない」と確かに思った。でも、私には私の夢があり、知性があり、つまらない他人の嘲笑や恐怖心に負けている場合ではないのだ。
高校生の時智恵子抄を繰り返し読んで、「私は自由だ」と唱え続けていた。高校時代の友人もみんなバリバリの社会人になり結婚もしているが、自由の呪文は変わらない。繊細で壊れそうな女子高生の自分から、だいぶ図太くなってしまったが、私たちの人生はまだこれからなのだ。私たちは自由で、売り物じゃない。
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