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強く生きることは、きっと罪じゃない

 間違ったことをしてしまうことはある。人を傷つけてしまうことがある。ミスをしたり、迷惑をかけたりしてしまうことがある。人と不本意な別れ方をしてそのまま死ぬことがある。忘れられないトラウマがある。治らない傷がある。
 それを突き詰めていくと、人は死ぬしかない。若くして自殺した久坂葉子さんの遺稿を読んでいると、この人は突き詰めて死んでしまった側の人間なんだろうなと思って最後まで読めなかった。
 痛みを誤魔化して、強がって、大人になって、日々をただ過ごせば、人は生きて行ける。ただそれは精神的に正直でいたいと思う人間にとっては耐えられない屈辱なのだ。
 そこで死ぬか、死なないかは正直運だと思う。ある日、ふらっと飛び降りそうになることがあるし、でもその日たまたま良いことがあってやめたり、首を吊った紐が切れて死ねなかったり、最後に人を追いやるのは突発的な出来事だと思う(宅浪してる時、明日こそ死のうと思ったら弟が行方不明になってやめたこともあった)。だから、自殺しちゃった人は、悪くない。
 運もあるけれど、今までわたしを自殺の淵から引き戻したのは、やっぱり人の善意だったなと思う。その人が自分にその時残してくれた言葉、してくれた行為だけが、財産だと思う。鬱状態になると、それをまったく忘れてしまうんだけれど、いざ死のうという段になると思い出されてくるのだ。
 この世は狂っている。悪意であふれている。良い人が報われない。だからちょっとくらい自分の頭がおかしくてもおなじ。わたしが月曜からまた出社して、週末に旦那さんと過ごすことを楽しみに働くことで、「良かったな」と思ってくれる人たちがいるなら、支えてくれる人がいるなら、わたしは痛みを誤魔化して、言葉をかえれば、痛みに耐える強さを持つ他、ないのだと思う。弱いことは良いことだけど、強いことは繊細さを捨てることじゃない。

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