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書くことについて②

最近、継続的に依頼をいただいていたライティングの仕事を一つ蹴ってしまったこともあり、自分がなぜその選択をしたのか理由を考えた上で、「書くこと」についてもう一度自分なりに考えてみようと思う。


仕事として「書くこと」、自己表現として「書くこと」

本業の合間に、副業としてYouTube動画の台本を書いている。
「書くことが好きだから」という理由で始めたライター業だったけど、これがまあ楽しくないのだ。
どれだけChat GPTに仕事させられるかの勝負っていうか、もう自分の頭使ってキーボード打って作品を生み出そうっていう気概が一ミリもないというか。
なぜなら、内容から方向性から構成まで、全て指定されてるから。その動画がバズるため(だけ)に、色んなルールでがちがちに固められてて自由がないのよね。当たり前だけど。
自分のワクワク感とか、書いているときの充実感とか、そういうの一切ない。
まだ自分が興味がある分野ならいいんだけど、YouTubeで再生される動画って、嫌いな人に復讐してスカッとする話とか、どうでもいい雑学とか、如何わしい都市伝説系とか、正直自分があんまり面白いと思わない動画ばっかりが伸びていて、だけどお金になるのは当然伸びる動画を作ることだから、少なくとも今私がやってるYoutube動画の台本に関しては必然的に「書きたくないこと書かないとお金がもらえない」。

で、ChatGPTやGASにできるだけ多く仕事をさせようとして(GPTにどうにかして「ずんだもん」と「めたん」の口調を叩きこんで会話させようとしてみたけど全然無理だった)試行錯誤するだけで一日が終わったとき、何かがぷっつん切れたような音がして、こう思った。
「私、書くことは好きだけど、"興味がないこと"を書くことは嫌いだわ」
その場でにクライアントに連絡し、「今回の台本が完成次第、新規のご依頼を停止させていただきます」と伝えた。

「純粋に表現したいこと」がそのまま商品になるのは、稀なこと

当然だけど、結局文章を書いてお金を稼ぐっていうのは、売れる文章を書くってことなのよね。それは、音楽でも絵でも、なんでもそう。そりゃ自分が好きな手段でお金を稼げたらいいけど、でもそれって、その手段にこだわってるだけで、「(何を、どのように)表現したい」というところにこだわりがある私みたいな人にとっては、むしろそれをして「お金をもらうこと」は二の次なんだとつくづく思う。
だから、書くことが好きで文章力もあるからといって「売れる文章を書く」売れっ子ライターになれるわけじゃないし、歌うことが好きで作曲能力も歌唱力もあるからといって、「売れる歌を作り、売れる歌い方をする」売れっ子シンガーソングライターにはなれないということ。
だから本当にその手段をもって「お金を稼ぎたい」と思ってるなら、自分がしたい「表現」とはある程度割り切らないといけない。

だけど多くの人にとって、「書くことが好き」だということは、一般的に「どんな書き方でどんなことを書くことが好き」というのがセットになっていて、「歌うことが好き」なら「どんな歌い方でどんな歌を(作って)歌うのが好き」だというのがセットになっているという現実がある。
だから、「書くことが好きだから、ライターになる!」「歌うことが好きだから歌手になる!」っていう考え方は、自分が好きなジャンルと世間に受けるジャンルが一致しない場合には、お門違いになってしまうのかもなと。
現に私は書くことや歌うことが好きだけど、ライター業、特にYoutubeの台本執筆をしているときはあんまり楽しくないし、歌に関しては今はもう(ってことは昔はそうじゃなかったんだけど)それでお金稼ごうとは思ってないから、CD売れたら「めちゃくちゃラッキー」ぐらいにしか思わない。

たまに、自分が表現したいことと世間が求めてる作品が完全一致して「自分が表現したいように表現したら勝手に売れた」って場合もあるけど、それがなかなか珍しいことだというのは言うまでもない。
当たれば当たったで素晴らしいことだけど、当たらなかったといって"当たるように"あれこれ試行錯誤すれば良いっていうのは、その時点で既に自分がしたい表現を諦めているということなんだと思う。

ただ、それが悪いことだと言ってるわけじゃなくて、「純粋に書きたくて書くこと」と「生計を立てるために書くこと」は完全に分ける必要があるよね、ということ。
例えば私の場合だと韓日翻訳の仕事だったり、旅行や音楽関係の記事執筆だったり、「自己表現」とまでは言えなくても、少なくとも興味を持って取り組める分野があれば、書く。「絶対に書きたいことしか書かない!」んじゃなくて、自分が苦痛にならない範囲で、報酬に見合う仕事だと思ったときだけ書く。要は、仕事は選んだ方がいいってこと。
まあ、そりゃそうだ。「好きなことだけして生計立ててます!」って人でも、完全に純粋にその人だけが好きだと思うことをやってるわけじゃなくて、あくまでお客さんが喜ぶことが前提だからね。

自分の内面と向き合うことの大切さ

ただ何を書いて何を書かないか、その選択は結局個々人に委ねられているっていうのはそうなんだけど、周囲の意見を聞いていると、「苦労してでも(嫌なことをやってでも)自分が好きなことで食っていこうと努力するのは、価値がある試み」っていう風潮がまだまだ強いように感じる。
だから今回は、自分を含めて周囲の意見に流されがちな人(主に表現者やアーティスト)に対して、「表現することは好きでも、表現したくないことを表現することを仕事にする必要は全くないんですよ(仕事は選びましょうね)」っていうメッセージを伝えたいのです。

そして、自分が今していること、もしくは今からしようと思っていることが、お金になることであれ、ならないことであれ、そもそも根本的に自分が何を求めているのか、自分の生活に何があれば幸せなのか、自分の内面を深く探ることが大切なんじゃないかなと。
単純に考えたら、「書くことが好きだから書くことを仕事にする!」って条件反射みたいで全く深みがない選択だなって、今なら思う。
アイドル志望の女の子が「歌うの好きだから歌手になります!」って言って、なぜか演歌歌手になるようなものではないですか。(この例え合ってる?不安だ)
私の場合、「なんか違う」って思ったら何の罪悪感もなく断ったり辞めたりできる性格だったからよかったけど、人によっては無意識では本当はやりたくないことなのに「自分はこれを好きでやってるはずだ」と思い込んで、どんどんストレスが溜まっていってうつ病になるとか、そういうこともなくはなさそう。

だから人って、忖度抜きで自分自身と向き合う時間を持つ必要があるんだと思う。
自分の行動や選択が本当に自分の意志に基づいているのか、それとも周囲の期待や社会的な圧力に押されて、口先だけで「好きだからやってる」って言ってるだけなのかを見極めないと、搾取されるだけされて、最終的に何もかも押しつぶされて終わっちゃうかもしれない。
自分が欲しいものはどんなもので、でも生きていくために現実的にやらないといけないことはあって、じゃあそれはどこまでが許容範囲で、どこからが許容範囲外なのかっていうのをしっかり見極める必要があるんじゃないのかな。

とにかく書きまくる

そのうえで、今私がやりたいと思っていることは、収益が出るかどうかは関係なく、とにかく書きたい文章を書きまくるということ。
このnoteにはもちろんだし、もし個人でメディアを運営してて、コラムの書き手を探してるよ~っていう人がいたら、依頼してくれたらめちゃくちゃ嬉しいのです。もちろん、無報酬で構いません。
目的は単純。お金になるかどうかは関係なく、自分が書きたいことを色んなプラットフォームでひたすら書きまくったら、自分の人生がどうなるか知りたい(笑)それだけです。
もしかしたら将来文豪として名を残す可能性もなくはない(笑)し、はたまた自分でバーを立ち上げたりなんかして、私の投稿を読んでくれた方が私の話を直接聞きたいからといって来てくれたりとか、そんなこともあるかもしれない。もしくは、「私が書きたいこと書きまくっても、世間はうんともすんとも言わない」「誰一人巻き込まれない」という悲しい事実が判明するかもしれない。
とにかく、私は書くことが好きで、でも「別にお金にならないから」と日記程度に留めていたものを、世間に公開しまくったらどうなるのか、それが知りたいんです。

ということで、別に自分以外の世の中の人にとってはどーでもいい「私、書きまくります」宣言をしたわけですが(笑)
少しでも気になる方は、動向を見守っていていただければ嬉しいです!

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