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再確認した私のポジション

先週、高校時代の部活の仲間とプチ同窓会をした。

集まったのは自分を含めて4人。
(直前にコロナにかかった友人が1名欠席。残念)

数ヵ月前にこの中の二人がが偶然再会して、集まれる距離にいるメンバーに声をかけてくれた。

私はこのために日帰り帰省。
地元のお店でランチに集合した。

中には14,5年ぶりくらい?という子もいた。
けれど、懐かしさは一瞬。
再会してすぐ、私を含めそこに集まった4人はみんな、学生時代の自分に戻れていた気がする。

大人になってから出会った友人と、子ども・学生時代につるんでいた友人。
どちらの前でも本物の私だが、後者の方がより、本来の私、「素」に近い気がしている。
その人たちの前での「素直さ」が自分にある気がするのだ。

大人になる前のお互いを知っている仲間たち会話が進む中で、
「そうそう、こんな感じだった。私もこの友人たちも」
と何度も記憶を呼び覚ましては、今この状況と答え合わせをして、
「あの頃の私たちの関係性や空気感に一致しているよ……今私たちはあの頃に戻っている……」
とうれしくなった。

仲間うちの私のポジション

私が自分の話を自分からするときは、1対1の場合が多い。

もともと自分の話を聞いて欲しい存在は数えるくらいしかいないので、その人たち以外にはめちゃくちゃプライベートな部分は話したいとそもそも思わないし、
自分の話はじっくり落ち着いてしたいので、会話相手と真正面で向き合うパターンでしか話す気になれないのだ。
3人集まって三角形になった時点で、自分のことを話そうという気持ちはほぼほぼセロ。

そして何より、人の話を聴くことが私の“得意”であり、“好き”でもある。
なので、私は今回のような場では徹底的に聴き役だ。

たとえ久しぶりに会っても、自分の近況を話すことは最低限に抑えたいと思ってしまうほど。

とにかく、インタビュアーになったかのように相手に話させる。
相手が悩んでいるときは聴きながら相手の考えを整理していく作業も好き。

そうそう、私は昔からこのポジションだったんだ。

これが心地よくて、話を聴いてほしいと声を掛けてくれて、本音をポロリと吐いてくれる友人たちがいて。

大人になってから今現在も変わっていないこのポジション。
これは学生時代からの私の良さで自分でも好きなところだと、古い友人たちに再会してあらためて気づいた。

聴くポジションが心地よいのは

この“私らしさ”は内省型の性格も大いに関係していると思う。

人の話を聴いて、自分の中であれやこれやと考えを巡らせ、思考を深めるのが面白い。

そして自分で出した答えのようなもの、行きついた私なりの考えをごくわずかの伝えたい人に話したり、マイノートに記録したり。

ジャーナリングを始めてからは、この思考を深める過程も楽しめるようになった。

ストレングスファインダーで上位5位内の資質に「内省」が入っている人には、この部分、共感してもらえるのではないだろうか(私は「内省」が1位です!)

人と関わって自分を知る

人と関わることで自分自身を理解できる。
それも誰と会うかによって気づくポイントが変わってくる。

ひとりで過ごす時間は大好きだが、やはり人とは定期的に会った方が人生の深みは増しそうだな。

なんてことを、かつての仲間と再会後の帰り道で考えていた。
これも思考を深める良い時間だった……。




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