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教養教育を見直し、拡大することを選んだ東大。専門分野の枠を「往復」へ。

文理横断型=リベラルアーツ?

日本国内における、リベラルアーツとは?

 前回最後にご紹介した資料に出てくる「文理横断型のリベラルアーツ教育」とのコメントについて、もう少しご説明を加えましょう。

○大学卒業者に期待される資質・能力・知識として、特に期待する資質は「主体性」、特に期待する能力は「課題設定・解決能力」、特に期待する知識は「文系・理系の枠を超えた知識・教養」と回答した企業が最多であり、探究的な学びや文理横断型のリベラルアーツ教育が求められている。

文部科学省 第1回高等学校教育の在り方ワーキンググループ(令和4年11月14日)
資料5、37頁より

 
これは、日経連が企業に行ったアンケート結果を文科省が引用し、コメントしたものです。

大学に対して「特に期待する知識」は何かという問いについて、
「文系・理系の枠を超えた知識・教養」という回答が一番多かったという結果に対して、文科省が記載したコメントだったのです。

リベラルアーツは文理横断型の知識・教養、というイメージが、文科省にも、もしかすると潜在的にあるのではないか、ということです。

事実、戦後、米国の教養教育(ジェネラル・エデュケーション)にならって、全国の大学で導入されたとする一般教養教育は、簡単に申し上げると、人文科学、社会科学、自然科学を満遍なく学ぶ、つまり文系・理系の枠を超えて勉強するということと、ほぼ同義だったわけです。

「リベラルアーツ」=「一般教養」=「文系・理系の枠を超えて幅広く学ぶこと」。

こうした定義は、決して間違っていないと思われますが、ハーバード大学などの事例に鑑みると、リベラルアーツの持つ一つの側面しか捉えていなかったのではないか

日本で行われたリベラルアーツの試みは“広く薄く”学ぶ、あるいは‘’底が浅い‘’という印象を与え、学生たちの間から高校教育の延長ではないか、との不評を買ってしまったことは、前回申し上げたとおりです。


先陣を切った東京大学

我が国における教養教育を語る上で、東京大学(東京都)の先駆的な取り組みを避けて通れません。

ここで、戦後、先陣を切って教養教育を取り入れた東京大学について、経緯と現状を見てみたいと思います。

東京大学は、教養学部を1949年に設置しました。
戦後の新制東京大学は、教養教育を重視し、学部教育の前半の1・2年次は全員が駒場キャンパスで教養教育を受けることにしました。

専門教育に入る前段階で様々なものに触れさせるという、
いわゆる“Early Exposure”と称されるリベラルアーツ教育
です。

東京大学は、大学設置基準の大綱化以降も、この方針は曲げず、現在に至っています。国立大学で教養学部をこうしたかたちで維持しているのは他にはありません。



後期課程でも教養教育。「越える」だけでなく、「往復」する

しかし、東京大学は、2015年になって、教養教育の見直しを行うことになりました。「総合的教育改革」の一環として、「後期教養教育」を導入する、というものです。

 もともと行っていた1・2年次の前期課程の教養教育を、後期の専門教育課程でも行うというものですが、それまでの教養教育とは方向性がだいぶ異なっています。

『後期教養教育立ち上げ趣意書』(平成26年3月28日 東京大学 学部教育改革臨時委員会カリキュラム改革部会 後期教養WG)には、「教養教育は…専門課程にすすんだあとも続くべきもの」とする背景や理由が詳述されていますが、ここで注目したいのは、次のメッセージです。

このようなリベラルアーツは、ただ多くの知識を所有しているという静的なものではない。また、専門分野の枠をただ越えるだけでなく、枠を「往復」する必要がある。

『大人になるためのリベラルアーツ』
石井洋二郎氏・藤垣裕子氏共著、東京大学出版会、2016年刊、284頁
「後期教養教育立ち上げ趣意書」より

静的なものではない。そして、「越える」だけでなく、「往復」する

専門分野の境界、言語の境界、国籍の境界、所属の境界を横断して複数の領域や文化を行き来する。

そのための、「よりダイナミックな思考が必要となる」と述べています。


「日本の教養のなさ」が、あった

なぜ、専門課程において教養教育が必要なのか。
 
これについて、後期教養教育導入に携わってきた理事・副学長の藤垣裕子氏は、当時を振り返り、背景には、東日本大震災で起きた原発事故によって露呈した「日本の教養のなさ」があったことを披瀝しています。

原発事故が起きた背景に対する科学者としての反省、そしてIAEAの会合での議論を通じ、筆者は東京大学が担うべき教養教育について考え、後期課程で教養を学ぶことの重要性を強く感じることになりました。

『東大教授が考えるあたらしい教養』
藤垣裕子氏・柳川範之氏共著、幻冬舎新書、2019年刊、83頁より

藤垣氏は、同じ著書のなかで、
「物知り」になることと、課題解決力を身につけることは根本的に目指す方向が異なるのです。(同著85頁)
と述べ、
知識をいかに増やすかではなく、知識をいかに有機的に結びつけるか——その力こそ、現代社会で求められている「教養」なのです。(同著87頁)
と、教養のあり方を再定義しています。

専門という軸は教養の基礎ではあり大切ではあるけれど、軸を持ちつつ思考を柔軟に保つバランスが重要である、と藤垣先生は訴えています。

なお、東京大学における後期教養教育での実践を紹介した2冊の書籍が東京大学出版会から刊行されています。

『大人になるためのリベラルアーツ』(2016年刊)
『続・大人になるためのリベラルアーツ』(2019年刊)
ともに、石井洋二郎氏・藤垣裕子氏共著

これらの冊子には、教養学部後期課程に設けられた科目「異分野交流・他分野協力論」でのリアルな授業の様子が収録されています。

1巻目では、「コピペは不正か」「グローバル人材は本当に必要か」「絶対に人を殺してはいけないか」など、続編では「気候工学は倫理的に許されるか」「人工知能研究は人為的にコントロールすべきか」「民主主義は投票によって実現できるか」等々、まさに人類にとっての難題とも言える興味深いテーマについて、学生や教師たちが白熱の議論を戦わせています。

ここには、リベラルアーツ教育の新たな手法が提示されていると言っていいでしょう!

教養教育を、むしろ拡大した東大

それにしても、他の多くの大学では、大綱化以降、一般教養教育をすでに縮小してしまっていたのに、東京大学はむしろ、拡大するという方針をとったわけですね。

東京大学が、いかに教養教育を大事にしているかが伝わってきます。

ハーバード大のリーダーシップ養成としてのリベラルアーツとは、
一味違った東京大学ならではの新たな取り組み。

大いに期待を託して、今後の積み重ねと充実を見守りたいと思います。

次回も引き続き、新たな視点でのリベラルアーツの取り組みを
さらに見て参りましょう。


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