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メリークリスマス?ハッピーホリデー? | 文化の変化、教育の変化

私がまだ学生だった頃、12月25日のクリスマス時の挨拶は「メリークリスマス!」だった。

クリスマスイブは友人たちと繁華街に向かい、クリスマスのカウントダウンを楽しんだ。

そして当時はクリスマスカードを友人に郵送するという習慣もあった。私は学生時代香港で生活していたので、12月にクリスマスカードを何枚か買い、日本にいる友人にクリスマスカードを送ったことを覚えている。

しかし私が大学生の頃、「ダイアルアップ」式のインターネットが徐々に普及し、多国籍な高校時代の友人たちへの連絡は郵便から「チャット」に変化した。時差があったため、夜な夜なパソコンの前で文字ベースの会話を楽しんだ事を覚えている。

さらに現代へ時を進めると、今の時代の季節のあいさつはフェイスブックやLINEへと変化していき、スマホのアプリを使ってスマホ内に保存された画像で簡単にクリスマスカードや年賀状などの画像を作れるようになった。

そしてアメリカでは宗教の平等への理解が深まり、12月の季節の挨拶は「メリークリスマス」から「ハッピーホリデー」へと変化した。

私は英語の先生をしていることもあり、季節の挨拶の際、時代の変化を感じ、早くから「ハッピーホリデー」というフレーズで生徒への挨拶をするようになっていた。自分が慣れ親しんだ「メリークリスマス」という響きへ馳せる思いはあるが、一方で「宗教の平等」への理解も大切であると考え、「メリークリスマス」というフレーズへ込める思いは変えずに「ハッピーホリデー」という挨拶を使っている。

しかし変わらない事もある。それはクリスマスに子供たちがおもちゃをもらうという習慣である。

この習慣は少なくとも私が知っている限りでは香港、アメリカ、日本、韓国、オーストラリア、タイ、カナダと多くの国で共通する習慣となっている。

同じクリスマスであっても、変化する物があり、一方で伝統を受け継ぐ物もあるという事だ。

【教育】

教育も変化を感じている。

比較的日本の教育の変化は緩やかだと感じているが、私がこれまで生きてきた中で見た変化は、英語への取り組みの早期化、特別支援学級の設置、そして最近は自治体にもよるが、ギフテッド教育への取り組みも進んで来ている。

私は香港で育っているので英語への取り組みは英語の幼稚園に通った時からであったが、妻に聞くと学校で英語が必修となったのは中学生だったという事である。しかし今は保育園から英語教育に取り組んでいる。

また、教育環境の変化もある。

まずはタブレットを使用した教育が進んでいるという事。さらに、品川区では児童達の安全を守るため、「まもるっち」という携帯電話が児童に無償で支給されている。さらに私の長男の通っている目黒区の学校では例えば友人を「あだ名で呼ばない」など、様々な方法でいじめ防止の取り組みを進めていたりする。この「あだ名で呼ばない」ということについていは保護者からの意見もあるとは聞いているが、確かに友達にとっては「いじり」でつけたあだ名でも、本人にとっては「いじめ」になる事もあり、一つ一つ取り組めるところから取り組んでいこうとする学校の姿勢には不器用な部分はあるかもしれないが、課題解決へ向かおうとしていることが伝わってくる。

このような学校の対応は、いじめが社会問題になったり、技術の進歩という社会の成長と共に、学校もそのあり方を変化させているという現れであると考えることができるのである。

【家庭教育の変化とお金の教育】

日本における家庭教育として代表的なものとしては「躾」があげられる。お箸の持ち方に始まり、食事の際のマナー、人に会った際の挨拶の仕方など、家庭で与える教育は様々ある。

「躾」に加えて、野球やサッカーなどのスポーツやピアノなどの芸術において、保護者のスキルに応じて、自宅で自主練をする際に保護者がコーチや先生となって子どもを指導することも家庭教育の一つと考えてもいいのかもしれない。加えて、勉強が得意な保護者が子どもに勉強を直接教える事も、当然家庭教育として考えられるだろう。

このような家庭単位での保護者による子供たちへの教育は、日本に限らず世界中いたるところで自然と取り組まれてきたことだと思う。

私は海外(香港)で生まれ育ったが、言語に至っても、言語が異なる国同士で国際結婚をしている親がいる家庭では、父親と母親がそれぞれの言語を使って子供たちと接し、早期よりバイリンガル教育に取り組んでいたりする。特に英語とアジア圏の言語であれば、私の周りでは、両方できるようになるように取り組む家庭が多いように感じている。

また一方で、私の知人のアメリカ人家族は、子供たちを日本の公立校に通わせ、日本語と日本の教育を通じて日本の文化を学ばせる一方で、家庭では英語とアメリカ文化を教えている家族も知っている。この方法は誰にでもできるような方法ではないかもしれないが、社会が与えてくれる教育と家庭でできる教育の両方を上手に生かした方法のように感じる。

置かれている環境や社会の中で、それぞれできることを家庭で取り組むわけであるが、以前紹介した記事「厚切りジェイソン、投資よりも“支出の見直し”の重要性力説「意識を変えた方がいい」」の中で、厚切りジェイソンさんは「日本では学校教育以外のものを補足していない。お父さんたちも毎晩夜遅くまで仕事していて、子どもと会話する時間も少ない」と感じているという。

確かにアメリカ社会と比べると、日本人の父親像は家庭よりも仕事を優先するイメージが強いのかもしれない。

しかしこのコロナ禍で在宅勤務者が増え、家族との時間が増えたという話は良く耳にするようになった。私自身もその一人であることに違いない。以前は子どもをお風呂に入れるとか、子どもの寝かしつけなどはなかなかできなかったが、今ではほとんど毎日子どもをお風呂に入れたり、寝かしつけたりすることが出来ている。

そしてコロナ前であれば、私が子どもの帰りを「おかえり」と迎えることはほとんど無かったが、今では毎日のように「おかえり」と迎えることができている。

このような状況が無ければ、なかなかお金の教育のサービス開発に取り組む事はできなかったかもしれない。なぜならば、まだまだお金の教育は始まったばかりの教育分野であり、カリキュラムがあるわけでも整ったサービスがあるわけでもなく、子供たちと一緒にお金の教育に取り組みながら、お金の教育そのもののを私自身が学ぶ事が必要だったからである。

しかしコロナ禍で在宅の時間が増えたお陰で、子供たちとお金の教育に一緒に取り組む時間が増えたことは確かな事である。もし子供たちと過ごす時間が少なかったとしたら、お金の教育を1年以上継続させる事も難しいことになってしまったかもしれない。

お金の教育のサービスはまだまだ歴史が浅い。そしてお金の教育のサービスがアメリカで広く普及したのもコロナ禍の事である。

しかしコロナ禍で社会自体の変化があり、将来への経済不安も増すことで、アメリカでは早期から家庭でお金の教育に取り組もうとする家庭が増えることとなった。

そして今、日本でも高校生から「資産形成」の授業が義務教育となり、政府が主導となりお金の教育に積極的に取り組もうとする教育環境が整えられ始めたのである。

また政府は日本経済の更なる成長を促すため、「一億総株主化」というスローガンを掲げ、国民が貯金から投資へと金融資産を移行するよう税制優遇などに力を入れ始めている。

それを後押しするかのように、証券会社やクレジットカード会社などの金融サービス提供事業者から、ポイント運用や少額投資というサービスが次々とリリースされ、投資初心者でも投資にチャレンジしやすい環境が整ってきている。

政府が「一億総株主化」を推進するのもまた社会の変化が背景にある。

背景の一つにはインフレの上昇に伴って、お給料や貯金残高が増えないという事があげられる。すなわち、物価が上がり続ければ今の1万円で買えるものが10年後には買えなくなるという事であり、1万円の価値が下がってしまうという事なのである。

貯金をすればするほど、長期化すればするほど貯金という金融資産の価値は下がるという事を意味する。

このような背景から投資へと国民を促し、国民の家計をより金融リテラシーの高い水準へと導こうとしているのである。

お金の教育に取り組むようになり、お金の教育も時代の変化と共に、これからは必須になる家庭教育の一つとして取り組む必要があると強く感じるようになった。

それは、お金は体験的な取り組みが求められる学習テーマだからである。座学でいくら投資のアドバイスを受けても実際に投資をしてみないと分かるようにならないのと同じである。

お金は実際に「稼ぎ」、そして「使って」みることをしないと、お金に対する感覚も育たなければ、お金に関する能力を磨くこともできないのである。

学校で教えてもらえることは沢山ある。だからといって家庭では何も取り組まなくて良いという事にはならなず、さらには取り組めることが少ないという事にもならないのである。

現在日本では政府が主導になってお金の教育を進めている。

このような社会背景の変化に伴い、お金の教育の有効性が広く理解される事になれば、お金の教育は家庭で取り組む教育の一つとなるだろう。

私のnoteでは実際にお金の教育に携わって得られている効果や成長を綴っている。私の家庭での発見であり、まだまだ小さな情報でしかないが、取り組んでいる家庭の一つとして言えることは少なくともお金の教育は取り組んで損はないという事である。

その理由の一つは、子供たちは時がくれば社会人になるという事があげられる。

もちろん、社会人になってから本人が自らお金の教育を受ければいいという考えもあり、現代の社会人はほとんどがそのように学んだことだと思う。

しかしお金の取引も電子化が進み、さらには資産運用に至っても少額から取り組む事ができるのが今の時代である。

そして子供たちは高校生になれば、学校で「資産形成」を座学で学ぶ事が義務教育化となった。

今の時代の社会的な背景は家庭でのお金の教育を後押ししてくれる。

またもう一つの側面に、お金の教育に取り組みすでに1年と7カ月が経過した私は、お金の教育に早期から取り組む事で子供たちがお金に対してより柔軟な考え方を得ることが可能になると感じている。さらに、将来的にはお金を「稼ぐ・使う・貯める・運用する」ということにおいてもよりバランスが取れたスキルを身に着ける事ができるとも感じている。

クリスマスの際の挨拶が時代とともに変化するように、家庭で取り組む教育もまた少しずつ変化している。

その変化をけん引する一つはお金の教育になるだろう事をこの1年7カ月の取り組みを通じ、その考えをさらに強くしたのである。

今年もあっという間であった。

時間は振り返るとあっという間に過ぎていく。その経過の中で何に取り組んだかが人を作り上げるのだと思うが、お金の教育に取り組む事で子供たちが「より豊かな人生を実現させる」スキルが少しでも高くなるのであれば取り組まない理由はないと考えるのである。 

本年も一年大変お世話になりました。来年の投稿は1月9日からの再開を予定しています。

それではみなさま、ハッピーホリデー!そして良いお年を!


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