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【年齢のうた】中川五郎 その4●「三十歳の子供」は“子供”でいるぞ宣言

何気に慌ただしい日々でした。心は落ち着いていますけど。

えーと。サマソニ(東京の初日)に行ったり! いいステージをたくさん観ることができました。酷暑だったけど、お目当てがほぼメッセ内だったので。


前夜のソニマニもだいぶそそられたけど、断念。もしチケットを買ってたら、台風の接近でヤキモキしたと思いますが。実際にはほぼ事なきを得たみたいで、良かったですね。

その前後で取材仕事をバタバタとしています。どうにか乗り切っています。締め切りも。

で、いま発売中の雑誌『ブロス・プラス・ミュージック』で書いております。RYUSENKEIのクニモンド瀧口へのインタビューと、初期のアルファミュージックの足あとについての執筆。そしてGLIM SPANKYがギブソンのギターについて語るインタビューをしています。どうかお手に取ってみてください。

あとは、夏の甲子園も少しだけテレビ観戦。自分の地元である島根の大社高校が感動的な試合をくり広げまして……! まあサマソニもあって、惜敗した準々決勝を観れたぐらいでしたが。
それにしても島根県勢が甲子園をあれだけ沸かせたのは記憶にないぐらいです。

他に、家でそうめんやスイカを食べています。夏ですな。

この夏もさまざまなミュージシャンが亡くなっていますが、先だってはフォークシンガーの高石ともやさんが旅立たれました。彼のことは、今書いている中川五郎さんの回のその1と2で触れたばかりです。

日本のフォーク、ひいてはポップミュージックにおいて、重要な道を切り開いた方だと思います。ご冥福をお祈りいたします。

それでは、その中川五郎の4回目です。

20代後半のモラトリアム男が唄った「三十歳の子供」


前回は中川五郎のアルバム『また恋をしてしまったぼく』(1978年)の収録曲「十代から十年」について書いた。

そしてこのアルバムには、もうひとつ、年齢に関する歌が入っている。

「三十歳の子供」という曲である。

サウンドは当時のアメリカ……70年代後半の西海岸を感じさせる、じつに味わいのあるもの。歌をじっくり、しっかり伝えるためのアレンジになっている。
ここで唄われているのが、30歳になろうという自分のことにまつわる言葉たちなのだ。

これから人生どうしよう、というフレーズが、深く刺さる。

しかしこの歌は、決して自虐なんかではなかったようだ。

中川自身は、2012年版のこのアルバムのCDのライナーノーツで、「三十歳の子供」について以下のように綴っている。

このアルバムのレコーディングをした時のぼくは28歳で、30歳を目前に控えた気持ちを歌にしたもの。ちょっと反語的な歌詞の書き方をしているので、30歳にもなって自立できない人を非難している歌だと誤解して受け取られることもあるが、言うまでもなくこれは決意表明の歌。とうとう30歳になってしまったからと、やりたくない仕事をしたり、長いものに巻かれたり、夢を捨てたりするのではなく、いつまでも“子供”のままでいるぞ、自分の生き方を死ぬまで貫くぞと歌っている。

最近ではライヴであまり歌わなくなってしまったが、今歌う時は最後に「30歳の子供」と繰り返して歌うところを、「31、32、33……」と年齢を上げて行き、60歳、70歳、それどころか100歳まで数え上げて歌い、その歳まで自分の人生を自分の生きたいように生きる“子供”でいるぞと宣言している。
(後略)


28歳のうちに30歳になることを意識していたとは、結構強い思いがあったのではと思う。かなり気にしていた、ということだろう。

それにしても、正直な人である。
この『また恋をしてしまったぼく』の時期の中川は、本当にやりたいことをもっとやってしまった結果、プライベートの生活が破綻していったという背景がある。まったく、「また恋をしてしまった」じゃないでしょ、とツッコミたい気持ちにもなる。

まさに火宅の人。そんな私生活や個人の感情を、フォークシンガーとしての、シンガー・ソングライターとしての作品にして、あけすけに唄ってしまうこの姿勢。いや、いくらか脚色はされているのかもしれないが、だとしても穏やかでないことは同じだ。
しかし、それこそ中川五郎の真骨頂だとも感じる。

「三十歳の子供」について、中川は自著である『ぼくが歌う場所』(2021年)でも記している。それは先ほどのライナーノーツとほぼ同じような内容だ。


(前略)
なるほど七二歳になった今もぼくは「やりたいことはあるけれどいまだに芽が出」ていないのかもしれないし、「大人になりたくない」「子供のままでいたい」という気持ちをどこかで持ち続けているようにも思う。


この記述の前には、「二十代後半のモラトリアム男の歌として作ったものだった」とも書いている。

若者たちの心理にあった「30以上は信じるな」という風潮


「三十歳の子供」のことは、前回も紹介した田家秀樹によるインタビューでも登場する。これを再び引用する。

田家:中川五郎さん29歳のときの曲ですね。この時期はあらためて今どう思われていますか?

中川:当時『DON’T TRUST OVER THIRTY』という30歳になったら老人だぐらいの極端な考え方をしている人も多くて、僕も今のうちにやりたいことをもっとやりたいなと思いながらも全然できなくて、自分への叱咤激励というかね、お前どうするんだよって気持ちで歌っていたんです。


そう。DON’T TRUST OVER THIRTY……この言葉は、かつてこの【年齢のうた】で何度か登場させている。

そして実はこの田家による中川へのインタビューは、過去に一度引用したことがある。

ムーンライダーズのアルバム『DON’T TRUST OVER THIRTY』について書いた際、70年代当時の「30以上は信じるな」という風潮のことに触れた回だ。

こうしてみると、「三十歳の子供」という楽曲には、根底に中川自身の反骨心があったことが伝わってくる。そこも彼らしいと思う。

ただ、ここで僕はちょっと違う捉え方もしたくなる。

「主婦のブルース」で描かれた、50代女性の人生。「25年目のおっぱい」と「27年目のおっぱい」に垣間見える20代のリアル。その20代後半になって、「十代から十年」で思い起こした10代の頃の自分。そして「三十歳の子供」。若き日の中川五郎が表現した、年齢にまつわる歌の数々である。

周りの意見に流されず、自分の道を歩むばかりのようだった中川。しかし彼が節々で残してきた年齢についての歌は、この人の世間との距離感をはかるためのひとつのものさしになっているように思うのだ。
10代の心の内。20代の生活と心理。想像する、50代の生活。そのすべてに、その時々の彼のリアルが浮かぶ。
その歳の自分はこんなことを考えていたんだ。その年齢の人間はこうだと言われてるけど、ぼくはそうじゃないよ。生きる息吹が伝わってくるかのようだ。

決して安易に周囲になびくような人ではないからこそ、そこで彼は「ぼくはぼくだよ、他人の意見なんて関係ないよ」と言っているのではないように思えてならない。
彼には、世の中の価値観や動向がその視界の内にちゃんと入っているからこそ、そのたびに年齢のことを唄ってきたように感じられるのだ。

年齢なんて本当にどうでもいいと思っているのなら、年齢についての歌なんて、唄わない。僕はそんなふうに考えている。

以下は、中川とも関りのある沢知恵がこの曲をカバーしたバージョン。

80年代に入り、中川は歌を唄うことをやめて、編集者、そして音楽評論家、ライター、翻訳家としての活動が中心となっていった。
それが90年代になって、シンガーとして復帰。以降ずっと、75歳の今になっても、彼は唄い続けている。
その歌をまた聴きに行かねばと、僕は思っている。

五郎さん、そのうち、お邪魔しますね。


10-FEETとコラボした
アサヒスーパードライのスマート缶。
夏のはじめにカミさんが勢いで買ったのですが、
うちは基本的に誰も飲まないので
なかなか消費できないままですわ~

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