精神病院物語-ほしをみるひと 第四話
”「うるせえんだよ馬鹿野郎! てめえの声はでけえんだよお!」
歩いて、歩いて、窓にたどり着いた。自殺防止のため三センチしか開かない窓から外を眺めてみる。゛
*第四話*
自分の望む何者にもなれないような絵を描いていると、たまに看護師さんが声をかけてくれる。マスクをつけた彼の眼差しは力に満ちていて、整った茶髪といい、まだ若い人なのだろうなと感じた。
「絵上手いんだね。下手だって? そんなことないよ。俺そんなに上手く描けないし」
本気で言ってくれているのかもしれないが、この場合僕の方が正しい。描いた先から絶望する程に拙い。
「もっと上手く描ければいいんですけどね。この漫画みたいに綺麗な絵が描けたら、どれだけ良いかと思いますよ」
「なれるよ。応援してるから」
応援が力になる程、僕は頑張っていなかった。頑張ろうとしても頑張れない、という辛さがあるのだと知った。
「夢持つっていいことだよ。俺は今もやってるけど、バンドでプロを目指してたんだ」
「プロ? ですか」
「もう十五年やってるけど、上には上がいてね」
看護師さんは二十代かそこらだと思っていたが、十五年という歳月を考えると、三十は越えているのだろうか。夢を追いかけてきた時期もあり、挫折もあったのか。
僕は……ここから頑張って、三年後には滅茶苦茶絵が上手くなっていたら良い。遅くとも二十代の内には何者かになっていたい。そんな当てのないことを望むたびに虚しさが募る。今できていないことが十年経ってもできるとは思えない。今この状況において、なにかに希望を抱いたり真面目に考えたりすることは苦痛である。
でもそれを止めたら……一体僕はどうやって生きていけばいいんだ?
看護師さんはしばらく僕の前に座って、この女の子の絵が裸だったらもっと良いなあなどとお茶らけたことを言っていたが、仕事は忙しいようですぐに車椅子のおじいさんの介護に回った。おじいさん三人は自分で食事もままならないようで、もう精神科というより別の場所に入った方が良いくらいの要介護ぶりである。一体どういう理由でここに入れられたのだろうか。
僕がもしこの先、生き延びて、八十、九十歳になったとしたら、晩年はあんなものかもしれない。
ホールで活発に動いている人は少ない。力なく座る老婆。喫煙室には喫煙者の患者たちが屯し、独自の雰囲気を醸している。活気という活気が失われたこの場所で、僕も力を失っていた。
「うるせえんだよ馬鹿野郎! てめえの声はでけえんだよお!」
突然喫煙室の方で四十代くらいのトカゲ顔の男性が隣の天然パーマのおばさんに向けて怒鳴りだした。どうなってしまうのだろうと思い様子を注視していたが、看護師が三人駆けつけて事なきを得た。
しかし今度はおばさんの精神が不安定になり「ミーちゃん連れてきえええ」と激しく泣き出してしまった。これも看護師は苦労して宥めているようだった。
たまにこういうことがある。狭い空間に閉じこめられているからだと思った。逆にびっくりするほどバイオレンスな出来事も起こらなかった。
大したことではない。当事者ならぬ僕はすぐにそのことを忘れた。
気を取り直して絵を描いていたが、ついに苦しくなってきた。粘ってもどうせ生まれてくる絵はへたくそだ。どうやったらこの漫画のように触れることもできるような生き生きとした絵が描けるのだろう。僕の絵は模写したとしても平面の落書きに過ぎない。
上手くなりたい。だけど僕には壁を越える力がない。何度も粘ったがもう限界だった。胸が苦しくてこんなところにいられなかった。文房具を片づけると、僕は病室へと戻っていった。
病室に戻るとおじさんが二人ベッドで眠っていた。今は夜ではなく昼の二時である。まだ夕食までは四時間残っているし、消灯までは七時間残っているのだ。一体これだけの時間をどう過ごし、どう潰せというのか。
一番良いことは寝ることだった。前の入院時も僕はひたすらベッドの上で毛布にくるまっていた。今日もこれから眠るつもりだ。午前中散々寝たので別に睡眠が必要なわけではない。しかし時間を潰すという意味ではいくらでも寝ていたかった。
本来時間というのは貴重なものである。楽しむにも、勉強するにも、なにかを作りだすにも、まず時間がなければ始まらない。それを無駄に潰さねばならないことが、若い僕にとって絶望的な気分にさせられるのだ。
ベッドで布団に入ると、目を瞑ってただただ眠ろうとした。いつも頭はボーッとしているので、寝られないことはないと思った。暖房の熱気が眠気を助長する。僕は沼に沈むように眠りについていった。今は……冬だ。
夢は見なかったと思う。寝ながら半分起きているような、重い温風に悪酔いさせられているような、浅い眠りだった。
体を起こそうとするが、両腕の感覚がなかった。慣れないベッドでおかしな体勢で寝ていたせいか、腕が圧迫され血が通っていないようだった。
体をなるべく起こして腕を少しずつ動かそうとする。するとビリビリと電流が走るように感覚が戻ってきていて、三分くらい粘ってようやく元の通りに動くようになった。
ホールで夕食が配られる時間だった。早くいってもなにが変わるわけではないが、ここにいたところでなにもすることはないのだ。
廊下に出ると何人かの患者がホールに向かっていた。病棟の患者たちはパジャマやジャージの人ばかりで、僕も毎日パジャマのままだ。たまにお洒落をしている人もいるが、見習う気にもならない。
外にいるときには格好にも気を使っていた。格好に苦しんでいたと言った方が正しいだろうか。元々服に金を使う方ではなかったが、格好を馬鹿にされ、指を差されて笑われるとどうすれば良いのかと悩んだ。ファッションの知識もなかったので、散々空回りして神経をすり減らした。
それに比べて病院では格好に気を使わなくて良いので楽である。入院前に全部刈ってもらっていたので頭には1センチくらいの髪が生えているばかりだった。
ホールに行くと沢山の患者たちが席に座っていた。金髪のおじさんの高見沢はいつも前屈みで転びそうな歩き方をしている木元というおじさんと一緒だった。トカゲのような顔をした三浦というおじさんや、よく笑うが目が全く笑っていないおばあさん、信じられないくらい太っているおばさんや同い年くらいにみえる狐目の女の子もいた。もう何日も入院しているので、顔を覚えた人も多いが、会話をしていないので誰が誰だか、名前がわからない。
病棟に夕食が運ばれ、看護師によって配られ始めた。お盆には名前が書かれた札が乗っていて自分の物だとわかる。
ご飯に味噌汁。白身フライとサラダ。お浸し。バランスを考えられた物なのだろうが、刺激に乏しい食事だった。味も薄かった。
初日に口からボトボトこぼした時のメニューにはカップ麺のミニカップがあったが、どうもあれはお楽しみ給食だったらしい。
誰かと一緒に食べるということはない。適当な席に座って黙々と食べる。それはとても気楽な物だった。
高校時代の昼休みが怖かった。他のみんなはそれぞれグループを作って、楽しそうに会話をしている。ポツンと一人で弁当を食べる僕は、会話の渦に巻かれてどんどん生気を失っていった。
弁当を食べ終わるといよいよ僕にはなにもすることがなかった。誰も話しかけてくれなかったし、誰かと話す機会があっても一時のことで、僕はずっと一人だった。
辛かった。逃げたかった。逃げられなかった。クラスから出ても学校にはどこにも居場所がない。誰かにみられる心配のない場所など、本当にどこにもなかったのだ。
ここでは一人で、誰を気にすることもなくご飯が食べられる。食べ終わったら病室に戻ればいい。なんて素晴らしいことだろう! 集団の中にいるという意味では、学校などより余程居心地のいい場所ではあった。
しかし今は今で時間を潰すのに困っていた。夕食を終えた後も消灯までは二時間以上ある。ホールには共有のテレビが一台あるが、僕はそんなにテレビが好きなわけではない。
こういうときは廊下を歩く、端から窓がある行き止まりまで歩いて行けば一分はかかる。それだけ時間が潰せるはずだ。
歩いて、歩いて、窓にたどり着いた。自殺防止のため三センチしか開かない窓から外を眺めてみる。
窓からは星はみえない。その代わりに夜景がみえる。この辺りの地理は知らないので、あの光群がどこの光なのかはよくわからない。外の人々の生活が営まれているのがわかるだけだ。
あの赤い光はなんだろう。あそこにある多色の光群にはパチンコ屋でもあるのだろうか。電波塔の辺りにも光があるが、僕はあれがどういうものなのかも知らない。夜はあちこちが、輝きで満ちている。
今の自分にとっては遠い、遠い話だった。(つづく)