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明治大学のイベントと新渡戸稲造

今日も日曜にしては珍しく外出。初めて明治大学に行って参りました。今日は明治大学横田ゼミナール主催の「DIVERSITY FESTA 2022」が開かれており、30を超える団体が講演等の企画を行ないました。知ったきっかけは、その中の一つの企画として、公益法人 Marriage For All Japanと中野LGBTネットワークにじいろ(中野にじねっと)が講演会を告知していたからです。内容は大きく三本立てで、「25周年を迎える府中青年の家事件判決」「中野区パートナーシップ条例制定に至るまで」「『結婚の自由を全ての人に』裁判について」でした。朝Twitterで知って、とりあえずYouTube配信を観ていました。最初の「府中青年の家事件判決」については、概要は知っていたものの、当時の話を実際に関わった人達の口から語られるのはとてもスリリングで、二十五年経っているということもあってか、とても楽しく話を伺うことができました。三十年も前に高裁で画期的な判決が出たことや、その時も当事者からの否定的な反応があったことなど、「結婚の自由を全ての人に」裁判について考える上でも学ぶところが多かったです。視聴している中で、この講演会が途中参加自由だということを知り、せっかくなので直接かけつけることにしました。「中野区パートナーシップ条例制定に至るまで」を視聴しながら、身支度を整えました。中野区や新宿区は、LGBTにゆかりのある土地として知られているものの、条例が制定されていないことで有名でした。その背景に区長の影響とそ支持団体があることは明らかでした。それが、一転して選挙直前に条約が制定されたのが中野区でした。結果的に区長は交代となりましたが、中野区の区政のイメージが変わった出来事でした。その背景について、詳しく語っていただきました。なお、今日は折しも新宿区の区長選挙の日。結果は現任の続投が決定。前回よりも投票率の低い中での、予定調和な結果となりました。東京都パートナーシップ宣誓制度があるとはいえ、パートナーシップ条例は同性パートナーや様々なマイノリティーに対してのメッセージとしての意味を持ちます。それをあえて制定していないということは、それもまたメッセージになっています。政治も裁判も、様々な力関係によって決まるのだ、ということを我々は何度も見せつけられてきましたが、今回もまたその一つの証左となりました。案の定Twitter上にはヘイトが発生していますが、このような闘いを何度も繰り返しながら、世界は少しずつ変わってきました。今回の講演は、まさにそのような歴史を知る機会であり、励まされる思いでした。「『結婚の自由を全ての人に』裁判について」の開始の少し前に明治大学に到着。イベントでは、性的マイノリティーの他にも、障害や子ども支援、外国人支援等、多様なテーマの企画が用意されていました。もう少し早く来て、他の企画も楽しみたかったなとも思いながら、全体をぶらぶらと眺めて、講演会場に向かいました。同性婚訴訟については、当初から注目して、動静を見守ってきました。海外で具体的な法整備が進む中、日本が全くと言っていいほど動きが感じられない。その中で具体的な動きとして、それも国ではなく個人が動き出したというのは、当初とても驚きました。公共訴訟という言葉が使われ出したのはいつごろのことかはわかりませんが、とても大切な概念だと思います。様々な点において、立法に信頼がおけない昨今、せめて司法の力を信じるという行為は、有力な行動の一つだと思います。日本は国連より勧告を受け続け、日弁連から意見書も出されています。それでも動かない。これまで、札幌地裁の判決により、同性婚できないことは「平等権に反する」という文言が出されたものの、大阪では合憲と判断されるなど、その度に当事者は心が揺さぶられてきました。原告の方は、この裁判が「次世代が希望を持てるようなもの」になってほしいと言っておられました。これに対して私からは、身近な若者が大阪地裁の判決にショックを受けていたことを紹介し、なかなか表に出てはいないけれども、大勢の人が応援していることをお伝えしました。また、外国からいらした方は、海外の当事者も応援しているとおっしゃっていました。裁判は本当に大変なものだと、大阪地裁判決の際に開かれた原告団のトークイベントで知りました。政治も裁判も、声を上げることがとても大変なのがこの日本なのだと思います。そして、政治も裁判も、それを支える多くの声が必要なのだということも実感しています。海外の事例を見聞きするたびに、日本では声を上げることがなんて難しいのだと思います。特に、ヘイトや暴言は堂々となされることが多いのに対して、誰かを支持したり応援したりする声のなんと小さなことか。これはマスコミにも責任はあるでしょう。立法と司法が行ってきたことの積み重ねであるとも思います。だからこそ、我々はもっともっとポジティブなメッセージを表明していくべきでしょう。東京地裁の判決が十一月三十日にあります。せっかくの機会なので、札幌地裁、大阪地裁と東京地裁では何か戦術が違うのかを伺ったところ、基本的には大きく変わらないとのこと。ただ、裁判長によって方向が大きく変わるようです。それもどうなんだとは思いますが、おそらくこの仕組みも功罪両面あるのでしょう。改めて、大事なのは判決を単純に受け取るのではなく、この裁判がどのような意義を持つのか、今後にどのように活かしていけるのかを知ることでしょう。完全勝訴とはいかなくとも、訴求棄却判決の中に希望が残されていると言います。今は、その希望を足掛かりにして一歩ずつ立ち上がることが大切なのでしょう。原告が未だにご自身の職場の理解を得られていないとおっしゃっていたことも印象的でした。その後は「中野区人権及び多様性を尊重するまちづくり条例」制定記念シンポジウムに伺いました。パネルディスカッションから拝聴しました。パネリストはFTMトランスジェンダー当事者の浅沼智也さん、全盲当事者の甲賀佳子さん、明治大学学生で留学生の田知殷さん、電通ダイバーシティ・ラボ代表の林孝裕さん、中野区市長の酒井直人さんでした。会場ではimakikuというリアルタイム・アンケートシステムを用いて、いわばライブ配信のコメントのような機能を使うことができました。それで会場の意見を拾えるのはおもしろいサービスですよね。それぞれの立場から発信がありましたが、このようなパネルディスカッションにおいて、当事者の看板を背負うような感覚があるというお話が印象に残りました。だからこそ、肩書きにとらわれず、個人として意見を交換することの大切さをおっしゃっておられました。さて、そんなこんなで数時間でしたが明治大学でのイベントに参加してきました。目下の懸案事項としては、社内のLGBT理解促進のハンドブックを作っておられたコカ・コーラのブースでいただいたコカ・コーラをどうしようかということです。僕は基本的に炭酸飲料を飲まなくて、コカ・コーラを飲むのも久しぶりの印象。ただ、カクテルにしていただくことはあるので、久しぶりにウイスキーを割ろうかなと思ってみたり。何かおすすめの割りものあれば、教えてください。

先のイベントの中で、子ども支援関係のブースをしばらく聴講した。その中で、新渡戸稲造が遠友夜学校という、無償の学校を作ったという話を知って、なぜか目頭が熱くなった。以前、Blast!の公演で石川直を観ながら号泣したときと似ている。多分、これが琴線に触れるということなのだと思う。自分でも思いもよらないところで、心が揺さぶられる。無償の学校というテーマが、新渡戸稲造の在り方が、直感的に自分の心の奥底にある欲求に響いたのだろう。これはまだ顕在化しきっていない、僕の奥底の、何かを暗示している。また何冊も本を買ってしまった。ここ数日は帰った後に気持ちが沈んでいた。そこで少し寝ると回復していたのだけれど、何か要因があったのだろうか。日々何かを期待して、何かに絶望している。その中で気持ちの浮き沈みは当然あるし、そういった何かの要因によらずとも、心は浮き沈みすることもまた、人生で得た教訓である。新渡戸稲造は僕と同じくらいの年に「武士道」を書いている。それまでもエリート街道まっしぐらだったけれども、この作品で国際的な影響力を持つことになる。そこから、大きな力を持って教育活動も推進していくことになる。僕もまた、そのようなきっかけが欲しいとは思う。けれど、結果的に新渡戸稲造は何度も病に苦しみ、おそらく志半ばで客死したのだと思う。僕はもうちょっと、持続可能で安定的な人生でありたいと思うから、もうちょい小ステップで影響力を持っていきたいとは思っている。

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