yoshikazespyn

自分用映画記憶メモ。自分用なので見た映画については全作書こう。

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最近の記事

デブ君の巌窟王(1918)

ロスコー・アーバックル監督作品。 YouTubeで見つけたので、デブ君ことロスコー・アーバックルを初見。なんかイケメンにした岡田斗司夫みたいな顔の人っすね。 密造酒工場の出入り口の、巨大なからくり扉。 普通サイズの車からゾロゾロ40人くらい降りてくる物量ギャグ。 崖ぎわでの絶命スタント。 川での全身洗濯の後、丸ごと枝に干されるバスター・キートン。 「お前、ウチの娘を川に放り投げたら惚れられましたって、いくら何でも無茶苦茶やないか」と父親に突っ込まれると、「あのねこ

    • トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン(2011)

      マイケル・ベイ監督作品。 前半は「戦争後遺症」の映画、後半は「本土決戦」の映画。マイケル・ベイが映画で「アメリカ」を表現するトランスフォーマーシリーズ、堂々の完結編である(あと2本あるけど明らかにこれでケリをつけるつもりだったろう)。 最終回に相応しい陰惨でハードな風味が強く、やれ『メカゴジラの逆襲』だの『新座頭市物語 折れた杖』だのを思い出す。本シリーズの下敷きになったろうスピの『宇宙戦争』から、とうとうそのまんま描写を引用しており、ベイが相当にボロボロになりながら映画

      • ディシジョン・アット・サンダウン(1957)

        バッド・ベティカー監督作品。 よくもまあこんなツマラン顔の俳優ばかりで映画を撮るもんだと変な感心をしてしまった、ラナウンサイクル7部作の3本目。グレン・フォードもリー・マーヴィンもココにはいないという諦念が我々に襲いかかる78分! 主演のランドルフ・スコットが、実際は大した顔をしていない事を白日の元に曝すようなベティカーのブッチャケぶりに、何だかちょっと引く。そりゃー随分とひねくれた脚本でありますから、いっそミジメを極めてくれいというご注文の意図は分かりますが、それにした

        • 火の鳥(1978)

          市川崑監督作品。 漫画とアニメとは違い、アニメと映画とは違い、漫画と映画とは一層違う。 一つのメディアにおける表現の究極へと到達した作家の著す代物は、他メディアへの翻訳など、決して不可能なものであるはずだ。それは、その表現者が極めんと欲した一つのメディアでしか為せぬサムシングを、多分に含有したものであるに違いないのだから。 ゆえに、手塚治虫が関わった映像作品はぜんぶ失敗作だと、そう断じて問題はないはずであるが、しかし失敗作イコール何の実りもない作品であるわけがない。

        デブ君の巌窟王(1918)

          大学は出たけれど(1929)

          小津安二郎監督作品。 70分の映画のうち、フィルム現存はわずか11分のみという事で、ダイジェスト版としか捉えようはないが、それでも小津の映画だなぁと思わせる部分がギュッと詰まっている。 鼻の穴でタバコをふかすというバカ行為に及ぶ高田稔。 サンデー毎日。(思わず「毎日がエブリデイだよ!」と叫ぶインターネット老人会の人) 女給として働き始めた田中絹代が、女給としてのモーションと同じく高田稔にマッチをこすってよこして怒りに火を付けるいう、具象的というか具現的というかにこだわ

          大学は出たけれど(1929)

          トランスフォーマー/リベンジ(2009)

          マイケル・ベイ監督作品。 10年以上ぶりに見直して感心した。前作が「アメリカ同士の喰らい合い」の映画なら、今作は「派兵」あるいは「対テロ戦争」を描いた映画になっている。つまりきちんと「アメリカ」についての映画でありつづけている。 極小レベルから極大レベルまでを往還する敵メカ軍団の描写に、「日常に潜むテロリズム」あるいは「米兵の手に負えぬ困難」を読み取る事は十二分に可能なのであり、決して十把一絡げのバカ超大作ではない。ここまで大掛かりに米軍の協力をあおいだ上で、「アメリカ」

          トランスフォーマー/リベンジ(2009)

          トランスフォーマー(2007)

          マイケル・ベイ監督作品。 見事に「アメリカ」を描いている映画だと思う。愚かで、衝動的で、目立ってしょうがなくて、自分勝手で、強欲で、カッコつけたがりで、始末に悪いことに腕っぷしはゴリゴリに強い「アメリカ」。 人間も、正義のロボット群も、悪のロボット群も、みんな「アメリカ」。だから本作で描かれているのは、映画の伝統たる仮想敵(ソ連とか)による侵略のシミュレーションではまるでなく、全陣営が相手をぶちのめして有利を取る事しか考えていないサイアクな内戦、「アメリカ」同士の喰らい合

          トランスフォーマー(2007)

          バッドボーイズ2バッド(2003)

          マイケル・ベイ監督作品。 一周回って、マイケル・ベイの最高傑作は本作なのではないかと、そう思えはじめた今日この頃。 アクションシーンがどれもハイテンションかつ超予算で、全編を通じて見た時にエスカレート感覚に欠ける=映画全体がどこかのっぺりとした印象になってしまっているのは、何の大義名分もなくバカ2人が大暴れするには長すぎる147分のランタイムとともに、本作最大の弱点だろう。 だが、ひとたびマイケル・ベイを作家と捉えると、本作はまるで別の様相を見せはじめる。 ベイは元々

          バッドボーイズ2バッド(2003)

          家電侍(2022・2023)

          西古屋竜太監督作品。 まあ何て事のない低予算テレビドラマなので、何がどうなろうと怒るにはあたらない。私もそこまでコドモではない。 「東映の不死身の鉄砲玉」こと中島貞夫の遺作となった『多十郎殉愛記』は、当然これよりはありものセットの汚しは出来ていたが、屋外部分でありものの手狭さに(たぶん中島貞夫本人は苦笑しつつ)汲々としていたのは変わらなかったナ、と要所要所で遠い目になるばかりである。『多十郎殉愛記』は決して嫌いな映画ではないんですが。 私はリセットオチが嫌いなので、すわ

          家電侍(2022・2023)

          蜘蛛の瞳(1998)

          黒沢清監督作品。 復讐シリーズの最終作に相応しい、すべてを終えてしまった男の辿る道を描いたブラックコメディ……と思わせておいての、実はなーんも終わっていなかったイコール始まってもいなかったお話デシタという壮絶なちゃぶ台返しムービー。 菅田俊演じる謎の組織のトップが言う。 「虚無は不幸じゃない。新しい何かが始まる」 なるほどそういう映画なのか!と飛びつきたくなるこの台詞が、実は完全にフェイクだといういじわるキヨシ。お前、人間らしい心はないのか? 北野武、特に『ソナチネ

          蜘蛛の瞳(1998)

          復讐 消えない傷痕(1997)

          黒沢清監督作品。 1作目『運命の訪問者』を見たのはそれこそ5年くらい前なので、話がつながってるのかつながってないのかもワカラン。 自分から運転すると言い出したくせに「いまどこ走ってんだ? ……ま、いいか」などとほざき、道端の段ボールゴミを車ではね飛ばすヤクザの組長(演:菅田俊)。よーするにそういう映画である。 ポイントは、この哀川翔も菅田俊も、目標達成へのプロセスどころか、脱線だの蛇行だの遅延だのすらをも特段何も楽しそうにはしていないところで、まあ何というか「ゴールに着

          復讐 消えない傷痕(1997)

          クライム・オブ・パッション(1984)

          ケン・ラッセル監督作品。 2本見たら即座に嫌気がさしてきそうだが、この1本だけならまあアリかなと思えた。 トッポい顔をしたジョン・ローリンが、アップの長回しでヘラヘラしたしゃべりから、やがて激昂しはじめる、その顔は汗ばみ、ところどころ照明にきらめいている。 体当たりすぎるキャスリン・ターナーは、なんだこれ『スタア誕生』のパロディか?みたいなサイテーな登場の時点で、女優魂でガンギマリになった顔をしている。 そしてアンソニー・パーキンスは、すげえ良い役者なのにこんな役ばっ

          クライム・オブ・パッション(1984)

          X線の目を持つ男(1963)

          ロジャー・コーマン監督作品。 これは確かに面白い。見世物小屋からベガスのカジノにまで雪崩れ込んじゃう直裁さ、賢しさから距離を置いた下世話ぶりは、コーマンの面目躍如だろうけれど、監督としてはやっぱりゴリゴリの正統派、映画の映画たるを骨身に沁みさせた男なのだと思わせる。 スケスケ目薬を点眼したレイ・ミランドの視点に切り替わる時、ミランドの後頭部から頭を突き抜け目玉にまで至る(風に特撮を交えた)画面にまず驚く。 トリック撮影だけじゃだめ、役者のリアクション芝居を加えてもまだだ

          X線の目を持つ男(1963)

          クリーピー 偽りの隣人(2016)

          黒沢清監督作品。 メジャー進出後のキヨシ映画を無視しつづけるという態度は、さすがにそろそろ無理があるのではないかと観念しての鑑賞。 音と画面は相当良い。相も変わらず鳴り響きつづける重低音ノイズ。川口春奈が過去を思い出しながら語る長回しでの照明のコントロール。ピーナッツをミキサーにかける耳障りな音。私がキヨシを見限った『リアル』より、格段に良い感触の映画になっている。 西島秀俊が、香川照之と藤野涼子が帰ってゆくのを2階から見下ろすくだり。前後のシーンから考えての両家の位置

          クリーピー 偽りの隣人(2016)

          自分の穴の中で(1955)

          内田吐夢監督作品。 黒沢清映画ばりに、相手とまともな会話をしようとしない連中しか出てこない、地獄のド断絶映画。全編これ居心地の悪さに満ちている。そこをさらに突き抜ければむしろ笑い飛ばす気にもなろうところを、もう半歩をあえて踏み込まず、観客の首を真綿で絞める! 脚本家の気分によってはもっと死体がゴロゴロ転がるオチにも出来そうなところを、たった一人しか死なないというのが端的。決して突き抜けない「リアル厭」指向であり、そして人生はつづくという絶望である。 開巻いきなり画面をつ

          自分の穴の中で(1955)

          関東無宿(1963)

          鈴木清順監督作品。 任侠映画のパロディか?と考えがちなところだが、『日本侠客伝』一作目は1964年、『昭和残侠伝』一作目は1965年、『人生劇場 飛車角』ですら1963年3月と、まだブームは到来しちゃいないのである(本作の公開は1963年11月)。 つまり清順には、別に任侠映画を茶化す意図はないのだろう。純然たるひねくれ意識のみで、このヘンテコリンな映画を作っているのだと思われる。 それにしても内容が無い。驚くほどに蛇行的な物語は、付き合った果てに何も語らない。スジのう

          関東無宿(1963)