トランスフォーマー(2007)

マイケル・ベイ監督作品。

見事に「アメリカ」を描いている映画だと思う。愚かで、衝動的で、目立ってしょうがなくて、自分勝手で、強欲で、カッコつけたがりで、始末に悪いことに腕っぷしはゴリゴリに強い「アメリカ」。

人間も、正義のロボット群も、悪のロボット群も、みんな「アメリカ」。だから本作で描かれているのは、映画の伝統たる仮想敵(ソ連とか)による侵略のシミュレーションではまるでなく、全陣営が相手をぶちのめして有利を取る事しか考えていないサイアクな内戦、「アメリカ」同士の喰らい合いなのだ。

そんな阿呆な「アメリカ」に、世界に誇れる何かなんて、果たしてあるものだろうか?

その結論を、マイケル・ベイが出せたのかは、はっきり言ってぜんぜん分からない。そもそもそんなテーマを持って撮っていたのかも分からない。分からないが、ベイは星条旗カラーのオプティマス・プライムに、とにかく堂々と胸を張らせてみせた。

「私の名はオプティマス・プライム……我々はここにいる……我々は待っている……」

この「とにかくそういうモノなんだ、そこから逃げられはしないんだ、だったらせめて胸くらい張るべきじゃないか」とでも言いたげになっているまとめ方には、何か、不思議な感動があると思う。

巨大怪物映画としてスピルバーグの『宇宙戦争』に完全に劣った映画であるという大弱点はある一方で(タメが致命的に足りない)、堂々たる「米軍映画」としては仕上がっており、ベイは悪い仕事をしていない。意識的にか無意識的にかは分からないが、彼は見事に「アメリカ」を引き受けている。

シャイア・ラブーフがミーガン・フォックスを初めて車で送る、その車窓からの風景が完全に白飛びしていて「なんで黒沢清というか『悪魔のいけにえ』風になっとるんじゃい」と笑いながら突っ込み、エンストぶっこいたボロ車が『アルマゲドン』でも出てきたような荒野に樹がぽつんと立ってる謎ロケーションで止まって「ここは何処なんじゃいこんな場所が通学路なんかい」とまた突っ込み、ボロ車のボンネットを開けるとしかし意外や美しいそのエンジン部分に感嘆するミーガン・フォックスが、車中だといまいち醜くしか撮れていなかったのが嘘のように、まさしく「ベイ流美人!」と拍手したくなるケバ美しさで撮れている事に不意打ちされたりもして、これは、決して不愉快な鑑賞体験ではない。

「クライマックスでシャイア・ラブーフにキューブ抱えて走り回らせたいのなら、彼をアメフトの補欠部員とかに設定しないとダメなんじゃないの」と思った数秒後に、「いやあったよ! きちんとそういうシーンあったよ!」と冒頭30分の記憶から逆襲されたことも含めて。

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