X線の目を持つ男(1963)

ロジャー・コーマン監督作品。

これは確かに面白い。見世物小屋からベガスのカジノにまで雪崩れ込んじゃう直裁さ、賢しさから距離を置いた下世話ぶりは、コーマンの面目躍如だろうけれど、監督としてはやっぱりゴリゴリの正統派、映画の映画たるを骨身に沁みさせた男なのだと思わせる。

スケスケ目薬を点眼したレイ・ミランドの視点に切り替わる時、ミランドの後頭部から頭を突き抜け目玉にまで至る(風に特撮を交えた)画面にまず驚く。

トリック撮影だけじゃだめ、役者のリアクション芝居を加えてもまだだめ、画面から画面へのコンポジションで意表をついて初めてヨシ!という映画として織り目正しすぎる態度である。「次にくる画面が、こちらの予想を超えてくる」というのは、映画を見る楽しみでも最大のモノの一つだろう。それは編集の面白さとも言える。

お話の面白さでバシバシ見せてゆく中盤では、才気走った画が物語を邪魔しない事を心がけたのか、この画面の展開や画面の接続で意表を突く面白さは控えめになってしまうのだが、終盤のカーチェイスシーンでまさかのヘリコプター登場、この登場の瞬間に映画の呼吸がフッと変わるというか乱れるというか、とにかく先程までとは感触の違う光景が不意に現れてこちらの瞳を心地良く幻惑する、映画をきちんと知っている者のそんな腕っぷしに、そうそうこれが映画の醍醐味だよなぁコーマンはやっぱり上手えなァ、と舌鼓を打ってしまう。

序盤、お色気描写で軽く笑わせながら観客を引き込もうとするが、意外なことにビーチクが出ない。セクシーな背中のラインを見せるのが最大のサービスでそれ以上は出ない。1963年ならもうラス・メイヤーが暴れ始めてるはずなんだが出ない。『フランケンシュタイン 禁断の時空』でもYES胸元NO乳首な事に驚いたが、ひょっとしたら師匠、弟子には色々言う癖に自分は結構シャイなところがあるのか?

見えすぎるようになった結果、見えないのと同じになってしまうという皮肉(有刺鉄線に引っかかる!)から、宗教的な恐ろしさにまで話がエスカレートした後、ガバッとレイ・ミランドの顔を見せた瞬間に終わる、そのショックと目にも止まらなさ加減、「俺はいま何を見たんだ?」と動体視力を問われるような幕引きの仕方もグー。

ところで最後に、私がこの映画を初めて知ったのはスティーブン・キングの長い長いエッセイ本『死の舞踏』でだったのだが、そこでキングが本作について書いていたエピソード(十中八九作り話)がとても印象に残っているので、うろ覚えの記憶からその部分を引用してこのレビューを終える。映画的には上記のラストカットのが良いと私は思うけどネ。

この映画には、恐ろしさのあまりカットされたラストシーンが存在するのだという。

それはまさしく、本作の締めくくりにはこれ以上ないと言える、極めつけの台詞だった。

とうとう己の目をくり抜いてしまったレイ・ミランドは、目の無い顔を絶望に顔を歪め、こう叫ぶのだ。

「まだ見える!」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?