トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン(2011)

マイケル・ベイ監督作品。

前半は「戦争後遺症」の映画、後半は「本土決戦」の映画。マイケル・ベイが映画で「アメリカ」を表現するトランスフォーマーシリーズ、堂々の完結編である(あと2本あるけど明らかにこれでケリをつけるつもりだったろう)。

最終回に相応しい陰惨でハードな風味が強く、やれ『メカゴジラの逆襲』だの『新座頭市物語 折れた杖』だのを思い出す。本シリーズの下敷きになったろうスピの『宇宙戦争』から、とうとうそのまんま描写を引用しており、ベイが相当にボロボロになりながら映画を作っている事が伝わってくる。それでも最後まで走り切ったんだから大したものである。

正直、ここまでシリーズが続いてくるとシリーズ全体を貫くテーマを見出すのもむつかしくなってくるのだが、ロシア人の集う秘密クラブみたいなところでジョン・タトゥーロのお付きの人(演:アラン・デュディック)が「昔の癖で」とか言ってヤバげな目をしながら銃を振り回し始めたところで、「ああこれはイラク戦後の映画、PTSDの映画なのか」と得心がいった。

シャイア・ラブーフが就活にあえいでいるのも「戦争後遺症」の一種と解釈が可能なワケで、つまり本作もまた「米軍にまつわるアレコレ」を描いた映画、「アメリカ」についての映画だ。イヤァ、これで私のボロボロになりながらの強弁も一応のゴールとなるワケだヨカッタヨカッタ。

さて、今回シリーズ3作をまとめて見直して思ったは、このシリーズ、マイケル・ベイという作家が「俺のテーマはアメリカだ!」という事を自覚したという意味において、映画史において割と重要な作品なのだなという事だ。

ベイのフィルモグラフィーを俯瞰してみれば、『トランスフォーマー』以前は無テーマな娯楽作なのに対し、『トランスフォーマー』以降は「アメリカ」を描こうとするようになったというのが、火を見るより明らかだろう。

一人の男にその力を振るう方向を示唆したのが、どこまでも金儲けの為だけでしかない、彼のオリジナル企画でもない、この巨大フランチャイズの一本だったのだ。まったく、人間どこに啓示が潜んでいるか分からないものである。

と言いつつ、私は『アイランド』を実は未見なので、この論はまだひっくり返る可能性もあるのでしたどっとはらい。

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