自分の穴の中で(1955)

内田吐夢監督作品。

黒沢清映画ばりに、相手とまともな会話をしようとしない連中しか出てこない、地獄のド断絶映画。全編これ居心地の悪さに満ちている。そこをさらに突き抜ければむしろ笑い飛ばす気にもなろうところを、もう半歩をあえて踏み込まず、観客の首を真綿で絞める!

脚本家の気分によってはもっと死体がゴロゴロ転がるオチにも出来そうなところを、たった一人しか死なないというのが端的。決して突き抜けない「リアル厭」指向であり、そして人生はつづくという絶望である。

開巻いきなり画面をつんざく不協和音にビビり散らす。『フレンチ・コネクション』かと思った。芥川也寸志ってこういう音楽の使い方する時によくお呼ばれする人材っすね。

会話の断絶ぶりがとにかくえぐい。全シーン全会話で、スムーズなコミュニケーションが為されない。構図⇄逆構図の切り返しも、リレー的な自然さではぜったいつなごうとしない。序盤、そんな厭すぎる会話の後、北原三枝と月丘夢路が画面の上手下手に別れて退場する時点で、「これはヒデェ事が起こる」と確信させる。

三國連太郎の手にタバコを押し付ける月丘夢路の色っぽさに比べて、北原三枝がもう一つ魅力に欠けるのが欠点か……と思っていたところで、ラストの喪服姿。これが大層美しく、オッと思わせたところで、ニヤニヤした三國に「喪服が似合うネ」と言わせる! なんて底意地の悪さだグエエエー!

空を猛スピードで横切る飛行機のシルエットは、やっぱりアニメで描いている。吐夢の不思議な性向。

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