僕もあなたも、美しい
僕は一時期、強く変わりたいと思っていた。一年前くらいまで思っていたかもしれない。切実だった。今の状態から抜け出して、別に人間に変わってやるんだ、そう思っていた。
その願いの根底にあったのは劣等感だった。仕事の能力、容姿(フッションや体型)、芸術的センス、知識や頭の良さ、コミュニケーション能力、恋愛など、全てが下手だと自負していた。「あの人はなんであんなにかっこいいのだろう」「僕はなんであの人みたいに賢くないのだろう」と悩んでいた。劣等感をぶち壊したい、新しい自分に変わりたい、切実にそう願っていた。意気込んでいた。
僕は間違っていた。
過去にうつ病を持っていた友人と話していた。なぜか分からないけど「劣等感が嫌だ、変わりたい」と彼女に話していた。彼女は僕の目をじっと見つめて話を聞いていた。身体を前に傾けて、熱心に、真摯に僕の思いを聞いてくれた。聞き終わったあとに、こう言った。
「そういう次元の話じゃないかも」
うつ病を抱えているなら、僕のことを理解してくれると思っていたから、初めは少し狼狽えた。反論聞こえたから。僕は彼女が何を言っているか、理解しようとした。性格な言葉は覚えていないけれど、彼女はこんなことを言っていた。
「そういう次元の話じゃないかも。私はうつ病だったとき、変わりたいと思っていたことがある。でもそのときずっと苦しかった。結局その考え方で回復はしなかった。変わりたいと思って色々努力しているあなたは健気だ。でもそもそもが間違っているかもしれない。変わりたいどうこうじゃなくて、受け入れないといけない。自分を受け入れて、『自分は素晴らしいんだ、自分は美しいんだ』と思うところから始めないといけない。『劣等感』『変わりたい』という言葉は、人と比べてしまっているから出てくる言葉だよ。比べる、という行為はダメ。比べる土俵に立ってはいけない。誰が優れていて、誰が劣っているか、そういう次元とは別のところに自分を置かないと。今は理解するのが難しいかもしれないけど、根本のところで、考える次元を違うところにおかないと。私はそうすることでうつ病から回復したよ。『自分は自分、人は人。自分は特別で自分は美しんだ』って思うことで、それから楽になったよ」
僕は理解しようと必死だった。当時は言葉の表面を拾うことはできたけど、本質は理解できていなかったと思う。「そうだよね」と頭では理解できていたけど、腑に落ちていなかったのかもしれない。本当の意味を、理解できていなかったのかもしれない。それから一年弱経った。適応障害になって、会社から要らないと言われて、色んな人の言葉に触れて自分と向き合って、少しずつ、身体感覚を伴って、理解できてきた気がする。
特別になりたい気持ちは誰にでもある。例えば同窓会で「あいつそんなことやってるの、すげー!」って言われているところを見ると羨ましくなったりする。SNSをやっていると、すごい人に見られたい、偉いことをしてる人だと思われたい、と少し着飾ってしまう。
でもそれって気を付けないと人と比べて優劣を付けてることになる。人に憧れて「僕はこんなだ」と自分を責めていたら、どれだけ成功しても劣等感は一生続く。全部のことで、世界の人全員に勝つなんて絶対に無理だから。もし「あの人よりは優れている」と感じることができても、あたなより優れている人がまた登場する。そしてまた劣等感を抱く。その悪循環なのだ。比べる、劣等感の呪縛からは逃れられない。
そう、比べないこと。普通でもいい。あなたにとってあなたはもう既に特別だ。すごいことを成し遂げなくてもいい。社会の中だと、誰かがあなたの評価を勝手に決める。SNSには「承認されたい、評価されたい」という欲求が渦巻いている。だから、人に評価されること、人より優れることが大切だと勘違いしてしまう。優れる欲求、評価される欲求が強くなってしまう。
でも評価なんて、美しさなんて、質なんて、ある特定の時の、ある特定の人たちの評価。時間の流れで変わるし、別の人たちが見ると違った評価になる。だから評価なんて気にしなくていい。あなたはあなたのままで美しく、特別なのだ。自分は自分、あなたはあなた。評価する、比べる、という次元の外に自分を置かないといけない。
そう、いろんなベクトルの美しさがある。誰かの美しさの刷り込みに負けそうになって「かっこよかったらな」「イケメンだったらな」って思っちゃうこともあるけど、今のままで美しい。あなたも僕も、みんな今のままで完璧。ブスなんかいない。誰がなんと言おうと、欠けてるものなんてない。完璧で美しい。
もしかしたら他の人のベクトルの美しさが、絶対的美しさだと勘違いしてしまうかもしれない。他者の評価で自分の価値基準が歪み自分を否定し自信を失うかもしれない。他の人の「かわいい」「かっこいい」がスルッとあなたの心に入り込んで刷り込んでしまうかもしれない。自尊心を傷付けるかもしれない。比べてしまうと、自分が人より敏感だと勘違いして、自分だけが辛いと考えてしまう。被害者意識で自分が中心で苦しんでると思ってしまう。でも、他の人に戦ってる。みんな戦ってる。
あの人の人生の主役はあの人で、僕の人生の主役は僕、あなたの人生の主役はあなた。比較して優劣をつけるのではなく、そのままにしておく。「あ、そういう考え方もあるんだ」って受け止める。受け入れなくていい、受け止めるだけ。色々なベクトルの美しさがある。あの人も美しいし、あなたも美しいし、僕も美しい。
みんな辛い、みんなしんどい、みんな生きてて偉い、みんな美しい。あの人はあの人、僕は僕、あなたはあなた。あの人の価値観はあの人が大事にしてること、あなたの価値観は別であってもいい。無理に周りに合わせなくてもいい。
「憧れる」「比べる」というのを止めると、少し頭がクリアになった。心が解放される気がする。思考の癖だからすぐには慣れないかもしれないけれど、もし比べたり憧れたりして、劣等感を抱き優れた存在になりたいと思っている人は、ぜひ次元を変えてみてほしい。評価するされる、比べる比べられる、の土俵から離れて、「人は人、自分は自分、みんな美しい、僕は美しい、私は美しい」という次元に身を置いてほしい。
それができると、心が楽になると思う。精神が解放された気分になると思う。幸せになると思う。より美しくなると思う。
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