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    YORISOIの学びをして得たもの

2つ目は

“その人そのものを信じる”

ということ。

先日 

という記事を書きましたが、
こどもに限ったことでなく 感じていた “信じること” というタイトルでも書こうと思っていたのですが、YORISOIの学びをして得たもの のほうに
まとめて書こうと思います。

“その人そのものを信じる”

これは ひとつ前の “ジャッジを手放す” とも通ずるのですが、
その人をジャッジをしないでとらえる のもそうですが、
境遇や立場、あり方、状態等に関係なく、
そのままの その人を信じる ということです。

例えていうなら

危なっかしいことばかりしている人を
あの人大丈夫かなぁ・・・ こうのほうが人生スムーズだろうにと思って 余計なお世話を言ってみたり

こどもがしていることに対して 大人目線で 危ない!と 見守るより先に口が出てしまったり、心配心から 制限してしまったり

鬱状態や引きこもっている人に対し 心配したり・・・ 

もちろんそれぞれ 必ずいけない! という事ではないし、
近しい人ほど 気にかけたり心配したりするもので それば自然なことだし
それも愛ゆえにだと思うのですが、

その心配やあれこれが 時に その人の為の動きを抑制してしまったり、心理的に縮こませてしまうこともあるなぁ と 

その人そのものを信じる

これをふまえた上で 自分や周りの人の人生を振り返った時に思いました。


私自身のことでいうならば 母が早くに他界し、女姉妹だったのもあり、
大切がゆえにはわかるのですが、私も 妹も とにかく父から心配のエネルギーをたくさん振りかけられてきて 新たなことに踏み込むよりもあれこれ考えて引き留まりがちな癖みたいなのがあり、
心配はするだろうけれど “私なんだから大丈夫だよ この本当の私の部分を理解して 信じてほしいなぁ” どこかにそんな気持ちを抱えていたことが 甦ります。

また、妹が産後鬱になった際のことを思い返すと、
妹の旦那さんも 父も そして 私も、その他の人たちも
みんながみんな 心配 の気持ちで妹を捉えていたなぁ と。
周りに鬱の人がいたら そりゃ大体の人は心配することかと思いますが、
“鬱であるその状態も問題ないよ、それもOKだよ” って
この例に限らず どういう状態であっても その人そのものを信じてあげること

それこそが必要だったんじゃないかなって。

また笑顔が戻るようにと願うけど、 そりゃ願うのも自然なことだけど 
先が見えないと 周りも疲弊するし、本人の為にも早く元に戻してあげられたら と思ったりすることもあるけれど
(そもそも してあげられたらって 人は誰かによって変えられるものでなく 自分自身によってしか根本のところは変えられないけれど)
そう思う気持ちや 周りの心配心が 今ある“自分の状態はいけないんだ”と本人をより自己否定させてしまうことも あるなぁ と。

その人がどういう状態であっても その人そのものを信じる

それはただ 在る だけで 素晴らしい
その 在る という 光を信じること。

この感覚を理解すると どんな命も愛おしくなります。

私はこのYORISOIの学びを通して得たものを大事に
必要とする方に寄り添います*

YORISOIとはなんぞや?
と思われた方は 先の“ジャッジを手放す”のほうにございますので
コチラをご覧ください☺

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