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もう一人の自分と仲良く生きる

こんばんは、ヨーペイです。

今日は、
いざという時に自分を
助けてくれるのは他人でしょうか?

こんなツイートをしました。

いざというとき自分を
助けてくれるのは他人でしょうか?
いえ、自分です。
たとえば毎日書いてるnoteやツイート。
過去の記事は自分が書いた感覚がありません。
自意識から解放されてるせいでしょうか?
過去に書いた記事が現在の自分を
救ってくれる事もあります。
これがもう一人の自分なのかもしれません。

結論を言えば、自分です。
さらに言えばもう一人の自分です。

■もう一人の自分

よく聞く言葉ですが、
抽象的でよくわかりませんよね。

とらえ方は、
人それぞれかもしれませんが、
自分の中で一つの答えを見つけました。

もう一人の自分とは、
メタ認知のことである

自分のことを客観的に見つめる
もう一人の自分。

しかし、
現在という時間の中だけで
そんなことが本当に出来るのか?

あくまで私の仮説ですが、
メタ認知=もう一人の自分を
出現させるには過去と現在を、
行き来する必要があります。

毎日noteやTwitterで、
自分の想いや考えを発信していると、
そのときは自意識がとても強く、 
メタ認知状態とは程遠い感じです。

しかし時間が経つとどうでしょうか?

私は最近自分が書いた
過去noteを読むことが増えました。

その理由は、

またこんなことで悩んでる…
そう言えば前にnoteで何か書いてたな…

こんなモードになったとき、
自分で、過去の自分に相談するような
感覚で自分のnoteを読みだしたのです。

noteを書くとき基本的には、
ペルソナを想定しているものの
元々は自分に向けて発信してました。

現在の自分が、
過去の記事を読むと、
こんなこと書いてたっけ?
というくらい記事の内容と自分との距離が
広がっていることに気づいたのです。

完全に自意識から解放されている

そんな状態で過去の記事を読むと、
胸に刺さることがありました。

過去の自分は、
自分というペルソナに向けて
記事を書きます。
現在の自分は、
過去に発信された記事を
もう一人の自分として、
読むことができます。

この瞬間に、
もう一人の自分に会えた気がしました。
お互いメタ認知状態ですね。

もう一人の自分が自分を見つめるという
行為は今現在だけで出来るものではなく、
過去と未来の自分を行ったり来たりする
必要があるのかもしれません。

自意識の中では、
もう一人の自分には会えない

■まとめ

毎日noteを書くって意味あるのかな?

そんなことを考えている人は、
案外多いと思いますが、
私の出した結論ではnoteを書くことは、
もう一人の自分(メタ認知)に会う為の、
扉を開けるようなイメージです。

長く書けば書くほど、
古い記事から順番に自意識から解放され、 
よりメタ認知状態に近づくことが
出来るのかもしれません。

過去の記事は、
今よりもっと文章も未熟ですが
なぜか自分の心に響きます。

今日も気持ちが乗らずに、
思考グルグル状態に陥ってました。

そんなとき読んだ記事が、

考えるより、行動しよう

当時の自分のお気に入り記事です♬

その記事に背中を押されて
今日はもう一人の自分というテーマで、
記事を書くことが出来ました。

このように、
私はnoteのおかげでメタ認知=
もう一人の自分と出会うことが
できたのかもしれません。

だからこれからも、
毎日noteを書きつづけ、
もう一人の自分と仲良くしながら
生きていきたいと思ってます☆

宜しければ、サポートをお願い致します❗️より良い記事を書く為のエネルギーにさせて頂こうと思います😋