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「夢に向かって努力すべき」…それってほんと?



こんにちは!YOKU STUDIOの中の人です。




突然ですが、みなさんには「夢」はありますか?

子供のころは、「将来の夢」について聞かれることが多かったですよね。

大人になると「夢」を意識する機会は減りますが、なにかしらの「夢」(起業、独立、アーティスト活動、資格取得など)に向かって頑張っている人が評価される、という図式はたしかにあります。

「夢がない」と言うと、なんだか冷めていて、努力していない人のように見られてしまう…ということもしばしば。



けれど、この「夢に向かって努力すべき」という風潮が、私たちにストレスをもたらしていることも、少なからずあると思うのです。

「夢」が見つからないことに対して自己嫌悪におちいったり、あるいは、無理やり掲げた「夢」が強いプレッシャーになってしまったり…



そこで今回は、「努力して行き着くべき対象」としての「夢」、という捉え方を、YOKU STUDIO的に解体、アップデートしていきます!

提案したいのは、いまここを生きる自分の「欲」の延長線上にあるものとしての「夢」の可能性です。




・「夢なんてひとつもないよ 何が悪いの?」



今回、「夢」に関する記事を書いてみたいと思ったきっかけは、電車通勤中、Spotifyで音楽を聴いていた時、偶然流れてきた楽曲のこの一節でした。


夢なんてひとつもないよ
何が悪いの? 今がすべてだもん
ゆるめるモ!「夢なんて」(2015)


アイドルグループ・ゆるめるモ!("あのちゃん”が所属していたことでも有名ですね)の楽曲、「夢なんて」です。

シンガーソングライター・ミドリカワ書房として知られる緑川伸一が、作詞・作曲を手掛けています。



なんだかドキッとさせられる歌詞です。

あのちゃんが歌う、冒頭の「夢なんてひとつもないよ」という部分だけを聴くと、「なんだか冷めた子だなあ…」「やる気ないのかな?」などと思ってしまいがちですが…

実はこの曲の主人公(おそらく、高校生くらいの女の子の設定だと思います)は、彼女なりに色々な葛藤を抱えているんです。


なんとなく 毎日が過ぎ
とはいえそれなりに 必死でさ
朝っぱら 電車に乗って
学校に行くだけでも 一大事

ヘットヘトよ なんて世界だろう
ヘットへトよ 今を乗り切るので精一杯だ
ゆるめるモ!「夢なんて」(2015)


その日その日を自分なりに頑張って、でもルーティンをこなすだけで精一杯で、エネルギー枯渇状態の主人公の姿が、ありありと浮かび上がってくるような歌詞です。

そして、そんな彼女が何を思っているかというと…


夢 夢 夢 うるせーなもう
恋はしてるもん それでもう充分じゃん

さあやりましょ 目の前のこと
まずはお昼寝 今がすべてだもん
同上


この曲を最後まで聴くと、「夢なんてひとつもないよ」という冒頭の歌詞の解釈が、また変わってきます。

目の前のことでいっぱいいっぱいなのに、そこから「夢」を見出す余裕なんてあるわけない!

それが彼女の心の叫びなんです。


「夢」に関する、非常に今っぽい感覚を、丁寧に描き出した名曲だと思います。



(MVの雰囲気も素朴かつアンニュイな感じで良いのです…!)



・「立派な夢を持つべき」という思い込み



私は仕事柄、大学生と関わる機会が多いのですが…

「夢なんてひとつもない」学生、そして「夢なんてひとつもない」ことにコンプレックスを抱えている学生というのは、やはり一定数存在するように思います。

彼らがなぜ「夢」を見出せないかというと、そこには2パターンの思い込みが存在しているのではないか、と思うのです。



まず一つ目は、「立派な夢を持つべき」という思い込み。

「夢を持つことが大事だ」「夢に向かって努力しろ!」といった言葉は、特に学生時代によく言われますよね。

そうすると、自分が持つ「夢」は、親や学校の先生に認められるような、なにか素晴らしいものでなければいけない、という思想が生まれがち。

たとえば、社会的に尊敬されるような職業につくとか、世界を股にかけて活動をするとか、難関大学に合格するとか…



でも、普段の生活を送るなかでは、そのような「立派な夢」に対してなかなか現実味を感じづらいものです。

自分が具体的に感じる「やりたいこと」=「欲」と、「立派な夢」が、全く結びつかないように思えてしまう。

だから、「夢なんて」の主人公のように、「夢」を持つことを強制してくる大人や社会に対して反発が生まれるわけです。



あるいはこの、「立派な夢を持つべき」という思い込みが、自分自身の体感を無視して、頭でっかちに考えた最適解を「夢」に設定する行為につながることも多々あります。

たとえば優等生タイプの人は、社会的に評価されるような「立派な夢」を自分も持とうと試み、それに向かって努力しがちです。

しかし、体感的にその現実味を感じられないままに、自分の未来像として「立派な夢」を設定することは、結果的に自分自身を苦しくしてしまいます。



真面目な学生が、「社会的に認められる」「人を助けられる」そして「お金が稼げる」といった理由から、「医者になる」という「夢」を掲げ、そこに向かって努力しているとして。

進み行きが順調なうちは良いですが、なにか上手くいかないことが出てきた時に、その人はものすごいストレスを抱えることになると思うんですね。

つまり、その人がそもそも「医者になる」ということにリアリティを感じていないと、実際そこへ向かうモチベーションというのは生まれてこない。

モチベーションを無理やり捏造しようとしても、やはりそこには限界があるんです。



幼少期〜学生生活を通して、私たちのなかに構築されていく「立派な夢を持つべき」という思い込み。

けれども本当は、いまの自分にとって「実現できるかもしれない」というリアリティがたしかに感じられ、自然にモチベーションが高まっていくような身近な未来像こそ、「夢」としてはふさわしいのではないでしょうか。




・「自分はなにもしたくない(できない)」という思い込み



もう一つ、「夢なんてひとつもない」という感覚の原因となっているのは、おそらく、「自分はなにもしたくない(できない)」という思い込み。



「立派な夢」を持つことに反感を覚えている「夢なんて」の主人公は、自分がしたいことといえば「ゴロゴロして なーんにもしない」ことだし、強いて言うなら、家政婦さんにすべてお任せできる「お金持ちの奥さん」になりたい(!)とすら語ります。

これってすごく正直な感覚だと思うのですが、実はこの子は、「なにもしたくない」人として自分をキャラ付けしているのでは…?という気もしてきます。



もちろん、毎日の生活に疲れ切っている時におちいる「なにもしたくない」という感覚は、誰しもが経験していると思います。

(私もよくあります!休みが全然とれない時など、「なにもしない休日」に逃避することで頭がいっぱいになります…笑)

しかし、もし充分に身体が休まり、エネルギーが回復したとするならば、私たちの内部には「なにもしたくない」を超え出すような、なにかしらの「やりたいこと」=「欲」が生まれてくるはずなんです。

こういうご飯が食べたいとか、あんな場所に行ってみたいとか、この映画が観たいとか、あの人に会いたいとか…

それくらいの本当に些細なものであっても、人は必ず「欲」を感じるからこそ、「なにもしたくない」という静止状態から抜け出して、能動的に活動できるわけです。(もし私たちに全く「欲」がなかったら、すぐに死んでしまうでしょう…)



「自分はなにもしたくない」という感覚は、実は、「自分はそういう人間だ」という決めつけによって、自らの「欲」に気づけずにいるからこそ生じるのではないでしょうか?

しかもそのような決めつけは、「自分はなにもできない」というネガティブな自己規定に由来している可能性も高いのです。


「自分はなにもしたくない(できない)」というキャラ付け、思い込みをいったん外してみれば、私たちのなかからじんわり湧き上がる「やりたいこと」=「欲」を、丁寧に拾い上げることができます。

そして、そのようにして「欲」を拾い上げることこそが、いまここの自分自身から分離せずに、自然な形で「夢」を描くための、第一歩なのです。




・「夢」は「欲」の延長線上にある



いまここを生きる自分の「欲」と結びついていない、頭でっかちな「夢」をどれほど描いたとしても、ストレスになるだけ。

「夢」は本当は、「欲」の延長線上にあるものなのです。



YOKU STUDIOのキャリアコラムでも、自分自身の持っている色眼鏡を外し、様々な可能性を拾い上げられる状態を作ることこそ、軽やかにキャリア構築をしていく上で重要なのだと指摘されていました。


キャリア構築だけではなく、あらゆる「夢」や「目標」の設計においては、思い込みから自由になって、本来は可能性の宝庫であるはずの自分自身を、フラットに見つめることが、まずもって大切なのではないでしょうか?

社会的なルールとか、自分のキャラ付けとか、そういった制約をまずは取りはらって、自分自身の(それこそ身体感覚に近いような)「欲」を発見してみる。そこが、スタートラインなんです。



「夢」へとつながる「欲」なんて、そう簡単に見つからないんじゃ…と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

けれども、どんな些細な「欲」であっても、「夢」のカケラになり得ます。




たとえば、「食べたい」という自然な「欲」が強い人の場合(「ストレスで食欲が止まらない…」というように、何かしらの苦痛を伴った行為としてではなく、食べることを心から楽しめる人のことです)。

「美味しいものをたくさん食べたい!」というシンプルな「欲」は、「グルメ情報の発信をしてみたい!」、「料理の勉強をしてみたい!」、「食べ歩きのガイドをしたい!」、「世界の料理に関する知識をつけてみたい!」、「お気に入りの飲食店で働いてみたい!」…というように、様々な具体化の可能性を持ちます。

そのようなたくさんの可能性のなかから、ぼんやりと見えてくる未来像こそが「夢」なのだと思うのです。


人間の「欲」はそもそも流動的であるのだから、その延長線上にある「夢」も、固定化する必要はありません。

「夢なんてひとつもない」のではなく、きっと、「夢は無限にある」😌

人生のなかで様々に移り変わりながら、それでも常にリアリティのある未来像であり続け、前向きなモチベーションを喚起してくれる「夢」を持つことは、私たちにとってとても有益なことなのではないでしょうか?



「夢」は、いまの自分と分離した、努力して行き着くべき対象ではなく、いまの自分とシームレスに繋がるものだからこそ、価値があるのだと思います!




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