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僕はできる

「千マイルブルース」収録作品

能登半島地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また救援、復旧、医療活動に尽力されている皆様に深く敬意を表します。

人を助けられるのは、人。
そんなテーマでもある今回の掌編を、無料で公開させていただきます。


僕はできる

「僕、カンっていいます、スガって字の菅。オフ車に乗ってて、東京から来て、それから、それから……」
 男は戻ってきて勢いよくそう言うと、下を向いてしまった。黙って見ていると、なにかを打ち明けたい、聞いてもらいたいという表情が持ち上がる。俺はトリスをどけて、隣の席を空けた。
「……まあ、座りなよ」
 俺は苫小牧行きフェリーの船内にいた。そしてこの男を、乗船した時から気にかけていた。いつも通路のベンチに座り、ライダージャケットの背を丸め、うつむいている。時にはぶつぶつと独り言も。これから北の大地を走るのだという高揚感はまるでなく、それどころか船が進むにつれて表情が沈んでゆく。年齢は三十代半ばか。
 どうにも気になった俺は隣に座り、行先やバイクの話をふってみた。だが、適当な返事をされ席を立たれてしまった。ならば関わるのをやめようと、ひとり酒盛りの準備を始めたところだったのだ。
 俺の隣に座った菅は、どこから話してよいのかといった、戸惑う表情をしていた。俺は言葉を待った。ようやく、菅の唇が開く。
「……じつは僕、道南のあるキャンプ場で知り合った男に、これから会いに行くんです。十年ぶりに」
「へえ、十年ぶりに」
 身を乗り出した俺とは対照的に、菅は縮こまり、力なくポツリポツリと語り出した。
 会いに行くというその相手は、ヒッチハイクで『自分探し』の旅をしていた男らしい。同い年ということもあって気が合い、兄弟のように仲良くなったという。名前は「冬彦」。本名ではないが、そのころ話題になったテレビドラマの登場人物に似ていたため、各地のキャンプ場でそう呼ばれていたらしい。
 そうか、と俺は頷いた。
「そりゃあ、キャンパーネームだな。その人の特徴からつけられる、旅人のあだ名」
「そう言っていました。それで僕は、『カンちゃん』とつけられました。冬彦に」
「そのまんまじゃん」
 そう言った俺に、菅は小さく苦笑した。
「本名からではなく、缶詰ばかり持っていたからなんです」
「なるほど、カンヅメの缶ちゃんね。ともかく、カンちゃんと冬彦か」
「はい。それで冬彦ですが、彼はずっとひきこもりだったらしいんです。で、自分を変えるために、一念発起して旅に出たと言っていました。少し引っ込み思案なところがありましたが、旅が長いらしくて、野営のノウハウをいろいろと教わりました」
 そして菅が東京に帰る前日、あえて互いの連絡先を交換せずに、代わりに再会を誓い、タイムカプセルを埋めたと話す。その約束した十年後の日に向け、菅は今回出発したらしい。
 そいつはロマンではないか。ワクワクもする。なのに、なぜそのように沈んでいる? ともあれ……。
「道南ってことは、厚沢部あっさぶとか函館あたりのキャンプ場?」
 いえ、と菅は視線を床に落とした。
「奥尻島です」
 俺はハッとした。たしか今年で、というより今週で、あの北海道南西沖地震から十年になる。ニュースで特集をやっていたのだ。
「ということは、まさか……」
 菅が重たそうにおもてを上げた。
「冬彦は、海岸に場所を移しもう数日いるつもりだと言っていました。別れ際に。あの地震の大津波が島を襲ったのは、その二日後です。僕は帰りのフェリーの中で知りました」

 東京に戻った菅は、早速島民の安否情報を集めたという。しかし冬彦の本名も本籍も知らない。それどころか大変なことに気がついた。冬彦は、島民に頼みトラックの荷台に隠れて島に渡ったと言っていたのだ。つまり旅行者としてカウントされていない。もしその島民が被害に遭っていたり、そのことを黙っていれば、冬彦の存在は誰も知らないことになる。だが、震災の直前に島を出た可能性も充分にある。しかし、どちらにしても……。
「そう。知るすべがないんです。十年後まで」
 菅が暗い響きで言う。その後は海外出張や家庭の事情もあり、奥尻どころか北海道にも渡っていないと菅が続ける。さぞ長い十年だっただろう。でも……。
 俺は菅に膝を向けた。
「なんで、タイムカプセルなの?」
「丁度、奥尻島の『うにまる公園』の完成時期で、タイムカプセルが埋められていると知りまして。じゃあ僕たちもどこかに埋めようかと。僕はもう帰るだけだったんで、いろいろ入れました」
「なに入れたの? つうか、容器はどうしたのよ?」
「容器は僕の丸型の飯盒はんごうです。あいつはたしか、熊よけの笛とかそんなものを入れて。僕はミリタリーマニアだったので、密封された米軍の携行食やバンダナ。あと、ポケットウイスキーやアーミーナイフなんかも入れた記憶があります。それを高台の山中に」
「深い穴を掘って?」
「はい、サバイバルナイフで。安物ですが、ハンドルに細引きを巻き、シースのポーチに防水マッチや蝋燭ろうそく絆創膏ばんそうこうなんかを入れていました。でも普通のキャンプでは使い道がないんで、ふざけてシースの裏に名前を彫って、冬彦にあげました」
「なるほどなあ……」
 俺は頷き、顎をさすった。
 こいつが、約束の地を前に、心が浮かない理由はよくわかった。冬彦が姿を現さない可能性があるのだ。つまり、この世にいない可能性が。だが俺には、どうにもそれ以上の心のしおれを感じる。床に向きぶつぶつと小声を発していた時など、病んでいるようにさえ見えたのだ。俺は、失礼だが、と菅に訊いた。
「もっと、なにか抱えているように見えるんだがな」
 菅は間を置き、自信がない、とつぶやいた。親しい友人に裏切られ、突然リストラされ妻にも逃げられ、信じていたものがすべてなくなった、ここまでの自分はなんだったのか、自分が何者なのかわからない、と苦しそうに言う。
「いったい僕は誰で、どこに向かえばいいのか……。皮肉なことに、今の僕はあの時の冬彦に似ています。今頃になって、自分探しをしているんです。今度は逆に、あいつに励まされたいのかもしれません。そのために会いたいのかも……」
 俺は、かける言葉が見つからなかった。菅が続ける。
「まあ、冬彦が生きていればの話ですが……」
 力なく立ち上がる菅に、俺は帰りのフェリーの日時を訊いた。
 ぶあつかった湿気が、菅の細い背中とともに、ひっそりと消えていった。
 
 北海道に着き、俺は道東にハンドルを向けた。毎回必ず行く、大好きなキャンプ場があるのだ。そこで終日、なにもせずにのんびりと過ごす。心身の虫干しだ。しかし今回は、そのキャンプ場でいくら寝転がっていても、菅のことが頭から離れない。これでは、虫干しどころか生殺しだ。俺は結局予定を変え、菅の乗る大洗行きにギリギリで乗船した。

 船内で菅のあの、憂鬱顔を捜す。すると先に見つけられてしまった。キョロキョロしながら歩く俺に、菅が声を張り手を振ってきたのだ。これでは気づきようがない。まるで別人なのだから。白い歯を見せ背筋を伸ばし、数日前のあれはなんだったのだと思わせるほど、明るい。結果は推して知るべし、か。
 俺はつられて笑い、菅の肩を叩いた。
「どうやら会えたみてえだな、よかったじゃねえの、冬彦が生きていてよ」
 菅は笑いながら首を振った。横に。
「それが、ダメでした」
 俺は絶句した。すると菅が慌てた様子で言葉を継いだ。
「いや、生きていたんですよ。でも今、アフガニスタンにいるらしくて」
 アフガン?
「ちょっと待て、ワケがわからん。だいたい、どうやって消息を知ったんだ?」
「えーと……」
 頭を整理している様子の菅の袖を、俺はテーブル席に引っぱった。イスに座らせ、膝をぐいっと詰める。いったい、どういうことよ?
「えーとですね。タイムカプセルを埋めた山で待ってたんですよ、冬彦を。でもやっぱり来なくて。それで諦めて土を掘ったら、ないんです」
「十年前に埋めたはずのタイムカプセルが?」
「はい。場所は、地図を残していたから間違いありません。そしたら突然、薮の中から、いかついオジサンがナイフを手にして現れまして。いやあ、あの時はビビりました……」
 なんだかヘンな展開だ。俺は身を乗り出した。
「で?」
「で、そのオジサンが僕の名を言うんです。カンって君かって。頷くと、ナツヒコから頼まれた、と手紙とその持っていたナイフを差し出してきて」
「ナツヒコ?」
「そう呼ばれていたそうです。島で」
 ますますわからん。俺が首を傾げると、菅がバッグから手紙を取り出して見せてきた。キレイとはいえぬ字が、便箋数枚にビッシリと書かれている。菅に断り読みだすと、やっと話が見えてきた。
 
 冬彦は菅と別れ、やはり海岸にテントを張っていたのだ。しかし手持ちの十徳ナイフをなくしてしまい、タイムカプセルに納めた菅のアーミーナイフを借用しようとし、ヘッドランプをつけ夜の山に登った。そして菅に貰ったサバイバルナイフでタイムカプセルを掘り起こした時、あの地震に遭ったらしい。手紙には、緊迫した防災無線や、不気味な轟音を上げて押し寄せる津波の様子が生々しく書かれている。そうして遠くに上がる火の手……。読んでいて俺は唸った。なんと幸運な男なのだ、こいつは。俺は先を読んだ。
 眼下の災害を目の当たりにした冬彦は、急ぎサバイバルナイフと飯盒を抱え、「まるでホウキで掃いたような」町へ降り立った。そして余震と暗闇の中、島民たちと一緒になって不明者や怪我人を捜索し救出。その時に、飯盒の中に入れた熊よけの笛が大いに役立ったらしい。さらに近くの小学校に集まった住民を介護した際には、やはり飯盒の中身が大活躍したとある。アーミーナイフは細かい切断作業に、ポケットウイスキーは傷口の消毒に、バンダナは三角巾と包帯に、飯盒はバケツやナベに、携行食は腹を空かせた幼子に与え。サバイバルナイフも、ハンドルの細引きやポーチ内の小物が重宝したらしい。そうして夜明けを待ち、駆けつけた自衛隊員らとともに復旧活動をし、その後は避難所の世話をした……。
 なんだよこれ。まるでヒーローたんではないか。不謹慎だが、俺はなにか冒険小説でも読んでいるような興奮を覚えた。そしてそこで、冬彦は住民に夏彦と名乗ったようだ。皆を少しでも元気にさせ、島の夏を呼び戻す願いを込めて。それともうひとつ。今までの自分を変えるために。なるほど。手紙はさらに続く。
 
 自信も荷物もなにもない旅行者の冬彦、いや夏彦だったが、巡視船で島を出る勧めを断り、避難所に残り世話を続けることを決める。理由は、「自分の使命に気がつき」、「それをできると信じた」から。「でなければ助かった説明がつかない」とも書かれている。そして島に落ち着きが戻ったのちは、漁の手伝いなどを経て、福祉関係の仕事に就いたとある。しかしこいつの「使命」はこれで終わりではなく、むしろ始まりだった。島の震災から二年後、今度は阪神・淡路大震災の現場に飛ぶ。さらにその数年後には、有珠うす山噴火の避難所へ。そうして現在は、NGOを通じアフガニスタンの難民キャンプへ。手紙には、現地の状況や苦労とともに、とても充実している様子が書かれていた。そして、「自信を持てば、なんだってできるとわかった」とも記されていた……。
 たいした成長記ではないか。俺はなにか込み上げてくるものを感じ、最後のほうを声に出して読んだ。
「……なのでカンちゃんとの約束は果たせなくなりました。でも、君が私をここまで変え、導いてくれたのです。とても感謝しています……タイムカプセルの中身はすべて使ってしまったので、代わりにいただいたナイフをお返しします。いつかまた、お会いしましょう」
 文末には、本籍と本名、それに連絡先が記してある。俺は感動し、大きな息を吐いた。
 菅が大切そうに手紙をバッグにしまい、でかいナイフを取り出してテーブルに置いた。俺は断り手に取った。ずしりと重い。米軍の『バックマスター』を模したものだが、名のあるメーカー製で、決してバッタ物ではない。シースから抜いてみる。切っ先は欠け、傷だらけ。刃もこぼれ背も潰れ、何度も研いだせいか小振りにさえなっている。こんな実用性のないナイフがここまで使い込まれているとは……。
 菅がそのナイフに目を細めた。
「それを見た時、あいつに会えたような気がしました。逞しくなったあいつに。そして、すごい元気を貰ったような気分になりました。僕も人生のサバイバル中ですが、まだまだ頑張れる気がしてきたんです。探していた自分も、少し見えてきました」
「よかったじゃあねえか。そいつの消息もわかったし、あんたの自信も復活……」
 俺はなにげなく、これもまた傷だらけのシースを裏返し、訝った。CANと彫ってある。そういえば菅は、冬彦にあげる時にふざけて彫ったと言っていた。だから菅の「KAN」ではなく、缶詰の「CAN」なのか。しかしこれは……。
 俺は、シースの角度を変えてみた。
「……ホント兄弟みてえだな、あんたら。冬彦も、このナイフで夏彦に変わったんだよ。何度もこいつに、『僕はできる』って呟いてよ」
「どういう意味でしょうか?」
 怪訝な顔をする菅に、俺はニヤリとシースを見せた。CANの前後にナイフ傷が入っている。気づかなかったらしい菅は、驚き顔を見せてきた。そして、しだいに顔をほころばせた。
「……I CAN !」
 嬉しそうに、菅が何度も何度も呟いた。

初出 「アウトライダー」(ミリオン出版) 2003年10月号


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