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「家を出る!」と決めて動き出したら、不安よりもワクワクが勝っている自分が居ることに気付いた

2024年3月の始め。
私は4人の子どもたちを連れて、神戸の実家に移り住むことを心に決めた。

子どもたちの父親S男から離れるためだ。

このままだと、長男トト(当時小6)はずっとS男の支配から逃れられないまま、望まない野球をやらされ続けてしまうし、その為に家のお金も野球につぎ込まれてしまう。

その結果、長男以外の3人の子どもたちも野球の犠牲になりかねない。

私にS男を変えることができないことも嫌というほど分かっている。

もうこれ以上一緒には居られない。
そう確信した。

これまでにも同じことは何度も考えた。
でも、ずっと実行に移せないまま先送りにしてきた。

頭で考えるのは簡単だが、実際に行動を起こすとなると、いくつものハードルを越えなければならないからだ。

住む場所、生活費、子ども達の環境の変化・・・
その1つ1つが高い壁となって立ちふさがる。

でも今回は・・・
その壁を越えてでも行動すべきだと私の中の警鐘が鳴り響いていた。

そう決心する少し前のタイミングで、実家の母が特殊詐欺に合う事件が起こり、「認知症が進んだ母を一人で住まわすのはそろそろ限界では…?」という話を実家近くに住む姉としていたことも私の決心の背中を押した。
(母が特殊詐欺に合ったエピソードは『「認知症親の介護」グチ🔥10選!いよいよベスト オブ グチ【3位~1位】発表!そしてグチは新たなグチへと続く…!』の記事の中にあります。)

子ども達を連れて実家で認知症の母を見守りながら、一緒に生活できれば一石二鳥ではないか??

このタイミングはまさに、私に「今が動くべき時だ」と何かが伝えているかのように感じた。

子ども達の転校を考えても、あと数週間で学年が終わり春休みに入るという絶好のタイミングだ。

今しかない。
私は行動を開始した。

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実家への相談

まずは、とにもかくにも実家に子ども達4人を連れて戻ることを一人暮らしの母に相談する必要があった。

もし一緒に住めない場合でも、生活保護を受けてでもS男からは離れようという覚悟はあったが、実家に住めるのであれば、それはそれでありがたいのだ。

認知症の母にとっても、誰かと一緒に住む方がこの先も安心だろうと思えた。

週末を待って、野球の練習に行った長男以外の子どもたち3人を連れて、電車を乗り継いで2時間以上かかる神戸の実家に向かった。

実家近くに住んでいる姉にも事前に連絡して「相談があるから母と一緒に話を聞いてほしい」と伝えていた。

実家に着き、母と姉を前にして長男の野球問題や金銭問題について順を追って話した。

その上でS男とはもう一緒には暮らせないこと、子ども達を連れて実家に住みたいと考えていることを伝えた。

母は

「ええ~! 一緒に住めるの~~? ずっと一人で寂しかったから嬉しいわ~~!」

と喜んでくれ、
姉は

「話しが合あるって聞いた時から、そんな事やろうと思ってたわ。」

と言いつつも

「まぁ、確かにお金の面がだらしないとどうしようもないよな。こっちに来るなら協力するで。」

と心強いことを言ってくれた。

ヨシ!
これで家を出た後に住む場所は確保できた。

家を出る為の計画が1つ前に進むにつれ、私は不安になるどころか、無性に力が湧いてきてワクワクしていた。
その気持ちが「自分は間違っていない」ことの証明であるかのように思えていた。

次の壁は「子ども達の説得」だ。

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第一回家族会議

「家を出る」と決心した日、子どもたちの父親S男に

「もう、子どもたち連れて神戸(実家)に帰るわ。」

と伝えて以降、表面的には普通の生活を送っていた。

私からは何も話しかけることは無かったし、S男もあえてその話題を口にすることは無かったが、LINEでは今後の野球との関わり方やお金の使い方についての「提案」が次々と送られてきていた。

一応目は通すものの、その数々の「提案」に対して1mmも心を動かされることは無く、私は家を出る為の準備をS男に気付かれぬよう水面下で進めていた。

S男は私が「実家に帰る」と言ったのはただの脅しで、実行には移さないと思っていたはずだ。

でも私はこの時既に相当の覚悟を持って「家を出る」ことを決心していたし、そのことをS男に了承してもらうつもりもなかった。

話してもややこしくなるだけだし、黙ったまま「やるだけ」だった。

実家の母と同居することは母と姉に了承を得れたので、次は子ども達に神戸に引っ越すことの了承を得なければならなかった。

第一回家族会議の開催である。

土日はS男が家に居るし、長男トトも野球の練習があるので、子ども達4人全員集まって話をする機会を作るのがなかなか難しい。

平日もそれぞれ学校や習い事で家に居る時間がバラバラだ。

しかしこの家族会議はS男を除く家族全員が顔を合わせた上で話さなければならないと感じていた。

「もうこうなったら4人とも学校(と幼稚園)休んじゃえ!」

と、急きょ平日に4人とも休ませて家族会議を決行した。

家で話すとそれぞれが自由に遊びだすので、近所のファミリーレストランへ場所を移した。

そして話を切り出した。

「ママはパパとはもう一緒に暮らせないから、神戸のバアバの家に行くことにしました。みんなもママと一緒に来てほしいと思ってます。どうかな?」

じつはこの家族会議より以前、実家に相談に行く前にも子ども達には神戸に住むつもりだという話をしていた。

それから約1週間ほど経ってからの第一回家族会議だ。
子ども達それぞれに考える時間はあったと思っている。

長女クラレ(当時中2):
「賛成ーーー!! いつから?? 早く行きたい! ずっと環境変えたいと思っててんー!」

長男トト(当時小6):
「オレはママに付いて行く。」

次女マル(当時小3):
「・・・パパは行かへんの?」

三女フー(当時幼稚園年中):
「フーはママがいればいいよー」

4人それぞれの答えが返ってきた。

長女クラレは中学から不登校になっていて、2年になってからはマトモに学校へ行けていない。
ずっと「今と違う環境に行きたい。」と言っていたので、今回の引っ越しは「渡りに船」だったろう。
4人の中で一番引越しに対して乗り気だった。

長男トトは今回の引っ越しのきっかけとなった原因に関わっている当事者だ。
だから引越しの必要性をきょうだいの誰よりも分かっている。
なので反対しないのは当然だ。

三女フーはまだ5歳で幼い。
基本的に私にくっついていて、他のきょうだいと比べてもS男と過ごす時間は圧倒的に少ない。
ゆえに、私が行くところに自動的に付いてくることになる。

私が一番心配していたのは次女マルだ。
やはり、今回の家族会議でも一番引越しに消極的なのがマルだった。

マルは今の小学校が大好きで、友達も多いし、毎日一緒に遊んでいる親友と呼べるような友達もいる。

習い事も頑張っていて、これからも続けていきたいと思っていた。
今の生活環境を手放すことを望まないのは当然だ。
しかもマルにとってはS男は大切なパパなのに、離れ離れになってしまうのだ。

そんなマルから友達や習い事を奪って神戸に連れていくことは本当に正しいことなのか、私自身の中にも迷いがあった。

でも、マルだけをS男のところに残していくのも心配だ。

マルに伝えた。

「神戸に行っても今の友達とはずっと友達だし、神戸に行ったらもっと仲良くなれる友達に出会えるかもしれない。習い事だって、神戸でだってできるよ。でもこのままパパと住んでいたら、家族が幸せになれないと思ったから、ママは神戸に行くことを決めたよ。どっちに住むか、最終的にはマルが決めていいけど、ママはマルに一緒に来てほしい。」

「・・・わかった。ママと行く。」

マルはその場ではそう答えたが、本心からそう思ってないことも伝わった。

でもマルには申し訳ないが、今は「S男から離れる」ことを最優先させるべきだと思っていた。

最初は寂しいだろうけど神戸での生活が落ち着いたら、きっとマルも新しい生活を楽しめるようになると信じたかった。

こうして、半ば強引ではあるが4人の子どもたちの了承も得ることができた。

子どもたちとは、この話はS男を含め誰にも話さないこと、春休みに入ったらすぐに家を出ることを約束し、第一回家族会議は終了した。

引越しに向けて、私は少しずつ荷物を神戸に送り始めた。
とりあえず大きなもの以外で生活に必要な衣服を中心に郵送していった。
子どもたち4人と自分の分もあるので、かなりの量だ。

荷物の郵送と並行して、学校の転校手続きにも動きだした。

学校の方は、これまでにもトトの野球のことで相談したり、クラレの不登校のことで相談してきた経緯があるので、先生への事情説明や引っ越しに伴う転校手続きはかなりスムーズに進めることができた。

着々と神戸への引っ越し準備は進んでいき、春休みに入るまでの段取りがほぼついてきた頃・・・

S男が想定外の動きを見せ始めた。

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