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クラレ#1:同級生とうまく付き合えない、先生大好きマイペース少女

さぁ、我が家の第一子、長女「クラレ」14歳、中学3年生について書いていこう。

長女クラレよりも弟の長男トトのことを先に書いたのは、トップバッターにクラレのことを書くのは荷が重たかったからだ。

トトもたいがい重いのだが、彼は今はどうにか自分の意志で自分の道を歩もうとしている。
だからいい。

でもクラレは・・・ずっと出口のないトンネルの中を今もさまよってる。

彼女の生きづらさは、たぶん幼い時から始まっていたと思う。

そのことに私は気付いてあげれなかったし、クラレ自身も意識してなかったと思う。(今もどこまで意識しているのか分からないが)

中学生になってから、クラレは急速に変化していった。
どんどんと悪い方へ。

坂道を転がり落ちるように、転落していくクラレに対して、どう接したらいいのか分からず途方に暮れた時期もあった。

本を読んだり、YouTubeで関連動画を視聴したり、どうすればいいか分からず、もがき続けていた。

そんな時、私にあるひとつの出会いがあった。
私にとっては、とてもとても大きな出会いだった。

その出会いのおかげで、それまで自分には大き過ぎてどうしようもなかった問題に対する糸口が見えた気がした。

その出会いについては、またゆっくりと書いていきたいと思っているが、まずは長女クラレについて書いていこうと思う。

【クラレ】赤ちゃん~3歳頃

クラレはとにかく、動かない赤ちゃんだった。
首すわり、寝返り、お座りまでは順調だったが、座ったまま全然動かなかった。

すぐ近くに遊びたいおもちゃがあっても、手を伸ばして届かなければ諦めてしまう子だった。
全くハイハイをしないのだ。

あの手この手でハイハイを促してみるものの、反応なし。
そのうちハイハイをすっ飛ばしてつかまり立ちを始めてしまった。

でも立ち上がったものの、これまた一歩も足が前に出てこない。
ソファーや机の端につかまって、お尻をゆらしたりはするものの、なかなか最初の一歩が出ないのだ。

ようやく一歩目が出たのは1歳4ヶ月目にはいってからだった。

歩き始めたのは遅めだったが、言葉の理解は早く、大人が見て何を描いてるの分かるような絵を描けるようになるのも早いと感じていた。

幼稚園入園までは近所の保育園で開催されている『親子広場』によく通っていたが、同じくらいの子が近づいてくると固まってしまい、遊んでいたおもちゃを持って行かれても取り返すこともできず、私に隠れて泣いている様な子だった。

自分からは絶対に同じくらいの子どもと遊ばなかったが、年上のお兄ちゃんお姉ちゃんや大人には自分から積極的に関わっていってたので、その頃は特に問題にも思ってなかった。

【クラレ】幼稚園時代

3歳になって、クラレは同市内にある私立の幼稚園に通い出した。

「どうもクラレは同い年の子と関わるのが苦手そうだ」

ということはなんとなく分かってきていたので、幼稚園で友達ができるかが心配だった。

ところが意外にも最初の慣らし保育から泣かずに幼稚園に行けたのだ。

担任の先生がクラレに合っていたのだと思う。
いつもニコニコと明るく、とても優しい雰囲気の女の先生だ。

そして、幼稚園で唯一できたたった一人の友達「Cちゃん」が同じクラスにいたからだ。

Cちゃんはクラレのことをとても気に入ってくれて、クラレを見つければすぐに駆け寄ってくれ、ずっとクラレの側にいてくれていた。

クラレもCちゃんを受け入れていた。
なので年少の間は全く問題無かった。

ところが年中に進級してクラス替えがあり、大好きだった先生は他園に移動し、唯一のお友達のCちゃんとも別のクラスになってしまった。
(マンモス園で、1学年5クラスもあるからしかたないのだが…)

年中になって、数週間後からクラレは突然登園拒否になった。

大好きな担任の先生が居なくなり、Cちゃんとも別のクラスになった状態がずっと続いて、それがこの先も続くということに気付いたのだ。

朝起きた瞬間から「行きたくない!」と泣き出し、なんとか着替えさせて家を出ても泣きわめいて私にしがみつきバスにも乗らない。
園まで送って行って、先生に無理矢理連れて行かれる日々が続いた。

この日々は私にとっても辛く「ここまでして幼稚園に行くべきなのか?」「いつかは慣れるのか?」という思考でグルグル状態だった。

あまりに嫌がるクラレを見ていると、もう幼稚園を辞めた方がいいのかもしれないと思ってしまったが、園に相談して園長先生と担任の先生と3人で話をした時に

「必ず慣れますので、お母さんはどっしり構えて見守っていてください」

と園長先生に言われた言葉を信じてもう少し様子を見ようと思った。

先生の言葉通り、その後しばらくしてから徐々にクラレの登園拒否は落ち着いてきて、夏休みに入る前には普通にバスで登園できるようになった。

担任の先生や、園長先生、他のクラスの先生達もクラレにたくさん関わってくれたおかげだった。

特にその時の担任の先生は幼稚園でクラレの一番大好きな先生になって、小学校以降も繋がりのある先生になった。

年長への進級時、担任の先生は替わってしまったが、園で関わることはあったし、唯一のお友達のCちゃんとまた同じクラスになれたので、クラレはその後も問題無く幼稚園生活を送ることができた。

卒園後Cちゃんは私立の学校へ行ってしまい、自宅も遠かったのでそれきり疎遠になってしまったが、クラレのこれまでの人生を振り返ってみても、友達らしい友達といえるのは、このCちゃんだけなんじゃないかと思う。

またこれから先、Cちゃんとの様に自然体でつきあえる友達ができたらいいのだが・・・

【クラレ】小学校時代

一時的に登園拒否はあったものの、おおむね幼稚園時代は順調に過ごせたので、小学校もきっと大丈夫だと思っていた。

・・・が、現実はそう甘くなかった。

まず一緒に学校に行ってくれる友達がいない。
同じ幼稚園からのお友達は複数人いるのだが、男の子ばかりだし、クラレとは真逆なタイプで仲良しでもない。

しばらくは私が一緒に登校していたが、そのうち

「学校行きたくない。こわい!」

と言い出して、登校時間に玄関から出ようとしなくなった。

なんとかなだめすかして、どうにかこうにかして一緒に登校するのだが、毎朝のこのルーティンがクラレにとっても私にとってもしんどくてしかたがなかった。

それを救ってくれたのは、やはり「先生」の存在だった。

クラレにとっては、友達よりも先生との関係性の方が重要で、学校で担任の先生とうまく関われるようになると学校生活も落ち着いてきた。

1年生の先生は若い優しい女の先生でクラレは大好きになった。

それからは大きな問題も無く、順調に小学校生活を送ることができた。

仲良しの友達はおらず、参観で学校の様子を見に行った時に休み時間はずっと一人で教室内をウロウロしてる姿を見ると少し心配になったが、本人はさほど気にしている風でもなく、それがクラレにとっては自然なことの様だったので特に問題には思わないようにしていた。

そして6年生の時がクラレにとって一番楽しい学校生活になった。

新しく赴任してきた20代前半の若くてイケメンな男の先生が担任で、クラレはすっかりその先生に夢中になったからだ。

早く先生に会いたいからと、朝は一番に登校し、下校時間は職員室の前で出待ちして、あわよくば家まで送ってもらおうとしていた。
実際に何度か送ってもらってきていて、本人は非常に満足そうだった。

先生に褒められたいから、勉強も自分からしていた。
自主学習ではノートに小さな文字でびっしりと隙間なく漢字を書きこんでいたり、別のページには先生の似顔絵をこれまたびっしり描いていたり、ちょっと病的だなと感じる一面もあったが、本人は楽しそうだったので先生の存在は私的にはとてもありがたかった。

そんな楽しい小学校最後の1年を過ごしたクラレだが、とうとう卒業の日がやってきた。

卒業式の日、クラレは大号泣だった。
式の途中から大泣きしだしたクラレは、周りの多くの保護者たちの涙を誘っていたが、その泣きっぷりは親の私が見て引くほどだった。(おかげで私は泣けなかった)

式が終わるまで泣き通しだったクラレだが、大好きな担任の先生や他の先生達ともたくさん写真を撮ってお別れした。

お別れと言っても、弟や妹がまだ小学校に通ってるし、小中一貫校なので中学部でも小学部と関わりはあるのだから、完全に縁が無くなるわけではないのだ。

クラレももう12歳。
中学校でも小学校の時のように先生に支えてもらいながらうまくやっていけるはずだ。
そう思っていた。

・・・が、やはり現実はそううまくはいかなかった。

クラレ編 ② に続く

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