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"問い"と"気づき"を受け取ってほしいから、今年も書き続ける

何年生きていても、年の始まりは高揚感や去年の後悔、色んな感覚が入り混じっているのだけど、総じてやっぱり高揚感がある。

何なのだろう、この何かを決意したくなる、掻き立てられるような気持ちは。

去年の5月中旬から毎日noteを書き始めて、あっという間に半年、気づけば8ヶ月経過している。

初めのうちは目的や大義名分なんぞ、何も無かった。

「短編小説を書いてみたい」

というひょんな思いから書き始め(結局、短編小説はほとんど書かなくなったけれど)、

「毎日書けるかもしれない」

という根拠のない自信に背中を押され、今に至るまで毎日文章を書くようになった。

作家でも詩人でもライターでもないこんな自分でも、約230日間毎日文章を書いていると、それなりに「思い」や「欲」も出てくる。

どうせ発信するなら、ただの自己満足で終わらせたくない、と。

元来、自分のためだけに何かを頑張るのは得意ではなくて。

自由を手に入れるとか、お金を稼ぐこと自体には自分自身も憧れていたし共感していたけれど、どうしてもそのためだけには頑張れなかった。

「誰かの役に立っている」という実感が無かったからだ。

確かに、転売や紹介を通して誰かのためになっているとも言えるけれど、当時アルバイトでやっていた塾講師の方がよっぽどやりがいを感じられた。

明確に「誰かの役に立っている」という手触りがあったから。
何者かになりたくて、マルチ商法に片足突っ込んだ話

では、実際自分の書く文章や発信する言葉で、どのように誰かの役に立てるのだろうか。

実は、noteを書き始めてからすぐに直面した問いではあったけれど、なかなか答えを出せずにいた。

「まずは自分のために文書を書こう」
「自分のためだけに、言葉を選ぼう」

結局、そう思い込んでとにかく書き続けた。

自分の書く文章や発信する言葉で、どのように誰かの役に立てるのだろうか。

答えを出すまでに約230日要してしまったけれど、現時点での納得解は、「“問い”と“気づき”を受け取ってもらうこと」だ。

“問い”と“気づき”を与えるのではない、受け取ってもらうのだ。

受け取り方は人それぞれ、解釈の仕方も自由、だからこそ、僕は自分の文章に触れた人に“問い”と“気づき”を受け取ってほしい。

人生における、名前のつけられない葛藤、どこにも吐き出せない不安や悩み、どこからともなく湧き出る焦燥感、何者かでありたいという願い、はたまた呪縛。

それらを一つひとつ丁寧に言葉にして、文章にして、発信する。

そして、それに触れた画面の向こうの誰かが、“問い”と“気づき”を受け取る。

あわよくば、その誰かの人生が好転してくれたら嬉しいし、「人生好転」とまでいかなくても、自分自身を受け容れられたり、半歩でも踏み出すきっかけになってくれたら嬉しい。そういう寄り添い方をしたい。

誰かの人生を変えたいとか、誰かの人生のターニングポイントでありたいとか、そこまでは求めていないし、それは無理だと思っている。

魅力的なフレーズや発信も、受け取り方は受け取った人次第で、最終的に答えを決めるのはその人自身だ。答えはいつも自分自身の中にしかない。

そうと分かっているから、“問い”と“気づき”にこだわりたい。

2022年は、note以外にも発信媒体を増やし、自分自身が感覚的に書いてきた文章をさらに言語化していきます。“問い”と“気づき”を受け取れるようなコンテンツを目指して。

改めて、去年一年間、「おがたのよはく」の文章を読んでいただきありがとうございました。

今年も変わらず発信していきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

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