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「機動戦艦ナデシコ」ホシノルリを覚えてますか?

今回は、SFアニメの名作「機動戦艦ナデシコ」について書きたいと思う。
これがテレビ放映されたのは1996年、「エヴァンゲリオン」の1年後だね。
そして、1998年に劇場版が公開。
これは「星雲賞」メディア部門賞受賞、さらに「アニメージュ」主催アニメグランプリ受賞。
宇宙アニメの金字塔といっていだろう。

前にいるふたりが、主人公のテンカワアキト&ミスマルユリカ
ホシノルリは、奥から2番目に

まず、この作品を語るにおいて欠かせないのはホシノルリの存在で、彼女は当時ポスト綾波レイとして一世を風靡したキャラクターだ。
といっても綾波とは異なるロリ属性で、年齢は11歳という設定。
彼女は先述の「アニメグランプリ」で1998年キャラクター部門1位の座を得ている。
翌年の1位が「CCさくら」のさくらだけに、萌えキャラの元祖はさくらよりむしろホシノルリだったのかもしれんなぁ・・。
それほどアニメ界にとってエポックメイキングな存在ともいえた彼女だけど、ひとつポイントなのは彼女が「ナデシコ」のメインヒロインじゃないということだね。
まぁ、たまにこうしてサブヒロインがメインヒロインより人気が出ることもあるわな。
「涼宮ハルヒ」における長門有希とか。
ホシノルリも長門有希や綾波レイと同様の寡黙で感情起伏が少ないキャラであり、アニメファンはホントこういうのに弱いんですよ。
もちろん、その感情起伏がない設定は彼女の過去に起因してて、後々に判明することだが、彼女は遺伝子操作をされたデザイナーズチルドレン、要するに人為的に天才となるよう作られた被験体だったのさ。
よって11歳ながらもオペレーターとしては超人的で、戦艦ナデシコに搭載されたスーパー人工知能「オモイカネ」と意思疎通ができる唯一の存在である。

「電子の妖精」というのがホシノルリのふたつ名だった

ちなみに、彼女自身は自分の出生の秘密を知らなかったわけで、それを知ることになる第18話は神回だったね。
ただ「ナデシコ」の演出上の不思議なところは、これほどエモーショナルな要素テンコ盛りのルリ出生の秘密暴露回をさらっと終わらせちゃったところなんだ。
次の第19話からは完全に平常運転に戻り、まるで何事もなかったかのように淡々と話は進んでいく。
こういうパターン、「ナデシコ」ではめっちゃ多いんだ。
主要人物が死ぬ場面でも瞬く間にシーンが終わり、すぐに場面転換。
普通のアニメならそのシーンだけで数分ぐらい引っ張るだろうに、なぜか「ナデシコ」では1分以内でさっさと済ませちゃうのよ。
あと、物語上の超重要なことをセリフひと言で済ませちゃうこともあるし、とにかく色々と描写や説明が足りない。
尺が足りなかった?
いや、そんなことはない。
ストーリーには関与しないコメディパートには十分すぎるほど尺を割いてたし、その尺を少しでもシリアスパートや状況説明に回せば、もう少し分かりやすい物語になったのに。
「ナデシコ」が難解とされる原因の半分は、この妙に不親切な脚本にあると思うぞ。
まぁ、そういうのは「エヴァ」も同じだったけどね。
どうも90年代というのは「メディアミックス」黎明期だったらしく、そのスタンスは「アニメだけ見てても理解できないよ。詳しく知りたければ本を買って読んでね」的なニュアンスがあったんだ。
こういう商法、むかつくわ~。

小説、ゲームなど色々あるようだ・・

続けて、劇場版について。
業界では非常に評価の高い映画だが、おそらくファンの間では賛否両論ある内容だったかと。
なぜって、テレビ版主人公のふたり、テンカワアキト&ミスマルユリカ両名が、あれ以降とんでもなく不幸な状況に陥ってるからさ。
ふたりとも敵組織に拉致され、アキトは逃亡できたようだが脳をいじられて健康体ではなくなってるし、ユリカに至っては昏睡したまま生体装置として組織に利用されてるわけよ。
こんな酷い惨状、見たくなかったなぁ・・。
ただし、この映画の主人公はアキト&ユリカではなく、ホシノルリである。
そう、彼女はサブヒロインからメインヒロインに格上げになったんだ。
これをホシノルリの成長記として見る分には、意外と悪くない。
もともと、彼女はその特殊な生い立ちゆえ人との関りにあまり関心がない子だったんだが、この映画での彼女はあらゆる手を尽くしてアキト&ユリカを救おうと奮闘する。
表情が乏しいから必死さはまるで伝わってこないが、それでも必死だったと思う。
そして「オモイカネ」と再びリンクした彼女は俺Tueeeとなり、最後は敵を完膚なきまで駆逐する。
表情が乏しいから気付かなかったけど、どうやら我々の想像する以上に彼女のナデシコメンバーへの想いは強かったんだね。
少なくとも、テレビシリーズを見てた人にはルリの精神的成長がしっかりと伝わる作りになっており、映画での彼女は少し笑顔を見せたり、年下の子を気遣えるほどの「お姉さん」になってるのよ。
あぁ良かったなぁ、と思う。
とはいえ、映画もまたテレビ版と同様に説明不足、描写不足は相変わらずで、結局アキトはあれほど命を懸けてユリカを救ったというのに、最後彼はどこかに行ってしまい、蘇生したユリカと会うことはなかった。
この後の展開がどうなるかは見てる人たちのご想像にお任せします・・的な締め方で、相変わらずの尺足らずな演出である。
しかし、この余白こそが「ナデシコ」の味なのかもしれない。
できれば「完全版」でリメイクしてもらいたい気持ちもあるんだが、制作のXEBECが今はもうなくなってしまったので(どうやらバンダイナムコに事業譲渡したっぽい)、もう2度とお目にかかることもないだろう。

この作品のノリとしては、おそらく93年の「無責任艦長タイラー」あたりをヒントにしてるだろう。
ただ「タイラー」より「ナデシコ」が圧倒的に優れてると感じるのは、SFとしての考証の有無である。
たとえば戦艦ナデシコの動力源については「インフレーション理論」を説明しており、燃料でも原子力でもない、ビッグバン由来のエネルギーなのよ。
こういう発想だけでも凄いよな。
あと、この作品で最重要ポイントとなるテクノロジー「ボソンジャンプ」について、これはマクスウェル電磁方程式の先進波を根拠とした一種のタイムリープであることが終盤になって判明した。
こういうSF考証があるってことは、スタッフにめちゃくちゃ頭のいい理系の人がいたんだと思う。
思えばSFアニメにおける科学考証は、松本零士の時代なら船や列車が普通に大気圏突破できてたわけで、あんなのSFじゃなくてファンタジーじゃん。
「ガンダム」ではミノフスキー粒子とか出てきて、ようやくSFっぽくなったけど。
もともとファンタジーとSFの境界線は曖昧なもんだが、やはり宇宙を舞台にした物語はSFとしての矜持を大切にしてほしい。

意外とカッコいい「ナデシコ」の機体

思えば当時は「エヴァンゲリオン」が社会現象になっており、ほどなくして似たようなアニメはたくさん出てくるようになった。
「ラーゼフォン」「蒼穹のファフナー」「ぼくらの」etc。
だけど「ナデシコ」は、全く「エヴァ」っぽさがないんだよね。
むしろこの作品が影響を受けてるといえば、70年代の「マジンガーZ」や「宇宙戦艦ヤマト」だろう。
めっちゃ古いのよ。
というか、よく考えたら「エヴァ」だって実は70年代の「ウルトラマン」や「ゴジラ」の影響受けてると思うし、それは庵野さんがここにきて「シンゴジラ」や「シンウルトラマン」を作ってることからして明らかである。
なんていうか、庵野秀明と佐藤竜雄とでは見てきたものが違う、趣味が違うんだと思う。
庵野さんは学生の頃から純度の高いオタクだったのに対し、佐藤さんの学生時代はゴリゴリの体育会系だったようだ。
なるほど。
「ナデシコ」って、確かにそんな感じだよな。

警察庁のイメージキャラクターに選ばれたほどの人気だったホシノルリ

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