早見沙織/能登麻美子、2人が姉妹を演じたアニメを知ってる?
今期アニメで一番ハマってるのは、実は「猫ラーメン」かもしれない。
妙に中毒性のあるアニメである。
第10話は、涙してしまった・・。
ちなみに、私の本作での推しキャラは、クリシュナさん↓↓
このビジュアルなのにcvが早見沙織さんゆえ、そのギャップにより高度なギャグが成立している。
こういう【恐いビジュアル⇔癒しボイス】のギャップ系配役といえば、どうしても思い出してしまうのが「銀魂」における能登麻美子さんだよね。
かつて「銀魂」で能登さんが演じていたのは、これ↓↓
なんかよく分からんけど、パンデモニウムという食用の虫みたいなやつで、これが喋ると声がなぜか能登ボイスだから、当時爆笑したものである。
癒し系ボイスの人って、こういうので笑いをとれるからズルいよなぁ。
昔から、
「早見沙織と能登麻美子の声は、聴き分けられないほど似てる」
と、よく指摘されている。
まぁ、確かにね。
で、そんな御二人が、なんと姉妹という異例のキャスティングをされた作品を皆さんはご存じだろうか?
これをキャスティングした制作スタッフ、スゲーよなぁ・・。
はい、それが「賭ケグルイ」ですわ。
いや、正確にいうと能登さんは2期の「賭ケグルイXX」にしか出ておらず、しかも回想シーンに少し出てきただけである。
彼女が早見さん演じるヒロイン夢子の姉だと分かったのも、エンドロールで「夢子の姉/能登麻美子」と出てたからであり、それが無ければ何が何だか分からないまま終わってたと思う。
ようするに「姉妹共演」といえるほどのものではなかったので、そのへんはあしからず。
さて、今回はこの「賭ケグルイ」について書きたいと思う。
制作はMAPPA。
これは浜辺美波主演の実写版も結構ヒットしたらしく、そっちの方を見た人も多いかもしれん。
浜辺さんがこんなブッサイクになってるのが少しあれだけど、いや、むしろ「賭ケグルイ」的にはこれでOKなんです。
本作は、顔芸を楽しむコンテンツだから。
もう最近、変顔が原型をとどめなくなってきてます。
こういうのやられると、やっぱ実写はアニメに絶対勝てないね。
最後の方は、パンデモニウムみたいな顔になってるし・・。
さて、顔のことはひとまず置いとくとして、内容について触れましょう。
これは、ギャンブルを題材にした作品である。
そのての系統というと、まず真っ先に思い浮かぶのが福本伸行先生の作品だよね。
だけど福本先生のやつは、めっちゃ面白いんだけど、オトコばっかりで華がないんだよなぁ。
その点でいうと、「賭ケグルイ」はオンナノコの比率が異様なほど高くて、めっちゃ華があります。
で、「アカギ」や「カイジ」のようにひとつの闘いを延々と引っ張る形ではなく、展開スピーディーにトントンとテンポよく決着つけてくれるのよ。
ゆえに、とても見やすい。
あと、敵が夢子を自分の術中にハメたと思って、決着を目前にしてめっちゃイキって勝ち誇るのがひとつのお約束である。
そういう時の敵キャラが、またイイ表情をしてくれるのよ。
こういう感じでね。
だけど、だんだんと逆に追い込まれてきて、
こういう焦った表情になってくる。
で、さらに絶体絶命になると、
もう、ハナ垂らしちゃってるんですよね(笑)。
「勝負の途中でイキった奴ほど、最後の最後には醜い形で散る」
これ、エンタメ作品における鉄則でしょ?
「賭ケグルイ」の良さはそれをしっかりやってくれるところであり、そこで得られるカタルシスはクセになってしまう感じ。
・・あ、誤解ないようにしときたいんだけど、上の画の女性は少しブサイクに見えるかもしれんが、一応、原型はこれ↓↓ですからね。
でさ、「賭ケグルイ」の良さをもうひとついうと、こうやってコテンパンに夢子にやられた敵キャラって、意外なほど「使い捨て」にならないのよ。
特に2期は、1期で負けたキャラに再びスポットが当たり、彼女たちの再起を丁寧に描いてくれるんだわ。
それを見て、実は本作って「群像劇」なんだ、と初めて気付く感じ。
実をいうと、主人公の夢子はほとんど人物の掘り下げができてないわけよ。
「姉が1人いる」という情報が少しあるぐらいで、あとは生い立ちなど全くの謎である。
一方、夢子に負けたサブヒロインたちは割と順調に人物の掘り下げが進んでて、そのせいで、最初はあまり好きになれなかった彼女たちのことも徐々に好きなっちゃうんだよなぁ。
このへんは、構成が非常にうまい。
いわゆる少年ジャンプ的な
物語の序盤で負けたキャラ=負けた後は完全にザコ
というキャラの消費を本作は絶対にしないし、そこは非常に好感がもてる。
でもさ、ギャンブルって本来「オトコの世界のモノ」だよね?
上の画は「無敗の雀鬼」こと、桜井章一さんです。
彼の半生はVシネマになるほどで、リアル「アカギ」、リアル「哭きの竜」といったところだろうか。
彼には「麻雀代打ちで20年間無敗」という伝説があるんだが、でもその強さの意味がよく分からないのよ。
それは将棋や囲碁の名人みたいな意味で強いのか、それともイカサマが周囲に20年間バレないほど巧かったのか。
いや、将棋や囲碁は純粋に思考のゲームだが、麻雀は思考だけじゃ勝てないゲームの構造だろ?
運の良し悪しが勝敗を決する部分は必ずある。
じゃ、桜井氏はその「運」をコントロールできたというのか?
あるいは、未来視のようなESPがあったのか?
・・いや、そのへんは全く分からんし、おそらく桜井氏も本当の真実は生涯語ってくれないと思う。
まぁ普通に考えて、サイコロを投げて「1」の目を出せる確率は、小細工がない限りは1/6だよね?
その物理法則は、絶対に変えられないでしょ。
だけど桜井氏みたいな人は、「運を味方につけてた」というのよ。
実は「賭ケグルイ」も、そっち系なのさ。
本作はいかにもロジックで勝ち筋を追求する「頭脳ゲーム」っぽく見えて、主人公の夢子はそういうのをギャンブルと認めず、必ず「運」に任せる要素を勝負の局面に織り込んでくるんだわ。
ノーリスクにロジックで勝ちを拾うのを良しとせず、リスクを張って、そのリスクを担保に大きなチャンスを狙うという一定の嗜好。
ハイリスク、ハイリターン。
で、多くの場合、夢子は勝つのよ。
誤解のないようにしてもらいたいんだが、夢子は異能力者じゃないし、何か物理法則をネジ曲げることなんてできない人さ。
だけど、うまいこと運を拾っている。
このへんの「運の強さ」の根拠を私はうまく言語化できないので(いわゆるご都合主義とは少し違います)、詳しくは「賭ケグルイ」本編を見てください。
これを見ると、「桜井章一もこういう意味の強さだったのでは?」と思えてくるよ。
さて、上の図はフロイト心理学における
生の欲動vs死の欲動
を表したものである。
ちなみに「ギャンブル」というのは、「死の欲動」に根差した遊戯なんだ。
そのへんの意味合いは、何となく分かるでしょ?
ギャンブルの興奮は、破滅と背中合わせというところから湧いてくろものだから。
だけど、物騒な本能だよね。
人間には、なぜ「死の欲動」なんて物騒なものがプログラミングされてるのか?
このへんは、ちょっと視点の角度さえ変えれば、こういう解釈の仕方だってできるんだよ。
生の欲動⇒臆病
死の欲動⇒勇敢
もともと、「生の欲動」は女性の方が強いといわれていて、「死の欲動」は男性の方が強いといわれている。
こういうのは、我々が原始人だった時代の名残りだろう。
その時代、「女は集落で子供を産み育て、男は食糧確保の為に狩りに出る」という役割分担があったわけだから、男は「勇敢」であることが求められたのよ。
狩りというのは、当然だが危険が伴う。
だからといって、そこで男が「生の欲動」を発動し、「狩りに行くのは怖いよ~」なんて言い始めたら、それこそ集落全体が飢えてしまう。
だからこそ、そこでは「死の欲動」がどうしても必要だったのさ。
死の危険や恐怖を目の前にすると、逆にそれを「スリル」と捉えて興奮する系のメンタル。
だけど、こういうのは男にこそ必要なメンタルであり、女は必要のないものだと思う。
女に必要なのは逆に「生の欲動」であり、なんせ女が減ると種は存続の危機だからね。
【集落A】男50名、女10名
【集落B】男10名、女50名
上のAとB、どっちの集落の方が安泰?
そりゃ、Bでしょ。
Aはどう考えても少子化になるのに対し、Bの方は少子化の心配がなさそう。
つまり極論すると、男の数は(狩り等で)多少減っても問題ないのよ。
だから、男はどんどん狩りに行ってこい。
死を怖れるな、勇者たれ。
・・という太古の記憶(DNA)が、現代における男のギャンブル好きの起源ともいえるんですわ。
あれ?
「賭ケグルイ」では、なぜか女の夢子たちもギャンブル依存になってるぞ?
うん、そうなんだ。
現代社会では、なぜか女性でもギャンブルにハマる人たちが多くなってきている。
もはや、ジェンダーが曖昧になってきている現代。
男でも「生の欲動」強めのが増えてるし、また女でも「死の欲動」強めなのが増えてる。
夢子なんて、どう見てもメンタルにティンポが生えてるよね。
こういうのを早見沙織がやってくれるのは、何か見てて得した気分になるんです。