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ガンダムは宗教となり、テロを起こし、神となった・・「ガンダム00」

今回は、「機動戦士ガンダム00」について書いてみたい。
これ、今思うと凄い作品である。
というのも、内容が倫理コードすれすれで、かなり危ないんですよ。
放送は2007年。
「世界同時多発テロ」の余韻が抜けきらない時代の中、つまりアルカイダという狂信的なカルトが世界を恐怖させていた時代の中、「元カルト信者」の少年を主人公に設定しちゃったんだから・・。
この物語は、主人公もメインヒロインも中東の出身。
かなりデリケートな領域に踏み込んだ設定である。
もし「ガンダム」というフィルターを通してなかったら、おそらく世間から大バッシングを食らったであろう設定だよね。

「機動戦士ガンダム00」(2007年)

よく歴代「ガンダム」人気アンケートを見ても、この「00」を必ずや上位に食い込んでくる。
「アナザーガンダム(宇宙世紀シリーズ外)」の中では、「00」シリーズ「SEED」シリーズ(2002年)が不動の2TOPといっていいだろう。
「00」の人気の礎となってるのは、その圧倒的な美形男子路線である。
「ガンダム」美形男子路線のパイオニアは「ガンダムW」(95年)だと思うが、「00」は「W」をさらに発展させ、キャラクターデザインに少女漫画家の高河ゆんを起用している。
高河ゆんといえば「同人界のカリスマ」出身の大物作家で、CLAMPの姉貴分ともいえる存在。
2006年にCLAMPが同じサンライズの「コードギアス」のキャラデザをやったことと、おそらく無関係ではあるまい。
とにかく、「00」にせよ「コードギアス」にせよ、腐女子にとってタマらんキャラ造形になってるみたいだね。

・刹那・F・セイエイ(cv宮野真守)
ロックオン・ストラトス(cv三木眞一郎)
・アレルヤ・ハプティズム(cv吉野裕行)
・ティエリア・アーデ(cv神谷浩史)

cvの配役も絶妙である。
特に宮野真守神谷浩史の快進撃は、ここから始まったといってもいいじゃないだろうか。
いまや「アホキャラ」を演じさせれば無双の宮野さんも、この刹那役は終始クールに演じている。
なんせ元カルトに忠誠をたてた少年兵であり、その忠誠の証明として自らの両親を射殺したという過去をもつ男である。
重い、重すぎる・・。
主人公・刹那があまりにも重すぎるので、敢えてその対極となる裏主人公を設定してるあたりが「00」の緻密な配慮である。

沙慈・クロスロード(cv入野自由)

見ての通り、沙慈は腐女子的に全く萌えない、フツーの男子。
そう、沙慈=我々日本人男子の平均的な姿、なんだよ。
よって、戦争に身を投じる刹那らを見て「暴力で解決を図るのはよくない」と良識的なことばかり言うんだが、その良識的な発言の根幹をなしてるのが「そういうふうに今まで教わってきたから」という極めて脆弱な基盤であり、どうしても薄っぺらい。
もともとセカイは不平等であり、その不平等の恩恵に預かった平和ゾーンに身を置いていたのが沙慈なんだ。
ゆえに彼は、「セカイは平和だった」と無知ゆえの誤解をしてるんだよね。
ある時、彼は刹那から

自分たちだけが平和ならいいのか?

と言われ、絶句してしまうシーンがある。
そう、根本思想はそれなんだよ。

自分たちだけが平和ならいい。
戦争してる国のことなんて、我々には関係ないのこと。
なぜ彼らが戦争してるのかも、我々は知りたくない

これは沙慈に限らず、多くの日本人の平均的な思考だろう。
だが、ある日沙慈はたまたま「テロ」に巻き込まれてしまう。
そこで初めて、彼は「セカイ」を自覚するんだよね。
あぁ、もともとセカイは平和なんかじゃなかったんだ、と。
今までセカイを見ないようにしてたからこそ、自分は平和の中にいると錯覚してたんだ、と。
多くのものを失い(家族、恋人)、どん底に至って彼は初めてセカイと向き合う決意をする。
一方、作中には沙慈と同じく「平和」を唱えるメインヒロインがいた。

マリナ・イスマイール

マリナ・イスマイールは、中東小国の皇女である。

彼女が唱える「平和」と、沙慈が唱える「平和」。
このふたつがどう違うのか、そこが「00」最大のテーマなんじゃないかな?

沙慈が唱えた「平和」が全く刹那の心に響かなかった一方で、実はマリナの唱えた「平和」は刹那に響いていたんだ。
このシリーズの最終章で、刹那は最後、マリナにこう言っている。

「お前が、正しかった」

晩年のマリナ

このシーン、泣かずにはおれんわ・・。

イオリア・シュヘンベルグ

この人は、「00」における最重要人物、イオリア・シュヘンベルグである。
悪役、ラスボスにも見えるが、実はそうではない。
「00」の物語スタート時点で彼は既に故人であり、それも約200年前に亡くなってるという。
ただ生前の彼は人類史上最高の賢人だったらしくて、これから訪れる未来をほぼ正確に見通せていたんだろう。
その対策として「イオリア計画」を作り、ガンダムを作ったわけだ。
いうなれば、「00」という物語は全てイオリアが作ったシナリオ。
ほとんどの演者はそのシナリオの全貌を知らず、ある者は曲解し、ある者は誤解し、ある者は利用しようともするんだが、シナリオはそういうものすら最初から織り込み済みだったことが最後には分かる。
この計画の全貌は

①人類の統合
②人類意思の統合
③宇宙との対話


という3つのフェーズになっており、
①⇒テレビシリーズ1stシーズン
②⇒テレビシリーズ2ndシーズン
③⇒劇場版

という構造になっている。
だから、見るとしたらテレビシリーズ50話+劇場版、全部見てね。
これは絶対、である。

もともとの「ガンダム」は富野由悠季が作った物語であり、これは富野さん自身の青春時代(全共闘運動)を投影した「二大陣営の対立」を描いたものである。
当時は米vsソ冷戦構造最盛期。
そういう時代を映したのが「ガンダム」だろう。
しかし80年代終盤にはベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連が解体、ひとつの時代が終わってしまった。
その頃に富野さんは鬱病を発症し、「ガンダム」を離れちゃうんだよね。
そこで出てきたのが、平成3部作とされる「アナザーガンダム」だ。
「G」「W」「X」
後の「ビルド」シリーズの基礎となった「G」は別として、「W」「X」はかなり「00」の基礎となってると思う。
同じ「アナザー」でも「SEED」は明らかに富野版のリメイクという色があるのに対して、「00」は「W」「X」の発展版となっている。
二大陣営(東vs西)後における新しい「ガンダム」像とでもいうべきか、
テロリストとしてのガンダム
を描いてるものなんだ。

いやホント、かなりヤバい「ガンダム」である。
しかし、人類史上最高の賢人とされるイオリアほどの人が、なぜテロという凶行を計画したのか?
その理由は、

人類は進化しなければ絶滅するから


という、案外シンプルなものだった。
人類の進化⇒人類のイノベーター化
結局、ここが最後の着地点なんだよね。
イノベーターというのは富野版でいうところの「ニュータイプ」の拡大解釈であり、いうなれば人類の進化形態である。
このへんはテレビシリーズを経て劇場版にまで辿り着かないと理解できない構造になってるので、とにかく頑張って最後まで辿り着いてほしい。
で、劇場版を見た時、皆さんは必ずこう思うはずだ。

「あれ?これって完全に『エウレカセブン』の世界観じゃね?」

劇場版「ガンダム00」(2010年)

・・そうなんだよね。
最後の最後に人類が対峙する相手は、「エウレカセブン」でいうところの「スカブコーラル」なのよ。
この落としどころ、私は嫌いではない。
もともと「エウレカ」を作ったBONESはサンライズから派生したものであり、その思想の根幹はほぼ同一だと思う。
うん、いっそのこと

「W」⇒「X」⇒「00」⇒「エウレカセブン」

という感じで、これらをひとまとめで見てみるのも悪くないだろう。
中でも「00」は、ドラマとしてホントよくできている。
多分これは、富野由悠季では絶対作れない類いのドラマである。
今までさんざん殺し合ってきた者同士が、やがて手を結び、最後は壮大な「対話」へと至る過程はマジ素晴らしいと思う。
しかも、最後人類を救った英雄は元カルトの少年兵だった刹那、つまり現実世界でいうところの911事件を起こしたテロリスト、もしくはオウム真理教の元信者、そういう位置づけが「刹那」なんですよ。
彼は「ガンダム」を新たな崇拝対象と捉え、信者として今度こそ殉教した、といっていいだろう。
深く読み解けば読み解くほど案外ヤバい内容なので、きっと賛否両論はあると思う。
だけど、政治・イデオロギーのドラマだった「ガンダム」を遂に宗教的領域にまで昇華した「00」は凄いよ。
いや、確かにそうだよね。

今はもうイデオロギーではなく、宗教の時代だもん。
そして大戦の時代じゃなく、テロの時代だもん。

そういう時代の空気に合わせて、「ガンダム」も変わっていくということだ。


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