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時が止まって見えた瞬間

 その日私は工場の現場の子と遊んでいました。

 広州時代、うちの工場は保税加工区というところにありましたが、正門から左が工場區、右が宿舎區でした。

某部門の副部門長Lに一緒に遊ぼうと声をかけられ、初めて日曜日に工業区に出てきたのでした。

私はそれまで工業区の中にこんな宿舎棟がある事も、自分の工場の現場の人たちがここに暮らしているという事も知りませんでした。

そのコンクリの宿舎ビルに入ると、うちの工場の子らが、私を見つけて頭を下げたり、隣の子とつついて何かヒソヒソ話したりしています。

 私は毎日の半分は現場に潜って仕事していましたが(生産管理)、関わるのは部門長クラスの連中で、実務をやっている人たちとは交流がなく、よっぽど特徴のある容姿をしている以外は、見た事があるようなないような感じの人たちばかりです。

Lはその建物の中を、まるでVIPでも連れてきたかのように、ちょっと得意げに案内してくれました。

そこにはちょっとしたレストランや、卓球などができる娯楽スペースなどがありました。卓球台は二台しかありませんでしたが、さすが卓球の本場中国、と言った感じで、日本の温泉場のソレとは違う白熱したラリーが続いていました。

私達がその娯楽スペースに入ってきたのを見て、一方の台で卓球をしていた子たちがニコニコとラケットを手渡して台を譲ってくれました。

「玩一会嗎?(ちょっと遊びますか)中国對日本!」

Lはラケットを受け取って何度か素振りすると、にこやかに、でも自信満々に私に視線を向けてきました。

(この人達はすぐコレだよ・・。中国対日本・・・時折見せる対抗意識)

「・・え・・うん。」

自分達の国技である「卓球」で日本人なんかに負けるハズはない。もしかしてそう思ってる?心の中で私も笑いながら、久々の卓球ラケットの感触に目を細めます。

 ―――その昔—―—

私が中学に入学した同じ年、私達の中学に一人の新米教師Fがやってきました。Fは当時現役で日本の卓球ナショナルチームのメンバーでした。

そんな事は露ほども知らない私。

運動が大の苦手で、身体の中に運動神経らしいものがあるようには微塵も感じられない超ド級の運動音痴でしたが、だからこそ何か軽く身体を動かせる程度の、運動に慣れ親しむ程度の、軽度の運動部に入って、苦手を少し克服したいと思っておりました。(注:小学校時代手芸クラブ所属)

私が入学当時、卓球部と言えば「歩く文化部」と呼ばれていました

部活動見学で私の他に5人いた一年生は、その見学でウォーミングアップと称した鬼ごっこに参加し、先輩達が卓球する姿を全く見ないまま6人全員がその日に入部を決めたのでした。

そう。そのFが当然の如く卓球部の顧問に着任する事など知る由もなく。

そして始まった中学生活・・・の卓球部ライフ。

Fは中学生の私達にナショナルチームのトレーニングをやらせました。

スタートはロードワーク。学校のグランドを出て、学校の外周を7周(約5キロ)Fも一緒に走ります。

なんてったって日体大の新卒です。現役のナショナルチーム選手ですから、自分も現役選手として日々トレーニングしなくてはいけません。

誰もチンタラとサボりながら走れないように、自分をデッドラインとしてFは最後尾について、一定のスピードをキープしつつ、檄を飛ばしながら走ります。

「おらあ~、さっさと走れえ~~!!」

そして学校の外周を7周走るとそのままグランドの400mトラックに突入し

「おらおら~、ラストスパートかけろォォ~」

と言いながら、怒涛のラストスパートで自分がぶっちぎりでゴールするF
中学生の私達は三年生の先輩まで皆漏れなくヒイヒイ泣きながら、だいぶ遅れてヘロヘロゴール。

そして、休む間もなく50mトラックに移動し、今や禁断の鍛錬方法である(?)うさぎ跳びを、よりハードにした蛙飛びという筋トレや

アヒル歩きと呼ばれる筋トレ。

他にもペアを組んで足を持たれて手で歩く手押し車とか、色々なトレーニングをさせられました。

そんな中、私は自分も根っからの運動音痴と思っていたのが、虚弱体質による圧倒的スタミナ不足と知る事になりました。

負けず嫌いの性格が祟って、私は虚弱体質らしく唇を真っ青にしながら根性でついて行きました。

そんなこんなで私達はそれぞれ皆身体能力が上がり、卓球部は「校内一ハードな運動部」へと変貌を遂げていました。

 元々女子卓球部顧問だったFは、ぼちぼち個人入賞を果たす程度になった女子をさっさと見限ると勝手に男子卓球部の指導を始め、男子は全国大会まで行きました。体育教師としてそういう成果を期待されていた部分もあったのでしょう。

当初は「一番強いヤツがキャプテンだ。」と豪語し、3年の先輩、2年の先輩も一番卓球成績のいい女子をキャプテンにしていたFは男子に力を入れるようになると、女子メンバーにはかなり適当で3年になる頃には何故か、卓球方面では全く芽が出なかった私がキャプテンでした。

私は小心者で、絵に描いたような「本番になると全く実力を発揮できないヤツ」でした。

練習試合では大会の上位入賞者にも負けないほど強く、本当の大会になると初戦敗退する、そういう情けないヤツでした。

でも中学生の頃は、そのプレッシャーコントロールという概念さえも知らなかったのでメンタルはどうしようもありませんでした。

ちなみに対戦成績はボロボロなものの、卓球のタイプとしては前陣速攻型と呼ばれるアグレッシブなタイプでした。(このタイプ選定はFが行います)

――― そんな私が今、卓球の本場中国で中国人から「中国対日本」と煽られています。

試合では成績が出せなくても、遊びでやる卓球はノー・プレッシャー。

 Lが、いかにも卓球の本場らしく、えげつない下回転をかけて打ってきたサーブを、私がラケットに角度をつけて何事もなかったように打ち返すと、Lは返ってくる事を全く想定してなかったらしく、一瞬あたふたとしましたが、持ち前の器用さで何とか返球。

が!

パシャっ

ワタクシ、前陣速攻型は、普通にみてスマッシュを打つような高さがなくても、微妙に甘い球でさえあれば容赦なく打つのがお得意パターンなのです。

「!」「!」「!」

スマッシュ云々というより「アレ?日本人て卓球できたの?」的な空気がその場に流れました。Lも、台を譲ってくれた子たちも、そして隣の台の子たちもラリーをやめて見ています。

私がポイント先取でLが球をこっちに寄越してきました。テニスじゃないんですが、ま、ローカル・ルール?

下回転サーブを出しました。ネット際ギリギリにバウンドさせる下回転は遠いので取りにくくパワーが足りないと回転に負けてネットに突き刺さります。

サービスエース。

続いて同じフォームで打ったサーブをLがバックハンドで受けます。同じフォームですが今度は無回転サーブで、さっきと同じ下回転と思って当てれば球は高く上がります。

パシャ。理想的なスマッシュが決まります。

当時成績は全く出せなくとも、サーブは相手に球筋を読まれないように、全く同じフォームから横回転、下回転、無回転、斜め回転を打つ練習。

台の向こう側にピンポン玉を置いて、サーブでそのピンポン玉を弾くという練習。そういう職人芸のような細かい練習を延々させられてきたのです。(アラフィフの今も右手親指の卓球だこは残ったまま)

純粋な中学生が全青春を注ぎ込んで、朝練、残業(?!)、合宿までして身に着けたテクニックは卓球をやめた10年後も、自分の想像した以上に身体に染みついて残っていました

ブランク期間、下手に何もしなかったのが却って良かったのかもしれません?

そして何しろノープレッシャー!

11対3。(何故か11点取れば終わりでした)

Lは負けたのに上機嫌で「ハザカイ小姐がこんなに卓球の高手(達人)だとは思いませんでしたよ」と言いながら、寮から出た所にあるレストランに案内してくれました。

Lはさも常連らしく「上使わせてもらうよ」とマスターに声をかけると階段を上って行きました。

そして、誰もいない二階席で階段からすぐのテーブルに私を座らせると、頼むものは俺に任せてくださいと言わんばかりに私には何も聞かずLは注文しに下りて行きました。

そして一人二階で待っていると、にわかに下が騒がしくなり、

「ハザカイ小姐!そっちに行きました~」というLの声。

「?」

と思う間もなく、目に入ったのは階段を上がってくる

猫くらいある巨大なネ〇ミ!

その一段がネ〇ミにとっては結構高いせいか、前足は身体の前で幽霊のように垂らしたまま、後ろ脚の脚力だけで跳躍しながら一段また一段と迫ってきます。

中学時代、私達はすごい練習量をこなしていた為、球がどのくらいのスピードで、台のどこに着地したらどこに跳ねるかという軌道が描けました

攻撃型の私は、跳ねた球が下りに差し掛かる直前、空中でピタリと止まるその瞬間を捉えてスマッシュしてきました。

一段、また一段、ネ〇ミが描く放物線の軌道を私は目で追いながら、ネ〇ミがとうとう階段を上り切る最後の一段の跳躍で、ネ〇ミがスローモーションになり、これがピンポン玉だったら今まさにここでぶっ叩く!という瞬間、

ネ〇ミが空中でピタリと止まって見えました。

そして、まるで時が止まったかのように滞空しているネ〇ミを、下から駆け上がってきたLの右足がピタリと捉え、ネ〇ミと同じ落下速度で足を下ろすと、ネ〇ミがちょうどLに首根っこを踏みつけられた形になりました。

「マスター!マスター!捕まえたから早く!」

Lは下に向かって叫び、マスターはこん棒と麻袋を持って上がってくるとLが踏みつけているネ〇ミを麻袋でくるむように拾い、会釈も「すみません」も何もなく下りて行きました。

「アレ、どうするんかね?」と私が聞くと、Lは平然と「さあ?後で食べるんじゃないですか」と言いました。

でも、さっき空中でネ〇ミを捉えたタイミング、あれは

ナイススマッシュだったな、と思いました。



ちなみにヘッダーの写真は香港ネ〇ミランド内のレストランのネ〇ミ型に剪定された観葉植物のライトアップです。






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