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謝るということ|「ということ。」第17回

 去る四月十日、うちの会社にも新卒が入った。女の子が二人。その二人とともに九月まで続く運用案件を任されたのは、たった二週間前のことだ。

 私が彼女たちに教えられることとして、まずビジネスマナーがある。ビジネスメールの書き方とか。この二週間、彼女たちが社外に送るメールはすべて、私が一度添削している。正直、私が正解だとはとてもいえない。けれど私が新卒だった頃、同じように私のメール文を添削してくれた先輩が言ったことを、一つひとつ意図的に思い出しながら彼女たちに伝えている。

 金曜日の夜、そのうちの一人がミスをした。何十も送るうちの一通で、相手の名前の漢字を誤って送ったのだ。これは、私のミスだ。まだ社会人として一カ月も過ごしていない彼女たち。そんな彼女たちのメールを添削する身として、確認が至らなかった私のミス。唯一の彼女のミスは、「謝罪のメールを、私の添削を入れずに送ったこと」だった。

 週が明け、早速彼女と、(一緒に話を聞いておいたほうがいいから、と)もう一人の子も会議室に呼んだ。

「こっちからすれば何十も送る中の一通でも、相手にとってはたった一通なんだよ」
「今回の宛名の間違いは私の責任だから、今は落ち込まないで。でも、次からはあなたの責任にもなるからね」
「団体名や住所とか。間違えてはいけない情報は、今後コピペにしよう」
 そんなことを話した。

 私だって、本当はミスばっかりだ。まったく、彼女たちに厳しいことを言える立場でもない。けれど、私の先輩が私に対して、厳しく、自信たっぷりでいてくれたから。だからあの頃、私は迷わずに学べた。それを、「あくまで私のやり方だけれど」と前置きはしつつも、同じようにこの子たちにしてあげたい。

 そして、
「今回のあなたのミスは、謝罪のメールを送る前に私に見せなかったことだよ」
 そう言った瞬間、自分の心臓がちょっと冷えた。
「謝るっていうのは、かなり難しいことなんだよ」
 自分の声なのに、今度こそハッとした。

 謝罪。個々人ならば「私が悪かった。ごめんなさい」と言えばいい。けれど、ビジネスではそうもいかない。迂闊に自分の非を認めれば、最悪、捕って食われる。それはつまり、損害賠償だとか、今後の受発注だとか、そういう「目に見える償い」を求められるということ。ときには、事実として自分が100%悪いときもある。それでも、どんなに本人が望もうが、残念ながら“自分だけ”のせいにはできない。“会社”の問題なのだ。メール文の冒頭で、「〇〇会社の△△です」と名乗っている時点で、一人で仕事をしているわけじゃない。

「だから、ビジネスで謝るというのは、本当に難しいことなんだよ」
「ミスを一つもしないで仕事はできないから、ミスした後のことを一緒に勉強しよう」

 会議室での三十分。私は、また彼女たちに教わった。仕事でのミスの怖さや、謝ることの難しさ。

 個々人ならば「私が悪かった。ごめんなさい」と言えばいい。と先述したが、それでもやっぱり「謝る」というのは難しいことだ。過不足なく非を認め、今後につながるフォローをしなきゃいけない。難しい。……本当に。

 彼女たちに偉そうなことばかり言っている私も、決して謝るのは得意じゃない。だから、こんなふうにして彼女たちと、一緒に学んでいけたらいいなと思う月曜日だった。




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