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ぼくは、怖くて仕方ない方の道を選びました。

・「平均点の高い」「均質な」人材育成を狙った高等教育を受ける。
・出来るだけ大きな会社に入って将来を安泰に過ごす。

もう20年以上前の話だ。

こんなギチギチの狭い価値観の上に築かれたレールの上を行くこと、それが日本社会での成功体験とされていた。改めて言葉に起こしてみて、時代は大きく変わったと実感する。

かく言うぼくも、そのレールの上をひた走っていた。人よりも「早く」「効率的に」「上手に」走れるか。

そんなかけっこに夢中になっていた。

数年前にそのレールから思い切って飛び降りることにした。

学生時代のボランティア経験から好きで入った大企業の、希望通り配属された仕事を捨てて、規模の小さな会社に転職した。

家庭の事情とぼくの仕事の都合で叶わなかった、まだ小さい娘と一緒に過ごす時間。

可愛くて仕方ない娘と過ごす時間を少しでも確保したかった。

その一点で転職した。

ぼくのいた「出来るだけ大きな」会社には、ぼくの代わりはいくらでもいる。「平均点の高い」優秀な人材はいくらでもいる。

でも、娘の父親はぼくだけだ。

娘と一緒に親密な時間を過ごしてあげられる父親は、世界にぼく一人だけだ。

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・大学、学部選び
・就活を中止。休学しての海外ボランティア
・就職先選び
・結婚
・転職

これまで人生の転機とも言える節目の決断において、ぼくは誰かに相談したという記憶がない。大切なことは全て自分で決めてきた。

誰かに相談することで迷いたくなかった。

後で振り返った時に後悔したくなかった。

できるだけ自分の直感や想いに忠実に生きたかった。

自分で決めたことなら、結果がどうなっても納得できる、何より自分のこと信じれるんじゃないかな、って。

それが、ぼくの判断基準だった。

(こんなカッコつけたこと書きながら、今のぼくがあるのは、裏で表で支えてくれた周りの人たちのおかげだ。ぼくのことを温かく見守ってくれた人たちのおかげだ。今は、そのことがよく分かる)。

*******

転職するとき、めちゃくちゃ怖かった。自分で決めたことなのに、何をビビってるんだというぐらい怖かった。このまま頭が混乱してしまうんじゃないかってぐらい、怖くて怖くて仕方なかった。

大企業を飛び出して規模の小さな会社に転職する。しかもその理由が「子供と一緒に過ごす時間を確保したいから」。

それは、従来の「よく出来た既存レール」にはない価値観だったし、どんな世界が待っているのか想像できなかった。

全く知らない世界で、深さの見えない暗闇の中に身を投げ出して、どこまでも深く落ちていく。そんなヤな夢を何度も見た。

大学選び、休学、就職先選び、結婚。それらのどれにも増して大きな決断だった。

高校時代、アホ丸出しだったぼくが一年浪人して、食べる時間と寝る時間以外はほぼ全て勉強してました!と言い切れるほど毎日死ぬほど勉強して入った「難関」大学。周りの友達が横一線に就職活動してる中、就職する意義が分からず休学して行った海外ボランティア。その先に見つけたやりたい仕事、大企業。。

自分で自分の人生選んで来た、なんて思いながら、なんだかんだ言って難関大学に入って大企業に行けば将来安泰!って、思ってたんだ、無意識のうちに。

そういう価値観刷り込まれてたんだ、知らないうちに。

でも、転職して良かった。
良かったと思うことは、沢山ある。

もちろん一番は、小さな娘との今しかない時間を確保できたこと。良い選択をしたと、一生胸を張れると思っている。

そしてもう一つは、「井の中の蛙」として生きてきたんだな、ということを身に染みて実感したこと。

「良く出来た既存のレール」の上で、狭い価値観の中で、そのレールの上を誰よりも早く上手に走ることが最善だ!なーんてやってきたんだ、恥ずかしながら。

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転職して改めて気付いたことがある。

世界は多様だってこと

「日本人」という括りの中にもたくさんの「違い」があるということ。

当たり前のことだ。

でも、そんな当たり前のこと、転職するまで「実感」レベルでは分かってなかった。

全く気付いてなかった、

人生の大切なことを自分で決めると、多様な世界が見えてくるってことに。

みんな、それぞれ色んな背景を抱えて生きてるんだってことに。


ぼくは、怖くて仕方ない方の道を選んだ。

その先にあったのは、温かさのある世界。
そこはおそらく、元からぼくがいた場所だ。

そう、ぼくは自分の人生に戻ってきたんだ。

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