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人が嫌がることを率先して体験することが自分の得がたい財産になるという話

この記事は先日投稿した「危機や窮地を何回も潜り抜け修羅場を経験すると自然に人間通になれるという話」という記事の続編になりますので、よろしければこちらの記事を先にご覧いただければわかりやすいかと。


前回の記事でもお伝えしたように、私のビジネス人生と現在の人生観や価値観の原点になったといってもいいくらい勉強になったのが、東京という大都市でクレジット代金の未納者から未納代金を取り立てる集金係の仕事です。

その集金係の仕事というのは、新宿歌舞伎町と百人町や大久保界隈と、今は西新宿に地名変更された西口側の柏木という代金滞納率の高い重要エリアを担当させられたことから始まったのです。😓

私がその重要エリアを担当させられた理由などについては後述したいと思いますが、集金係を拝命したことで私の社会人としての人生が、大きく動き始めたと、大袈裟ではなく今でもそう受け止めているのですよ。

県立高校の普通科を卒業し、潰しの効かないままで選んだ仕事は、3食付きで住む寮があって、人が嫌がる仕事で、給料が多い職場という、その3点をクリアしている会社を探して、見つけたのがクレジット百貨店でした。

その赤いカードで知られているクレジット系のデパートが、第一志望でその会社以外は採用試験は受けませんでした。

というのも、私の志望条件が「3食付きで住む寮があって、人が嫌がる仕事で、給料が多い職場」というもので、その嫌がられる仕事の集金係を志望していたから、面接でドジらなければ採用される確率は高いと。

就職活動の担当教師がそう言ってくれたので、まず1社に絞って採用試験を受けたのですが、面接でも他の会社の採用試験を受けるのか聞かれ、御社のみしか受けない集金係志望なので、という回答で結果的に採用されました。

そうやって自分で見つけた会社を就職担当教師と相談しながら、採用試験に辿りつくまでに校内の選考会というクリアすべき問題があったものの、これは就職担当教師の推薦で校内から1名という枠を、確保できたのです。

その鹿児島の田舎からポッと出の18歳が、海千山千の料金滞納者を相手に東京都内のエリアの中でも、もっともいわく付きの地区を担当する集金係を仰せつかって、その地区なりの苦労や経験をしたことが財産になりました。

そのときの経験がコミュニケーションスキルや人を観察し、その背景や心理状況を読み取るという人間通としてのスキルを磨いてくれたと思うのです。

そういう経験を積んだからこそ、サラリーマン時代の同僚や後輩の言動から彼らの思惑や本音を察知するのはもちろん、先輩・上司が考えていることもある程度は推測できたので、先手先手で行動することができたのです。

サラリーマン時代はその先手先手の行動のおかげで、最年少記録を次々と塗り替えて異例の出世を経験することもできました。

そういう点でも、私のビジネスと人生観・価値観の原点は、新宿歌舞伎町と百人町や大久保界隈、それに西新宿(当時は新宿西口側の柏木)といった料金滞納率の高い重要エリアを担当したことに行き着くわけです。😅

担当エリアの未納者には歌舞伎町で働くホステスさんや、ホステスさんと同居している水商売の男性も多く、少しマシなマンションになると裏稼業の恐いお兄さんたちも相手の、恐くて滞納者だらけの集金エリアなんですよね。

特に昭和の40年代後半は、世間も高度経済成長期真っ最中で、世の中も慌ただしくてなんだか駆け足で騒いでいるような時代でしたね。

特にその頃は新宿歌舞伎町辺りになると、ひときわ物騒なエリアとして認知されていたんですよ。😨

そんな地区を担当させられて、強面の恐いお兄さんや入れ墨のオッチャンが出てきて凄まれても、はいそうですかといって、さっさと帰るわけにはいかんのですよね。

なんせ滞納している未納代金を払ってもらわないと、事務所に帰れませんもんね。

そんなときに頼りになるのは、自分を護るスキルと、物怖じしない強い心だけなんですよ。😓

で、そういうときのために、危機窮地に陥ったときや陥りそうなときに役立つ護身術スキルが、こちらです。って、宣伝かよ。🤣


そりゃぁ~ねぇ~、まだ九州の片田舎からポッと出で上京したばかりの18歳ですもんね。

いきなりそんな物騒なエリアを担当させられて、目の玉かっぽじいて驚くようなことばかりが続きました。

その集金係を無事に何とかつとめあげて、新しい職場に転勤することになり開いてもらった送別会で課長から聞かされたのは、はるばる鹿児島から上京してきたから、多少の揉め事に巻き込まれても辞めることはないだろうと。

ちょっとやそっとの苦労をしても、すぐに逃げ帰ることはなかろうと、そういう話になり例のエリア担当として、私に白羽の矢が立ったらしいのです。

履歴書には空手の有段者とも記載されてるし、陸上の駅伝選手でもあるから逃げ足も速かろうし、自分の身くらいは自分で護れるだろうよと、配属を決める打ち合わせで、すんなり決定したということを聞かされたのです。😓

そんな笑い話のような理由で、物騒な担当エリアを受け持つことになったのですよ。🤣

そういう経緯も知らずに、上司や先輩たちから担当エリアの特殊事情や対処法などを、事前にたっぷりとレクチャーされたもんだから、初仕事に出かけたときは、思わず武者震いしてしまうような、ウブな集金係でしたね。


まぁ、それからあとに経験したエピソードなども、別の機会にまた記事にしたいと思います。

とにかく、そういう得がたい若い頃の社会人経験や、育った家庭環境などの影響を受けて、いつしか同僚や友人たちから人間通だと、そう目されるようになり、実際にニックネームのように呼ばれることになったわけです。😓


いろいろな経験の中には、おもしろかったこともあれば、生きた気がしないこともあったけど、過ぎてしまえば恐い思いでブルっていたことも、いつか武勇伝のようになっちゃって、聞きようによっては鼻につくんですよね。😅

そんな私にとっての集金係は短い年数でしたが、ギュッと濃縮された人生の縮図を表だけでなく、裏側も見せてもらえた貴重な期間でした。


ってことで、今回は
人が嫌がることを率先して体験することが自分の得がたい財産になるという話」という人生経験が振り返ると自分の財産になったという話でした。🤗
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

嫌がらず  面倒がらず  のほほんと


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