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聖徳太子母/天皇皇后「竹野神社・斎宮神社」麻呂子親王の鬼伝説!丹後鬼伝説【丹後王国シリーズ】

「たかのじんじゃ」によると、丹波大県主由碁理の娘で、開化天皇の妃であった竹野媛が年老いた後、天照大神を祀ったのが当社の起源だそうです。
祭神は「天照皇大神」で、境内摂社・斎宮神社があり、祭神は丹波大県主由碁理の娘で開化天皇の妃の「竹野媛命」、「建豊波豆羅和氣命」、開化天皇皇子で丹波道主命の父である「日子坐王命」を祀る。

天照大神を祭神としており、通称「斎宮」と呼ばれている。「古事記」には、竹野の里を国府としたという伝承を持つ、丹波の大県主由碁理の娘・竹野媛が開化天皇の妃になると見え、この竹野媛が年老いて郷里に帰り、天照大神を奉祀したのにこの神社は始まると伝えられる。
本殿と並ぶ境内摂社斎宮神社には、日子坐王命・建豊波豆良和気命・竹野媛命の三神が祀られている。
ここには、用命天皇の第3皇子磨子親王も祀られており、鬼退治の伝承が伝えられ、縁起絵巻も残されている。この「オニ」退治の伝承には、大和政権が丹後の豪族を「オニ」とし争い、丹後を支配していった過程において残された英雄伝説との説もある。

 丹後鬼伝説近くに鬼退治をした麻呂子親王の兄弟「松枝大明神」「塩干大明神」を祀る神社がある。
 紀伊半島には神武天皇の兄弟たちを祀る神社があるが、丹後半島は麻呂子親王の兄弟たちがキーワードか?(昨日までの私のNOTE参照)

 神社裏には、神明山古墳という日本海側屈指の巨大古墳がある。竹野神社は、事実と伝説、そして想像のはざまともいえるような場所ではないでしょうか。

変更履歴
2023/07/30 初版


▼HP 公式HPなし

▼アクセス

京都府京丹後市丹後町大山922

▼祭神

竹野神社:アマテラス
斎宮神社:竹野媛命/竹野比売
→第9代開化天皇の妃
→記紀に登場する、丹波国・丹波大県主由碁理の娘
斎宮神社:建豊波豆羅和氣命(建豊波豆羅和気王。タケトヨハズラ)
→開化天皇の第4皇子
斎宮神社:日子坐王(彦坐王/彦今簀命。ヒコイマズノミコト)
→開化天皇の第3皇子、但馬国造の祖で崇神天皇の勅命を受け、玖賀耳之御笠退治のために丹波に派遣され、周辺地域の開拓に携わる

▼見どころ

 竹野神社・斎宮神社に行く前に「古代の里資料館」に行くことをオススメします。私たちは資料館に車を置かせていただいて参拝しました。

▽古代の里資料館

 こちらを参照ください。m(__)m

◆京都丹後⑧◆蟹!羽衣伝説!浦島太郎!トヨウケ!麻呂子親王-丹後王国- - じゃらん旅行記 (jalan.net)
縄文⇒弥生となり早くから農耕がはじまり、強者(豪族)が生まれ丹後王国が出来る。日本海の島根・出雲大社から長野・諏訪大社は出雲族が固まっているが、丹後だけは属していないことが謎だったが、ここでも謎とされている。面白かったのは丹波から独立し、衰退とともに丹波に戻ったのかもしれないということか。
(略)
古墳から出た鉄の刀があった。古代日本の北九州・出雲・丹後が栄えた理由が朝鮮半島から鉄の入手がしやすかったという説がある。丹後の衰退は丹波・出石神社に腰を下ろした新羅の王「アメノヒボコ」の仕業か??
(略)
また記紀の読み直しをしようかと思った。丹後王国全盛期は皇后に竹野媛などを輩出したりしている。ちなみに聖徳太子の母は間人皇后であり、立岩に行くと間人皇后と2才聖徳太子像の銅像?石像が建てられていた。実に興味深い。
(略)
皇室と丹後の関係がわかる。第9代「開化天皇」の皇后「竹野媛」で、竹野神社に祀られている。11代「垂仁天皇」には丹後から4媛を娶っている。これは大和朝廷にとって、いかに丹後の地域が大事であったかを示すものと言えよう。これは伊勢神宮の内宮の次に大事な外宮「トヨウケ」も丹後出身であることからも明らかと言えよう。

↓私のじゃらん旅行記

▽竹野神社・斎宮神社

京丹後市は聖徳太子の母の出身地であり、天皇の妃になっていることもあり、大和朝廷とつながりが強いと思う。
竹野神社は9代開化天皇の妃となった「竹野媛」が晩年帰郷した際に「天照皇大神」を祀って創建したといわれる由緒ある神社。
隣には摂社の斎宮神社があり「竹野媛命」、「建豊波豆羅和気命」、開化天皇皇子で丹波道主命の父である「日子坐王命」が祀られている。

竹野神社は、「延喜式」の神名帳で大社として記される。祭神は天照大神であり、本殿と並んで摂社斎宮神社があり、祭神として日子坐大命、建豐波豆良和気命、竹野媛命を祀る。竹野媛は丹波大県主由碁理の娘で、第9代開化天皇の妃となる。「古事記」「日本書紀」にも記され、竹野神社は竹野媛が年老いて天照大神を祀ることに始まると伝えられる。
斎宮神社には、第31代用明天皇の皇子である、麻呂子親王も祀られ、鬼賊退治と丹後七仏薬師の伝承がある。この伝承は「等楽寺縁起」「斎明神縁起」として絵巻に描かれ、京都府登録文化財となっている。
現在の社殿は文政13年(1830)に再建されたものである。本殿は規模の大きな一間社流造で装飾が抑えられた荘厳な建物であり、斎宮神社本殿は対照的に小振りな一間社流造で賑やかな装飾を有している。中門は神社の門としては珍しい向唐門の派手な印象を与える建物で、いずれも京都府登録文化財として指定されている。
この地に竹野区に伝えられ、竹野神社の祭礼に演じられる郷土芸能「竹野テンキテンキ」は、子供六人からなる素朴なものであるが、風流囃子物の古い形をのこす芸能で、京都府登録文化財に指定されるなど優れた文化財を伝えている。

京丹後市教育委員会

割拝殿の先は拝殿・本殿になる。この扁額は「斎宮神社」と書かれているので元々は竹野神社と斎宮神社の本殿は今の配置ではなく、滋賀・日吉大社、奈良・大神神社と狭神社などのように、分かれていたのかもしれない。
 要は下の写真のもこう側に見える拝殿は竹野神社用の拝殿で、割拝殿は斎宮神社用なのかなと。

 本殿です。前述のとおり、大きいのが本殿・竹野神社で、右に斎宮神社となっている。

 さて、竹野媛は歴史上に2人いる。丹波道主王の娘で、第11代・垂仁天皇がサホビメを失った後に、妃候補として招かれた5人の姫のうちのひとりで、竹野媛は容姿が美しくなかったために帰されることとなり、そのことを恥じた姫は輿から落ちて(堕ちて)亡くなったとされます。その場所が今の「乙訓(おとくに)」。そのお話が残っているのが京都南山城にある「相楽神社」です。
 ※乙訓(おとくに)=飛び降りた 相楽(さがる)=首つる

最後に・・竹野神社は次のNOTEにも書いていましたね・・。

▽古墳

 「竹野神社」近くに「 神明山古墳(しんめいやまこふん)」がある。
形状は前方後円墳なので大和朝廷側ということか??いや、出雲と決別した盟主か??
 この地域は古墳の棺から女性が多いとか。いずれ、実は卑弥呼はここだ!!と言い出す人が出て来るかも。
 結局のところ、今も昔も、政治をする権力者と、国民が心を寄せる権威は別罰にしたのだろう。権威は神に使える女性が多かったのかもね。

▽立岩と聖徳太子と母

 竹野神社の斎宮神社祭神・麻呂子親王は「立岩」に鬼を閉じ込めたという伝説ががある。

 本来はベストスポットが撮れる橋があるのだが、立ち入り禁止になっていた。車で近くまで来れますが、道が狭いので注意ください。立岩の右側は砂地で左側は川と海が融合し、川の途中まで海水が来ている。岩に圧倒されるが、波打ち際なども見逃せない。
 聖徳太子の異母弟「麻呂子親王」は大江山の鬼を追い込み、鬼を閉じ込めた岩とも言われている。親王は神の御加護と感謝し七体の薬師如来を作ったとか。その7薬師は、神宮寺@市丹後町、願興寺@市丹後町、施薬寺@与謝野、清園寺@福知山市大江、等楽寺@市弥栄、成願寺@宮津市、多弥寺@舞鶴となっているのだが、これ以外にも薬師如来を安置する寺があり、いろいろな説がある。

 推古天皇の頃、丹後(丹波)の三上ヶ岳(現大江山)では英古・軽足・土車という鬼が暴れていた。そこで朝廷は麻呂子親王を将軍に任命し討伐に向かわせる。途中、戦勝祈願のために神社に立ち寄ると、伊勢の神の化身という老人が現れ「この犬が道案内いたします」と、白い犬を差しだした。
 鬼との戦いが始まると、鬼は山の奥へと逃げ込むが、白い犬が持っていた鏡によって鬼が照らし出され、英古・軽足は討ち取られ、土車は竹野で立岩に閉じ込められたと伝わっている。

そしてそこには聖徳太子と母が鬼を見張っている?

 物部氏と蘇我氏の戦いが激化すると間人皇后(はしひとこうごう)は竹野に逃げる。平定し大和に戻るときにここを「間人」と名付けた。ひとびとは「はしと」を使うのは恐れ多いと「たいざ」と呼ぶようにしたそうな。

▼旅行記


▼セットで行くところ

▼仏像展


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