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聖徳太子所縁「四天王寺」四天王4寺の一宇【三重北シリーズ】【三重津シリーズ】

用明天皇の御代に、物部守屋との戦いに苦戦していた聖徳太子は四天王尊像を刻み、「勝利を得られたら、寺塔を建立する」との誓願をしたところ勝利することができた。国内4ヶ所に四天王寺を建立しましたが、その一つがここのようだ。太子像は、父・用明天皇の病気快癒を祈願している姿を描いているとされ、薬師如来坐像との関連がありそうです。

有名な大阪の四天王寺はこちら!

変更履歴
2024/04/09 初版


▼HP

▼アクセス

三重県津市栄町1-892

▼祭神・本尊と脇時

釈迦如来坐像

▼見どころ

 用明天皇の御代に、物部守屋との戦いに苦戦していた聖徳太子は四天王尊像を刻み、「勝利を得られたら、寺塔を建立する」との誓願をしたところ勝利することができた。国内4ヶ所に四天王寺を建立しましたが、その一つがここのようだ。太子像は、父・用明天皇の病気快癒を祈願している姿を描いているとされ、鎌倉時代の「絵画 絹本著色 聖徳太子像」がある。そして、平安時代作「薬師如来坐像」を安置する聖徳太子の寺院である。

 薬師如来像@重文は檜の一木造りで、1077年に仏師定朝により造られたもの。大阪にある四天王と同様に聖徳太子に所縁のある寺で、当時の宮城鎮護の為、各方角に一宇づつ設けられた寺院の1つ。境内に入ると、お堂に入ってくださいと促された。本尊は釈迦如来坐像で、顔が清凉寺式に見え、よい佇まいだった。

聖徳太子所縁の寺で、丈六仏画が4体があったが3体は焼失して、残りの「薬師如来坐像@重文」が展示されていた。寺では本尊に向かって右側に安置されている。この仏像は納入物が残っており、蘇我側の聖徳太子に所縁の寺でありながら、願主は物部姓の女性であるのが面白い。やはり、物部は蘇我と仲が良かったのか?蘇我から物部に嫁いだのか?

『三重の仏像~白鳳仏から円空まで~』薬師如来坐像@重文

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▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

▽MieMu 三重県総合博物館『第25回企画展・開館5周年記念特別展 三重の仏像~白鳳仏から円空まで~』

 


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