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村の昔の生活史

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昭和43年から続く小さな村の広報誌。ページをめくると大野見の歴史や民話、暮らしぶりが記されている。 そこには歴史の教科書に出てくる偉人など一人もいない。
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#農業

農民にひかれた生産技術が文化を作る

農民にひかれた生産技術が文化を作る

私は大野見に来てから米を作っている。
およそ半年、手塩に掛けて主食を自給するのは、野菜を育てたり、
野生動物を狩るのとはまた違う気持ちよさと安心感がある。

と、同時に米作りが他とは違い、いかに協働的な活動で、
地域のつながりを要するか思い知らされた。

それが心地よいか悪いか。

ともあれ、昔からこの村で脈々と営まれてきた稲作が
この土地の雰囲気や村民性を構成する濃い要素なのではないかと実感した

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人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている鍛冶屋の歴史。

鍛冶屋は、都市で生活しているとあまりにもなじみのない職種のように見えるが、数十年前までは町に鍛冶屋がいる光景が当たり前だった。

大野見にもかつては鍛冶屋がいた。その頃の人と刃物と自然が築いていた豊かな関係性にもう一度、目を向けてみたい。

日本における鍛冶の伝来鉄の文化の起源については明らかでないが、おそらくアルメニヤ地方におこった

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生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

現在、人口1000人を切る旧大野見村にも、かつて狩りの名手がいた。
狩猟を生き甲斐とし、狩猟を愉しみつくしたその猟師の姿は
現役の地元猟師にも重なる。
狩猟を経験している私自身の感触とともに、
娯楽としての狩猟を、どうとらえたらいいのか考えてみた記録。

幕末の土佐藩主に認められた猟師
 東の空が白みかけた朝まだき、凍てつくような霜柱を「サク、サク」ふみしめながら、西に向って進む狩り姿の一行があっ

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炭焼きという貴族のたしなみ。

炭焼きという貴族のたしなみ。

これは、今からおよそ100年前に生きた炭焼き職人の話。
昭和53(1978)年の大野見の広報誌に編まれている。

炭焼きの歌

炭焼きは、汗と涙の仕事。山小屋でとまり、夜明けと共に、木をきり、日が暮れてからおく(おく:終わらせる)。そんなに働いても儲からない。 かつてふる里の山あいからは、薄紫の煙が、もうもうとあがっていた、そこには、窯と小屋と炭を焼く、たくましい人々がいた。

雪の日も、風の日も

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