山口大空の独り言

山口大空の独り言

マガジン

  • 写真

    撮る、というより残すに感覚は近いかもしれない。22歳を前に迎えて、届ける写真も考えないとまだ死ねないと思うようになった。守りの残すと攻めの届ける、どちらも活動していきたい。間違いなく、自分が一番生きてる実感を感じるのは、写真なのだから。

  • 思考

    日々考えること。それは時に悩みと呼ばれ。恋と呼ばれ。判断と呼ばれる。考えとは呼吸と同じく、逃れられない人間の生そのものだと思う。 人生において、その考えという行為を僕は利用し、操り、武器として、より豊かになるよう活かす。

  • 創作

    生業と言っても過言ではない。創作をし続けることは、僕の人生の生き方の模範解答に近いだろうとつくづく思う。僕の魂を削って産んだ作品で誰かに喜びや希望を与えたい。

  • 問題提起

    僕なりの正義を隠すことはしない。間違っていると思えば、それは表に出したい。何のための知恵を持ち、何のために思案することができるのか?それは本心を我慢する為なのか。曝け出すためではなかろうか。僕の考えは、僕なりの正しさを、僕自身として表現するためにある。その一部、世の中への問題提起だ。

  • 音楽

    はるか昔、人類が作り出した音の芸術は、今日も民の心を動かし続けている。視覚を必要とせずとも、受け取れる世界観は、受け取り手の経験と知識と想像力によって本当の今で完成する。

最近の記事

写真家にもフォトグラファーにもなれない。

2023年の冬から写真とフォトグラフィーの定義、考え方の違いについて触れ続けている。 そして以前、写真的要素を成長させたいといった記事も書いた。 明らかに照明機材やカメラをの知識が他に劣っているため、仕事の部分でパフォーマンスが落ちてしまうと考えた。 仕事。私は自身の為の表現にファンが付き、金銭になる人間ではないので、クライアントワークである。他者の願望に寄り添う。依頼主を満足させること。 しかし、これまでは自身の表現ばかりを追求してきたので、いまだに実力が足りないと

    • 利休での安寧、泡のような記憶。

      かつての写真を部屋に貼る。 丁寧に、自身のルーツを辿るように。 そうだ、私は旅館で生まれた。 草津町で生まれたのだ。 間違いなく山口大空という人間の核には温泉がある。 家に温水が出ないタイミングでもあるので、久しぶりに利休へ向かった。本来は地元の温泉に浸りたいが、こちらも馴染みの場所なので良い。 父の姿、父親 滝風呂で目を瞑る。 今までこの場所で何を見てきたのか? 何を聞いてきたのか? 何であったのか? まず、薄らと形が見えたのは父の姿。 草津から映画を見に出かけ

      • 失う前に、後悔する前に。

        この写真は、もう二度と撮れない。1度しか行けなかったけれど、好きな空間だった。 川越の民家の裏、隠れ家みたいな入口。 ドアに貼り付けられた小さなタイル。 川越で出会った同い年、レイラちゃんのお店は温かくて、優しくて、彼女の作品が微笑んでいて、それはあまりにも微笑ましい世界。 育った旅館には似つかないのに、不思議と帰ってきた感覚がした。 それはきっと、哀愁ある木造と彼女のキャラクターが起こした錯覚。 同い年のレイラちゃんは、川越のラッパーさんの繋がりで出会った。1度撮

        • 作品の肉体と精神、どちらも届ける。

          世の中の作品と制作の手段は、数多に存在する。 造る、移す、組む、歌う、建てる、描く。 創作をする人間たちのほとんどは、何かしらの想いを込めるだろう。 制作物が誰かに届いた時。作品の肉体は届いても、内に込めた「想い」という精神が届かないことがある。 想いが届かなければ、行動と感動、肉体と精神の動きに結びつかない。 表現の世界における「何を伝えたいか分からない」や、ビジネスにおける「売れない」「流行らない」という状態の原因はここにあると考える。 私が創作において重要だと考

        写真家にもフォトグラファーにもなれない。

        マガジン

        • 写真
          12本
        • 思考
          22本
        • 創作
          13本
        • 問題提起
          7本
        • 音楽
          8本
        • 死生観
          3本

        記事

          不必要な批判について。

          スレッズにて、多くの人達が写真論を語っていた。考えの発信はいい。自身の信念に基づいて言語化し、発信したいのは理解できる。 しかし、思考が似合わない活動や表現を過剰に否定することで、自身の考えを示す行為は好ましくない。 その姿勢もだが、誰もが見るSNSという場所で書くことではないだろう。正当化した愚痴を大衆に見せつける行為の連鎖は、社会にとっても悪影響だ。 それぞれの形があり、それぞれの考えがある。 誰かを下げなくとも自らのスタイルを表現できないか? 誰しもが見る場所だ

          不必要な批判について。

          遂にルーツを辿る段階へ。

          先に進む時がきた、この4年間地に足をつけ、虎視眈々と技術を磨いていた。 自らの考えが一貫しているかを常に問うてきた。今の生活でいいのか、毎日の改善を重ねてきた。 全ての行いに意味を求めてきた。 生まれてきた意味は、私はこの世に何を残すのか。 そろそろ先へ行こう。1人で苦しんでいた時期から仲間ができたんだ。進もう。向かおう。 余暇はなくなるだろう 今までよりも、余暇はなくなるだろう。会社を立て、映像作品を作り、社団法人にも力を入れる。いつかの学生団体をNPOにする未来も

          遂にルーツを辿る段階へ。

          死後作品を残す意味。

          坂本龍一さんお言葉。歌はそうやって、語り継がれてきた。 遥か昔の民謡や詩は、作者不明だったりするが、作品は未来に語り継がれている。言い換えれば、作者が込めた想いは今までも運ばれた。 人類の叡智が蓄積されるようになった現代。作者のデータも残りやすくはあるが、それでも未来で人々に寄り添うのは作品の方だ。 肉体は死んでしまえば、残らないから。 幾ら人物の人柄や思考を推測しても、目に見えないものは答えあわせができない。その人が書いた文や、作った音楽、絵や造形は多少埃を被り錆よ

          死後作品を残す意味。

          人間の数は人生、その理解。

          都会に出ると常に思う。人の数だけ人生がある。これ程多くの人がいて考えや生き方が異なるのだ。 山口大空という生き物はどれほどに微小で、日々の悩みすらも馬鹿馬鹿しいな、と。 涼宮ハルヒで触れた思考を、大人になっても抱え、良くも悪くも広い視野で捉えられるようになった。そんなことを前橋駅のベンチで考える。 私たちは、それぞれを生きる。大切そうにお茶と新聞を抱くおじさんも、イヤホンをつけた女子高生も、目を擦るサラリーマンも。こうやって、文を綴る私も。 みな考え方が異なり、みんな

          人間の数は人生、その理解。

          なぜ私はnoteを書いているのか?

          そもそも、なぜ私はnoteを書いているのか? いつ出会ったかは覚えていない。 ただ2021年には、別のアカウントで7.8記事は書いていた。 昔から文章は好きだった。国語の成績は良くなかったが、作文はだけ捗っていた中学時代。高校で小説を読むようになり、3年でフリーランスに憧れてから、多くのビジネス本や自己啓発本を漁った。 既にやめたが日記を書く習慣は、中3から専門2年まで続いた。こうやって振り返ると、書く量と頻度は学生時代から培われたのだろう。 しかし、なぜnote

          なぜ私はnoteを書いているのか?

          君と巡る浅草。

          彼女との2月の記憶。 鮮明なうちに、綴りたい。 一歩、また一歩。白い吐息を吐き、駅に向かう。平日、学ランにいつかを重ねて、高崎へ。 彼女がいつか、国試が終わったら泊まりたいと伝えてくれたので、二月の行事として浅草で観光することにしたのだ。 しばらく旅をしておらず、創作にも行き詰まり仕事にも嫌気が刺していたので、かなり有難い時間だった。 座席にもたれ掛け、一息。 電車の煩い声。俯く人々。ああ、やっぱり変わらない。好きじゃない光景。 仕事から離れた日、みなと逆に顔を上げ

          不気味な森より恐ろしい人々。

          この躍動はなんだろう。かつて両親と車でどこかへ向かった感覚に似ている。 雨音響く車内で、ナビを消す。 特に理由はない。 ただ暗くなって数秒後、その判断が正解だと認識する。 近くの村を運転しているだけ。車という移動手段で考えればここは近所なのに。異常な心の躍動はなんだろう。 街灯が少なくなる。 ハイビームをつけ森へ。 二度と出られないと感じる程に、終わりのない深淵に潜り込んでいく感覚。 しかし何故か、不安感で口角が上がってしまうほどに今の心地は良い。 夜の工場地帯。

          不気味な森より恐ろしい人々。

          日本のHIPHOPらしさについて。

          HIPHOPの定義なんて、砂の数ほど語られてきたわけで、今さら枠に収めることはできない。MCバトルでも、音源のリリックでも、キャリアでも、多くの人間がHIPHOPを語ってきた。 「これがHIPHOPだ」「お前のはHIPHOPじゃない」 まるで戦場にいるかのように、意見の弾丸が四方八方から流れるこの音楽。 この文化は、リスナーもアーティストも各々「自分なりのHIPHOPの定義」をしっかり持っているからこそ、アンチヘイトや意見の衝突が、他の音楽ジャンルに比べて多く目に見える

          日本のHIPHOPらしさについて。

          修整、結局人。

          修整ばかりの世の中で。辞書の言葉たちは埃をかぶる。 写真。それが名は体を表さなくなり、どれほど経ったのだろうか。現在は外来語であるフォトグラフィ(光の絵図)の意味合いが約100%で用いられている。 魅力的に写ったモノ達の共通項を探す生活をしていたら、とある疑問が浮かんだ。広辞苑に載る意味は人類にとって必要最低限のツールでしかないのではないか?それぞれが付けた主観的な定義の方に実は価値があるのではないか?と。 今振り返ると、高校生までは辞書を覚え続けるような生活だった。A

          報いについて。

          育った中学からの下り坂。 地元の涼風と走る時間。 「何をしたら報われるのか?」 そんなことを考え始めた。 報われる、とは何なのか。 それは、続けた努力に対して成果が出ることだ。名声、金銭、出会い、感謝、評価など、様々な形がある。 だとすると、私は既に報われている。 映像や写真を始めた高校時代から、多くの報いを貰えているではないか。 そもそも報いは必要なのか。 報いは必要。対価が返ってこなければ、そもそも活動が難しい。 出費が発生する業務をこなす以上、金銭の獲得

          入道的な雲、迫る青い季節。

          車のエアコンのダイヤルを青へ捻る。 肌に当たる痛い日差し、彩度の上がる緑、澄んだ海のような上空。 夏がやってくるな。 全ての季節を堪能している。いるが、夏が近づく心の躍動は、他に変えがたい。 軽い衣服を身にまとい、蝉が唄う午後にアオトケイの音楽を聴こう。 下灘駅や田んぼで走る少年時代の、空想に浸り青に没入したい。 地球温暖化とやらで、自業自得な人間たちに嫌われる夏。 そんな君を嫌わない。仲間と高架橋ので影で楽しんだ花火も、行動力の種を授けてくれたお台場での一日も、特別

          入道的な雲、迫る青い季節。

          遠距離前、やり残した花見。

          川崎に居る君へ。 HIPHOPやフロンターレ、何かと縁のある街。 ラップは聞かずサッカーも見ない君は、看護師として働いていく。 群馬から引っ越してしまう前日、祖父母に会わせたくて草津温泉へ。 紹介を終えた帰り道、エンジンを付けた途端。 「3月27日、桜の日です。」 そんなアナウンスが流れ、顔を見合わせ驚いた。 遠距離前、最後のデートの日、そして。 私たちが出会った日はさくらの日だった。 この文を綴っている4月頭も、まだ満開でない。 今年の開花は、遅いみたいだ。

          遠距離前、やり残した花見。