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不必要な批判について。

スレッズにて、多くの人達が写真論を語っていた。考えの発信はいい。自身の信念に基づいて言語化し、発信したいのは理解できる。

しかし、思考が似合わない活動や表現を過剰に否定することで、自身の考えを示す行為は好ましくない。

その姿勢もだが、誰もが見るSNSという場所で書くことではないだろう。正当化した愚痴を大衆に見せつける行為の連鎖は、社会にとっても悪影響だ。

それぞれの形があり、それぞれの考えがある。
誰かを下げなくとも自らのスタイルを表現できないか?

誰しもが見る場所だからこそ、自らの考えを届けたいのだろうが、その批判は必ずしも必要か。表現するはずが、他者を攻撃することが目的になってないか。

そもそも批判することが目的なら、手段は適切だと思う。
しかし、表現の手段に批判があるのであれば、違うやり方を考えて欲しい。

完全なる他者の理解は難しいし、浅はかな理解で誰かを批判することが日常になっている人達は、その行為が社会にとっても自らにとってもメリットが少ないことに気がつこう。

これは写真でなくとも変わらない。
表現の手段に、不必要な批判を使う人は、今1度考えて欲しい。

こんなことを書きながら、スレッズで綴る人達を変えようとは思わない。その意図があれば直接あのプラットフォームに書くからだ。

私はあの空間での視聴は辞めた苦しくて逃げた、身だから、今偶然にもこのNoteを読む人達や私のために書いている。

この事例は、写真というジャンルに括らずとも、多くの場面で見受けられる。

気づかないうちに、感情的になり批判することが目的になる。理論や本質を全て投げ出して、メタ認知なんて放棄して、批判をする心地良さがストレスの発信をゴールにしている。

確かに、クリティカルシンキング(批判的思考)は必要である。「その考えは正しいのか?」と常に問い続ける行為は、本質から離脱を対策できる。

ただ、批判的思考は他者の考えをむやみに批判することではない。

「論理的・合理的思考であり、規準(criteria)に従う思考」であり、「より良い思考をおこなうために、目標や文脈に応じて実行される目標志向的思考」であって、決して他者を攻撃するというようなネガティブな思考ではないのです。

批判的思考力とは何か
2013年12月05日 掲載
研究員 伊藤 素江/Benesse

上記記事にもあるよう、あくまで目標志向的思考である。

攻撃を目的にすることは、成長や表現においても適切とは言えないだろう。

私はこの考えを常に胸にしまい、不必要な批判や、表現の手段に必要ない批判を行わないように気をつけたい。

それぞれのやり方を尊重した上で、迷惑を被る人や周囲に対して悪影響だと判断した事象には、口を出すだろう。ただその1歩目はシビアに判断したい。

感情に支配されないように、未来を見据えて、言葉を扱っていく。

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