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不気味な森より恐ろしい、SNSの人々から逃亡した夜。

この躍動はなんだろう。かつて両親と車でどこかへ向かった感覚に似ている。

雨音響く車内で、ナビを消す。
特に理由はない。
ただ暗くなって数秒後、その判断が正解だと認識する。

近くの村を運転しているだけ。車という移動手段で考えれば、ここは近所なのだが、異常な心の躍動はなんだろう。


街灯が少なくなる。
ハイビームをつけ森へ。
二度と出られないと感じる程に、終わりのない深淵に潜り込んでいく感覚。

しかし何故か、不安感で口角が上がってしまうほどに今の心地は良い。

夜の工場地帯。
自衛隊の看板。
どこかの駐車場、行き止まりを折り返す。

前橋の夜景と平行に進む夜道で、アクセルを踏み続ける。

私は逃げたくなったのだ。

仕事が早く進み縦動画眺めていた。しばらく距離を置いていた他者の人生は、波のように襲いかかってくる。

かつては当たり前に見ていた筈なのに、いつから拒絶反応起こすようになったのか。


SNSの視聴から離れて、完全に耐性がなくなっていた。
いや、耐性がある方がおかしいのではないか。
SNSを視聴するだけ時間は人生の中で、充実しているとは言い難い。スクロールしてもスクロールしても、多くは充実している人生か、誰かへの攻撃が流れてくる。

これを好んで喰らうことが、本来異常なのではないか?と、自身の正当化のためにそんなものを考えた。

私にはその世界が苦しくして、なぜか周りの人たちや、実はこの社会全体が腐っているのでは?なんて、そんなペシミスティックになりかけた。

この兆候はあまりにも良くない。それだけはわかる。

雨の森を下り続ける。
左右の工事用車両。
不気味な霧と、襲ってきそうな木の枝達。

私はどこへ向かっているんだろう。

でもひとつ分かったのは、不気味な森より私が見たコメント欄の人間たちの方がよっぽどに怖かった。

今日は忘れよう。

こんな社会を変えられるかは分からない。
無意味な誹謗中傷をしないためにどうすればいい。

良いと思った時、素直に褒められる人間を増やすには、どうすればいいか。

思ったことが言えない世の中は嫌だ。

しかし良い事は伝えずに、誹謗中傷ばかりで溢れる世の中なんて壊れてしまえばいい。

いつか社会を、作品や表現で変えられるだろうか。未来の自分は、それをやってくれるだろうか。

矛先を向けられる気持ちを分からない人達が、傷つかずに変わることができたらなと、願う。

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