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死後作品を残す意味。


記憶がなくなってしまえば歴史の闇に葬られて消えてしまいかねないけれど、歌になることで、民族や世代の共有物として残っていく可能性があります。

坂本龍一

坂本龍一さんお言葉。歌はそうやって、語り継がれてきた。

遥か昔の民謡や詩は、作者不明だったりするが、作品は未来に語り継がれている。言い換えれば、作者が込めた想いは今までも運ばれた。

人類の叡智が蓄積されるようになった現代。作者のデータも残りやすくはあるが、それでも未来で人々に寄り添うのは作品の方だ。

肉体は死んでしまえば、残らないから。

幾ら人物の人柄や思考を推測しても、目に見えないものは答えあわせができない。その人が書いた文や、作った音楽、絵や造形は多少埃を被り錆ようとも根本は変わらない。

私はこの世界に生まれ、何か生きた証を残したいと思う。それが子孫だったり功績だったりと、みんな異なるだろうが私は作品を残す。

目的もなく、ただ好きで映像を始めて。写真を表現として捉えて、映画の目標を立て、文を綴る生活に浸った。

気づけば、作りたいから。表現したい残したい。と考え方が移行した。

生きた意味以外にも、遺書みたいな役割をすれば嬉しいとは感じる。

関わった人達が、山口大空はどんな人間だっただろう?と振り返った時に、作品達が私とつないで欲しい。

一人の若人の分際で大したことを言うが、少しでも世界にいい影響を及すのなら更に嬉しい。

将来的に、写真や詩の本は出す予定だけど。人生何が起きるかは分からないから、私がもし死んでしまったら、誰かがパズルのピースのように繋げ合わせて出して欲しい。

アーティストなどと呼ばれる人達は、きっと自身の終活の殆どを作品が占めていたのだと思う。

それだけ、自分が悩みに悩んで作り上げたモノは、魂を絞り出して得たモノは、本人にとっての宝。

肉体と精神の死。何かを残すものたちにとって、作品を全て忘れられた時、それが本当の死だろう。



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