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文は精神薬で、希望なりうる。
明日は、大切な人との記念日。とはいえ惚気を綴る気はなく、かなりネガティブな心理状態の今、恋愛について描き殴ろうと思う。
なぜ、ネガティブか?
それは、待ち遠しい記念日を前に、友人のカメラレンズを落として破損させてしまったのだ。間抜けでドジで情けない。謝罪をしたので早急に修理をするが、自身の危機管理能力の無さに嫌気が差している。
そんな絶望的に普通に生きれない私を好きになってくれた彼女に会いに、電車を待つのだ。
この落ちている心を、君に会うまでに戻さないと。折角の記念日が台無しになってしまうから。
だから、こうやって文を書く。いつも救ってくれたNoteに綴るのさ。
私がネガティブになるのは、自身の愚かさ・弱さで、改善するのは言語化と反省と対策で、その一連を書く場所はこのNoteである。
ゆえに弱っている時ほど、筆が捗る。
筆記は精神薬だ。
不登校だった時期に書いたNoteは私の中でも傑作だ。首が折れそうな程に上を向き、足掻いている様と、当時の私にとって死がどれほど近かったのかが伺える。
あの時、文章がなければ私はどうなっていたのだろう。
Noteが本当に救いで、TwitterやInstagramのTL機能は、誰かに無差別で文章を投げつけてしまう。それはテロ行為のようなものだと、前々から感じていたので、あの場所に苦しみを綴ることは許されなかった。制御出来ずインスタのストーリーに長文を書いてしまった自身への虚無感と、他者の行為を客観的に見た時の不快感から、投稿する場所は選ぶべきだと猛反省した。
もちろんインターネット上ではなく、紙媒体に書くこともある。ただ、それは本当にこの場所には書けない内容だ。あまりにも自分を締め付けすぎて、山口大空の喉元にナイフを突きつけている生々しさは、他者に見れられる様ではない。文とはいえ、醜悪な姿をしている。
この場所は、自分が失敗をして立ち直るまでの軌跡を残せる場所。そして、偶然的に訪れた人に私の改善のロールモデルを示すことができる。
自身にとっても、他者にとっても希望なりうるものになれば嬉しい。
苦しい時、辛い時、失敗した時、泣きたい時、そんな日こそ、この場所に書こう。
国語を嫌がっていた、小学生の自分も喜んでいる。君が学んだ学問は、ずっと自分を救い続けているよ。
いつか誰かを救えればいい。
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