終わりを見つめて
2022年10月2日、おじいちゃんが息を引き取った。
93歳の誕生日を5日後にひかえたその日だった。
先々月にコロナを患っており、その合併症だった。
−−あれは横浜武道館で開催された、ヒカルド・デラヒーバ杯の後。
横浜武道館近くの関内駅から帰路につき横浜駅で乗り換え、そこから一本で最寄り駅の要町駅を目指す電車の中、妹からLINEがあった。
その日、妹は誕生日だった。
ちょうどその朝、誕生日おめでとうと送って少し連絡を取り合ったばかりだったので、その会話の流れでの返信だと思っていた。
「よしたかおにいちゃん」
「さっき病院から危篤の連絡があり、今病院に着きました。」
「おじいちゃん亡くなりました。」
「後でまた連絡します。」
言葉を失った。
試合後の余韻と冷めやらぬ興奮、それが一瞬で冷えきって身を潜めた。
眺めていたSNSのタイムラインを閉じて、しばらくぼーっと電車に揺られる。
泣きはしなかった。
いや、泣けはしなかった。
まだ現実として受け入れられていなかったからだ。
それほどの深い絶望に一瞬にしてはまったから、と言うより、文字通りただ実感が沸かなかったからだ。
突然の訃報により起きた感情は試合後にもりあがった感情とぶつかり合い、波打ち、静かに落ち着いて、そこに何も残さなかった。
ただただ暫くは、ぼーっと、電車に揺られていた。
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これはニュージーランドにいた頃のこと。
ある時、ふと死について深く考えたことがある。
その背景にあったのは、やはりコロナであり、パンデミックだ。
ニュージーランドに滞在中の僕は、ひどく体調を崩していた。
気候的な要因であったり、居住地の環境的な問題であったりが重なって、持病が悪化したからだ。
喘息で呼吸が常時落ち着かず、アトピー性皮膚炎とその合併症で肌も大変に荒れた。
とにかく元々幼少期に体が弱かった僕は、海外渡航中という最悪のタイミングでそれが再発してしまい、都市閉鎖中の期間、中々につらい日々を送ることになった。
体調が優れなければ、やはり少なからず精神も病んでしまうもの。
宿泊先のホステルから出られない環境の中で、外部の情報を仕入れるためにネットを開けば毎日のように不幸なニュースが流れ、気分をよりいっそう重くした。
毎日毎日何人が死亡、何十人が死亡、何百人が死亡…
そしてその死亡者の多くが高齢者や基礎疾患持ちと言われていた。
「今、コロナにかかったら俺はどうなるんだろう?」
ふとそんなことが頭をよぎった。
なにせ幼少期以来、最大級に体調を崩していたのだから。
しかもよくも知らない海外の地で。
まぁ若いから…、とか思いつつも、もしものことがあれば、となんとなくだけ死を意識するようになった。
しかし、その後も流れてくるのは死について改めて考えてみろと言わんばかりの話題ばかり。
日々増す感染者数に比例して多くの人が死に、大物芸能人が死に、ちょうどその頃にSNS上では話題のワニが死んだ。
そして一番死を身近に感じたのが、飼い犬の急死だ。
12年…だけ、連れ添った飼い犬の予期せぬ死。
犬と言えども、12年という年数は決して長寿ではない。
帰国したらもっといろんなところに連れて行ってやりたかったのに、渡航前大阪に住所を移してから連れていってやれたのは結局長居公園だけだった。
福井から大阪に連れてきたんだから、飼い主の自己満足かもしれないが、もっといろんなところに連れていってやりたかったのだ。
(なにせいろんなところに行って、散歩をするのが好きだったから。)
ただ、それができなかったことを、深く後悔した。
そして、飼い犬はその短い人生に、満足していけただろうか?
満足させてやれただろうか?
人生を精一杯生きさせてやることが、できただろうか?
と、ぼーっと、考えた。
可能な限り長く、可能な限り幸せに生きさせてやることが、本来の飼い主の使命であったはずだからだ。
ただ、それはもう後悔先に立たずというもの。
失ってから悔いたって、もう取り返せない。
取り返せないのだ。
ーーそしてそれは、自分の人生についても言えるのではないだろうか?
思考はある時、自分の人生へとフォーカスした。
もし何かがあって、例えばコロナを患い病状が悪化したりして、今日明日にでも死ぬとすれば、後悔は何もないだろうか?
もう満足と思いきって死ぬことはできるだろうか?
なにか、やり残したことはないか。
やりきれなかったことはないか?
ホステルのベッドの上、何をするわけもなく寝っ転がっている毎日だったが、その中で自ずと浮かび上がる質問の数々が頭の中を巡っていった。
質問が繰り返される度、回答を探す思考も活発になる。
そして思ったことは、好きなことにまだ人生一度も一生懸命になれていないな、ということだった。
いつの間にか“こうあるべき”を追っていたのかもしれない。
たぶん僕はその時点で、自分の好きなことを何一つやりきれていなかったのだ。
そのとき、僕は柔術が無性にしたくなった。
別にうまくも強くもなかったけれど、ただ好きだったからだ。
たぶん、柔術は自分の中でやりきったと思えるとこまでやらないと、死ぬ時すごく後悔する。
例え死がそれより先に訪れて、やりきれなかったとしても、その過程にいなければ悔いを残してしまう。
そんな気がした。
そしてその日、また柔術に生きたいと思った。
いつ訪れるかわからない死を前に、後悔を残さないように。
全てはそれだけのために。
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おじいちゃんは大往生を遂げたと言えるだろう。
日本人男性の平均年齢81歳ほどの現代、それより10年以上も上回る92歳まで生きた。
おじいちゃんには、後悔はなかっただろうか。
それは本人にしかわからない。
ただその死に顔は、眠りについているようにとても安らかだった。
大切な人の死は、命の尊さを教えてくれる。
その度に生きることの意義を考えさせてくれる。
おじいちゃんの死は、また改めて僕に後悔を残さぬいけと、教えてくれているようだった。
好きなことを軸に生きている今、たぶん僕に今のところ後悔はないだろう。
やりたいことはまだある。
ただ志半ばにしていこうとも、毎日好きに生きている僕に悔いは残らないだろう。
それで幸せか?
と思われることは多分にあると思うが、自分の幸せを他人の物差しではかることはもうない。
少なくとも今好きなことができている自分は過去最高に幸せだからだ。
最後に、もし今迷いの中にいる人がこの記事を読んでいるのなら、改めて自分にとっての幸せは何かを考えるきっかけぐらいになったら嬉しい。
結婚するのがそうならそれでいい。
家族を作るのがそうならそれでいい。
お金を得ることがそうならそれでいい。
遊ぶのがそうならそれでいい。
ただ、本来の幸せがもしそうでないのなら、また改めて考えてみてもいいかもしれない。
反対に、今間違いなく自分の幸せを追求できていると思える人は、とりあえず今はもう迷わなくてもいいのではないだろうか。
例え先のことがまだ漠然としていても、どの道なるようになるだろう。
だから最後に、先日時を同じくして亡くなったアントニオ猪木さんのあの言葉を書き残しておきたい。
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道になり、その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ
これは誰に向けてでも言えることではないが、せめて好きなことが一つでもある人には、後悔のないような選択と、行動を起こしてみてほしいと思う。
そしてそんなこと言える立場ではない僕もまた、この機に改めて新しいスタートを切れたらと思っている。
そう、後悔のないように。
では。
あとがき
昭和の大スター、アントニオ猪木さんが逝去されたのは10月1日のことでした。
私自身、アントニオ猪木さんの熱狂的なファンではありませんが、猪木さんが格闘技界に多大なる影響を与えたことはもちろん知らないはずもなかったので、単なる著名人の死というニュースとしては聞き入れられない感情がありました。
そして亡くなられてまもなく、『アントニオ猪木「最期の言葉」』と題打たれた動画がYouTubeで公開されたのを観てみると、現役時代のあの強い猪木さんの姿とはかけ離れた姿がそこにありました。
痩せ細り、力なくベッドに横たわる姿。
その姿を見て想起されたのは、同じように痩せ細ってベッドの上で横たわる私の祖父の姿でした。
アントニオ猪木さんの姿から受けた印象は、最後に会った時の私の祖父から受けた印象と同じだったのです。
ただ、アントニオ猪木さんは79歳。
私の祖父は92歳。
その年の差を考えると、私の祖父はまだまだ若々しく元気であるなと、最初は思いました。
しかし逆を言えば、息を引き取る前の姿がその姿であった、ということ。
それに気づいたとき、とても嫌な予感がしました。
気づいてすぐに深々と考えることをやめましたが、その予感は的中し、その翌日祖父は息を引き取りました。
最後に祖父に会ったのは、お盆に帰省した一ヶ月半前のこと。
それが3年ぶりの再会でしたので、最後に元気な姿を見せられていて良かったなと、思っています。
アントニオ猪木さんの話に戻ると、猪木さんは前述の動画でこれからは環境問題に取り組んでいきたいと仰っていました。
捉えようによっては志半ばでの死、とも思えるかもしれませんが、猪木さんほどの人物になると、限度を作らず、生きている限り挑戦、問題解決に励んでいくのが当然という姿勢であったことでしょう。
(当然私の推し量れるところではありませんが、)既に多くの功績を残されていることもありますし、最期のその時まで意思を捨てず歩みを止めない、挑戦の過程での死こそがもしかしたら最も望んでいた死の形だったのかもしれません。
では、私の祖父はどうかと言えば、無私無欲。
自分に欲がない故に、人のために尽くすことを生き甲斐とした人でした。
なので、本文中で死に際し後悔があったかどうかはわからないとは書きましたが、93年近く生き、今ある物以上の何かを望んではいなかったでしょうから、おそらく後悔はなかったのではないかと私は思っています。
祖父は祖父らしく、最期を迎えました。
そして今述べたお二人の死の形は、ある意味私にとって理想のそれであると思っています。
本文中に挙げたように、目標に向けて歩んでいく真っ最中の死と、全てやり切って迎える安らかな死。
そんな死の形を、いつか迎えられたらなんて、私は思っています。
このように死の話をし出すと、
この人病んでるのかな?
自殺願望でもあるのかな?
とわりと多くの人が早合点してしまいがちですが、もちろん私にすぐ死にたいという願望はありませんのでご安心ください。
ただ私は、死をすぐ隣合ったものと捉えているだけです。
言い換えれば、何も遠くにあるものではない、明日にでも訪れるものかもしれない、そういうものだと捉えているということですね。
それは本文中で書いたような経験から得た発想だったりしますが、死を隣り合わせに考えて生きるという生き方はもちろん私のみが行き着いたなにか特別な生き方というわけでは決してありません。
実際、すでにこの世を去った偉人・著名人の中にもそんな生き方について言及し、後世に伝え遺した人物が何人かいます。
例えば、アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズ氏は、かの有名なスタンフォード大学の卒業祝賀スピーチの中で「死」についての話をしています。
その中で、
と話しており、その後に、
「自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。」
と述べています。
また、インド独立の父マハトマ・ガンディーは、
という有名な言葉を遺しています。
“人は自らの死を間近に捉えたとき、自分の本当の意思に気づく。”
それはなぜなら自分の人生の稀少価値を再認識できるからであり、時間が有限であることを再確認できるからです。
「時間はいつまでもあるわけではない。だから自分の意思に従って生きなさい。」
そう先人たちは後世に伝え遺してくれているわけですね。
(※ちなみにイギリス・ケント大学の心理学者が死を意識させる実験を学生を対象に行ったところ、モチベーションや自尊心が増したうえに、他人への思いやりや協調性も上昇し、さらにストレスレベルも減り、よりリラックスできるようになったという実験結果も出たそうです。)
それら先人たちの言葉を知ったのは、私が死を隣り合わせに捉えるようになった後の話ですが、実際「死」を意識したことで、その瞬間から私の取る行動は良くも悪くも大きく変わりました。
その成れの果てが今、と言うと急に説得力が落ちそうなので、この話はこれ以上掘り下げないでおこうと思います。
私もまだまだ道半ばにある身ですから。
さて、では長くなりましたので、そろそろ終わりにしたいと思います。
以前書いた記事にも書きましたが、このような文章を書いていると、「挑戦しろよ」とか、「行動を起こせよ」とか、意識高めのメッセージを投げかけたい人間かと思われるかもしれませんが、実際取る立場は真逆で、基本的には「まぁ無理せず無難に生きろよ」というところです。
なにせ普通が一番だと思っていますから。
ただ、後悔しそうな何かがある人はその限りではないでしょうから、
“どの道を選択すれば死ぬに際し悔いを残さないか?”
それをベースに考えてみてもよいかもしれません。
最期にやりきったと思っていきたい。
とりあえず、私はそう思っています。
(その実、死ぬ間際に後悔しないよう、保険をかけているだけなのです。)
余計なお世話かもしれませんが、少しでも参考になれば幸いです。
後悔のないように、今を生きましょう。
ではこれで終わりといたします。
ありがとうございました。
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