楢山吉隆@ブログ「柔術旅」運営中

柔術愛好家。無所属。野良柔術家。ブログ「柔術旅」運営者。21歳のときに地元福井でブラジ…

楢山吉隆@ブログ「柔術旅」運営中

柔術愛好家。無所属。野良柔術家。ブログ「柔術旅」運営者。21歳のときに地元福井でブラジリアン柔術を始める。その後国内外を転々としつつ各地のジムに所属し大会に出場。現在は大阪から日本各地に赴き大会出場及び出稽古を重ねる。柔術旅 ▶ https://jiujitsutabi.com/

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ならやまのプロフィール

最近、ありがたいことにブラジリアン柔術界隈の方々から知っていただく機会が増え、どんな経歴なのか尋ねられることがあります。 確かに人伝に伝えるにはあまりにややこしく、また、自分自身あまり過去のことは話してこなかったこともあって、実際誰から見てもよくわからない人になっていることでしょう。笑 なので今回の記事ではちょっとした自己紹介と、柔術との出会い、そして出会ってから今に至るまでのことを少し書いてみようと思います。 はじめまして では改めまして。 はじめまして、楢山と申し

    • 別れの流儀

      ※この記事は、4年ほど前に運営していた趣味ブログの中から抜粋し、一部修正して転載したものです。 社会人になってすぐ、父から手紙が送られて来た。 手紙には色々書いてあったが、その中には 「社会人になれば人との別れを大切にしなさい」 と書いてあった。 当初あまり意味が分からなかったが、その言葉を心に留めて生活した。 −−−そして3年後、最初の別れの節目が訪れた。 警察官を退職するとき、父からの言葉を思い出し、部署問わず全ての職員に挨拶をして回った。 その他お世話に

      • 28歳病

        僕は今28歳だ。 4ヶ月前の10月に誕生日を迎えた。 29歳まであと8ヶ月。 30歳まであと1年8ヶ月だ。 28歳とは28歳。 まぁまぁよい歳である。 若い、と言っても20前半ほどエネルギッシュな感じはなく、逆に若くない、と言っても30を超えた人ほどの落ち着きがあるかと言えばそうでもない。(もちろん人によるが。) 特別若くもなく、特別若くなくもない。 要は過渡期にある歳なのだ。 28歳の心境じゃあ28歳なんて、特段取り立てて記事にするような歳でもないじゃない

        • 行動力について考えてみた話

          「◯◯さんって行動力ありますよね。東京出てきたり、海外行ったりで。」 シェアハウス住まいの僕の、ルームメイトである大学生くんがそう言った。 ちなみに「◯◯さん」とは僕のことを指しているわけではない。 数ヶ月前ノマドニアとかいうWeb系スクールに入学を決め海外に飛び立った他のハウスメイトを指してのことだ。 そしてそんな彼からしたら、思い立って東京に出てきたり、海外行ったりしていた僕も、同じく行動力がある方に見えているらしい。 しかし自分ではあまりそうは思えないのだ。

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        • 楢山雑考
          6本
        • ブラジリアン柔術
          5本
        • 柔術旅のしおり
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        記事

          仕方なかったんだと思いたいという話

          生きる上で目標としていることがある。 それは後悔をなるべくしないように生きるということだ。 死ぬときがいつか来るのならそのときになるべく後悔をしたくない。 そう思っている。 だから僕は思い立ったことはわりとすぐにやってしまう。 すぐではなくても、時期を見ながら結局はやる。 今までの生活を一変させるようなことも、わりと簡単にやってしまう。 それは他人が見たら、あの人は気分屋なんだろうねと思うだろう。 それは否定しない。たぶんそんなものだろうから。 そしてそんな

          仕方なかったんだと思いたいという話

          “柔術旅”の今後

          前回の記事ではブログ『柔術旅』の現在の主な発信内容や活動状況、今後の課題についてまとめました。 今回は今後の方針、どのように変えていくのかを今書ける範囲で書いていきたいと思います。 前回の記事はこちら↓ 4つのメインカテゴリー前回の記事では、現在柔術旅で発信している3カテゴリーの内容についてざっくりまとめました。 今後は本来予定していた4カテゴリーの記事を中心に公開し、運営していこうと思っていますので、それぞれ今後の方針なども含めて一旦まとめます。 旅日記 「旅日

          “柔術旅”の現在

          今までの記事では着想から今に至るまでのことを書いてきました。 今回が現在の運営状況をざっくりとだけまとめてみたいと思います。 前回の記事はこちら↓ 3つのメインカテゴリーまず、柔術旅で発信している内容は現在大きく分けて下記3カテゴリーに分かれます。 それぞれどんな内容で発信しているのか、改めてさらっとまとめておきますね。 1.旅日記 旅日記は旅の記録をまとめた記事です。 日記とある通り旅の中の一つ一つの活動に焦点を当てて書く記事ではなく、一連の旅全体に焦点を当て

          “柔術旅”のこれまで② 【公開前後編】

          製作を終えていよいよ公開。 今回はブログ「柔術旅」の公開前から公開後、今の形になるまでのことを書いていきます。 例の如く長くなってしまったので、前回同様最後の方だけ読んでもらえたら良いかなと思ったりしています。 では、目次の気になるところからご覧ください。 前回の記事はこちら↓ 公開前の取り組み1.公開の見通しを立てる 製作活動がある程度終わったのは5月終わり頃。 上のツイートにあるようにKIT6での負けをきっかけに今年は全国的に大会に出ようと思っていたので、全

          “柔術旅”のこれまで② 【公開前後編】

          “柔術旅”のこれまで① 【製作過程編】

          ある日ブログ柔術旅の製作を決め、さっそく取り掛かることになりました。今回は公開までの製作過程を書いていきたいと思います。 けっこう長くなってしまったので、なんなら全部飛ばしてもらって最後の振り返りのところだけ読んでもらえたら良いかなと思ったりしています。 では、目次の気になるところからご覧ください。 前回の記事はこちら↓ ①ロゴ製作よし、ブログ立ち上げよう、と思いまず取り掛かったのがロゴの製作。 “柔術旅”というワードが思いつくのとほぼ同時に、もし柔術旅をタイトルに

          “柔術旅”のこれまで① 【製作過程編】

          “柔術旅”のはじまり

          ブログ、「柔術旅」を始めてから早4ヶ月が経ちました。 4ヶ月、ってまぁ別にキリがいい数字でもなんでもないんですが、昨日の記事でもお知らせした通り僕は大阪に帰ることになったので、その前にこれまでのことをまとめておきたいなと思いこの記事を書いています。 前回の記事の最後の方にも書いた通り、これからは今年みたいにバンバン大会に出るようなこともなく、どちらかと言えば裏方的な役割で立ち回ることが増えそうな予感がしています。 もちろんそれは誰かのお手伝い的なところでもそうですし、自

          楢山、大阪帰るってよ

          突然ですが来月中頃、大阪に帰ることにしました。 理由は簡単に言うと、家族の生活を支えるためです。 僕が東京に来た理由大阪にいた頃のこと そもそも二年前に僕が大阪を出たのは、より柔術に熱中できる環境を求めてのことでした。 ちょうど三年前の10月15日、ニュージーランドから帰国した直後の僕は一年以上まともにやっていなかった柔術を再開することを決めトライフォース大阪に入会しました。25歳の誕生日を機に、今度は本気で取り組もうと決めたからです。 当時は難治性の皮膚の病気を患

          “ノリ”で作ったTシャツを売った軌跡とその結果を振り返ってみた。 〜ノリの連鎖が生んだ奇跡〜

          事の発端は、僕が投稿した一つのポストだった。 “NFDR” 〜Tシャツ販売の軌跡〜 ---9月6日午後0時00分、北日本柔術選手権から帰宅した僕は、試合を振り返りこう思った。 「俺にはチョークが足りないッ」 その理由は、試合でバックを取っても毎回極めきれないからである。(紫ライトフェザーで全日本選手権に出る人は見なかったことにしてください。) チョークを極めたいッ チョークを極めたいッ チョークを極めたいッ 足はもういいッ 強烈なチョークへの執着が僕に宿った

          “ノリ”で作ったTシャツを売った軌跡とその結果を振り返ってみた。 〜ノリの連鎖が生んだ奇跡〜

          この春高校を卒業した妹に「高校生活に点数をつけるなら何点か」聞いてみた。

          YouTubeで動画を視ていた時、こんなCMが流れてきました。 あなたの高校生活に点数をつけるなら、何点ですか? この問いかけに対し、今年高校を卒業する高校生たちが理由を述べ回答するというもの。 なんか、ええCMやなぁと思いながら見ていたんですが、そういえばと思い出しました。 うちの妹もちょうど高校卒業したところやん、と。 ってことで、同じように聞いてみました。 あなたの高校生活に点数をつけるなら、何点ですか?→ 妹の回答:−35点 妹(以下、コダックと称す)の

          この春高校を卒業した妹に「高校生活に点数をつけるなら何点か」聞いてみた。

          圧倒的な“成功体験不足”を解消するために

          前回、KIT6を振り返る記事を書きました。 前回の記事では、試合前から試合後までの心持ちを主に書きました。 簡単にまとめると、不甲斐ない負けを経験したことで、一からやり直す気になった、これからまた改めて経験を積んでいきたい。 みたいな内容です。 そして今回はそれも踏まえ、試合中に気づいたことがあったので、一応忘れないよう書き残しておこうと思います。 KIT6、試合中の“ある”違和感 ポジションに固執せず動いていく計画 前回の記事でも書きましたが、この試合での目標

          圧倒的な“成功体験不足”を解消するために

          一週間経って冷静になってきたのでKIT6を振り返ってみた。

          KIT6から一週間。 試合後は自分を不甲斐なく思う気持ちでいっぱいで、しばらくの間その心内をうまく言葉にできる気がしませんでした。 しかし一週間が経ってなんとなく頭の整理がついてきたので、今さらな気もしますがここでさらっと振り返りたいと思います。 KIT6を振り返って1.出場に至る経緯 まず出場に至る経緯ですが、KIT6開催が決定し、総代表である早川先生にトライフォースからも誰か出せる選手はいないかという打診がありました。 そこで推薦を受けたのがトライフォース池袋に

          一週間経って冷静になってきたのでKIT6を振り返ってみた。

          終わりを見つめて

          2022年10月2日、おじいちゃんが息を引き取った。 93歳の誕生日を5日後にひかえたその日だった。 先々月にコロナを患っており、その合併症だった。 −−あれは横浜武道館で開催された、ヒカルド・デラヒーバ杯の後。 横浜武道館近くの関内駅から帰路につき横浜駅で乗り換え、そこから一本で最寄り駅の要町駅を目指す電車の中、妹からLINEがあった。 その日、妹は誕生日だった。 ちょうどその朝、誕生日おめでとうと送って少し連絡を取り合ったばかりだったので、その会話の流れでの返