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不自由思考
固定観念にしばられている人はことごとく不自由であると思う。
これはいけない、こうあるべき、こうしなければいけない。
まるで鎖を一本ずつ足すように、不必要なルールを次々と作り出し、そのできた鎖で自分の脳をがんじがらめにしている。
例え周りが許容していようがお構いなし。
自らが作った鎖で自分自身や他人の行動をしばりつけ、その自由を奪うのである。
そしてその不自由さ故、考えることができない。
自らの行動原理は全て自らが持つ制限だらけのルールブックに基づくため、簡単に思考停止状態に陥るもろさがある。
ルールブックにないイレギュラーが起こると、簡単にパニックに陥り、時には困惑し、時には怒り、時にはわめき出す。
自分と違う考えを持った人を受け入れることができないし、時には敵意を剥き出しにして襲いかかる。
つまり、固定観念に縛られた人間は常に緊張状態にあり、過度のストレスを自分にかけ続けているのだ。
だからこそ距離を取るべきである。
触れたら破裂するくらいにパンパンに張り詰めた、毒ガス入りの風船みたいなものなのだから。
近づいて良いことなど何一つない。
誰しもが許せないこと、許すべきではないことがある。
わかりやすいものでは犯罪行為がそれにあたる。
法律というルールを無視した行為は放っておくべきではない。
しかし固定観念に縛られた人間は独自のルールを他人より多く持つため、誰かが許していることを許せない。
そのルールがなければ、不必要に他者を嫌いにならなくても良いし、その嫌いな他者と関わるストレスを感じなくても良い。
自らの行動を制限しなくても良いし、緊張状態を常に維持する必要もなくなる。
その方がずっと楽に生きられることは間違いない。
しかしそれを本人に言ったとて、通じることはない。
なぜならそこまで考えが至らないからだ。
何を言っているか理解ができないだろう。
自分が作ったルールで自らの思考を制限しているため、そのルールブックの外にあるこの一連の言葉は通じない。
つまり救いようのない存在であり、やはり関わってよい存在ではないのだ。
不自由な思考者たちは、自らの意思で自らに課したその呪縛を解くことでしか、もう自由は得られないのである。
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