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うつと共に

私は24歳の時にうつ病と診断を受けた。

その約半年前、(元)夫とは長い話し合いの末に離婚に至っていた。
息子はまだ1歳だった。

息子が産まれる前、病院で看護の仕事をしていたため、息子を連れて地元に戻ってからも資格を活かして再び看護の仕事を始めた。夜勤のない福祉施設での看護業務だった。

それまでとはガラッと環境が変わり、最初はすごく戸惑った。大変さはあったものの楽しくもあり、生活が少しずつ軌道に乗ってきたように思えた頃だった。

祖母が突然亡くなった。80代と高齢で昔から心疾患もあった為、何となく覚悟はしていたものの受け入れられなかった。

私の両親も離婚していて父に引き取られたけれど、小さい頃は(母方の)祖母が親代わりとなって育ててくれた。

私は心の拠り所と安らぐ居場所を失ってしまった。心にぽっかり穴が空いたようだった。ふと気がついたらボロボロと泣いている、そんな日が続いた。
それでも仕事に育児に追われ自分を見失いそうになりながらも何とか奮い立たせ毎日を送った。

少しして仕事の量が増えた。
「若い内は仕事を断ってはいけない」入職してすぐにそう言われていた。
何事も経験、若い内の苦労は買ってでもしろ、そういう事なんだろう。

職員の中で一番若く、「若いんだから」と無茶振りもよくあった。あれもこれもと増えていったけど、当然断わる選択肢はない(と思い込んでいた)。
あっという間にキャパオーバーとなってしまった。
信頼と期待、必要とされている事が嬉しくてそれに応えたい自分もいた。
だけどやっと立っているような私にはあまりに荷が重かったんだと思う。

今だから言える事だけど、一人で抱え込まずに相談できていたら良かったのかもしれない。色んなものを背負い過ぎて潰れてしまった。

人の心の黒い部分を見たり聞いたりするうちに心がえぐられ人間不信にもなっていた。

胃痛や吐き気、喉が詰まるような感じがしてだんだんと食事が喉を通らなくなって、息切れや動悸、めまい、頭痛、ひどい倦怠感がするようになり、すぐに仕事も育児もままならなくなっていった。

これはマズイな…と感じてはいた。

うつ病はただ気分が沈むだけじゃない。体の不調を来たすようになり、頑張りたいのに頑張れないガス欠みたいな状態になってしまう。

ゴミ袋が栄養ドリンクの空きビンだらけになった頃、ようやく(あ、これもう…)と悟った。ずっと張りつめてた糸がとうとうプツンと切れた気がした。

それでももっともっと頑張ろうとした。良い母親、良い看護師になりたくて、頑張るための元気を取り戻したかった。出来ていた事すら出来なくなっていくのが悔しかった。だから頑張りたくて精神科を受診した。休むことを勧められたけど、それでも頑張ろうとして次第にもっと頑張れなくなっていった。


私がうつ病になった要因は、
・仕事
・離婚(元夫による精神的な暴力・女性関係・私の親との不仲、子育てや結婚後の価値観のズレ、などから埋まらない溝ができたこと)
・人間不信
・親代わりで育ててくれた祖母の突然の死
・育児での悩みや不安
・金銭的にも生活が行き詰まっていったこと
・義務感(こうあるべき、しないといけない)による強い自責
・母親として、看護師として、女性として、人としての理想と現実の差
・私自身の幼少期からの親との関係
・自尊心の低さ
・消せない記憶
・小さい頃から抱えていた「私が生まれてなかったら周りが幸せだったかも」という思い

沢山の事が絡まりあっていた。
今は、その絡まりあったひとつひとつを解いている作業の途中で、それぞれについてまたいずれ書いていきたい。


無理をすると余計に絡まってしまうから、ゆっくり丁寧に、時間をかけてでも解いて自分で自分を救っていこうと思う。

病気になる前の自分に戻すのではなくて人生をバージョンアップするイメージで、より良くなるように工夫しながら生きやすくしていく。

うつと闘うのではなく共に生きてみる。


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