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特定の意見などの強要は、ある意味人格否定なのにも関わらず、その意見などが間違っていたと判明しても、素知らぬふりや言い訳されたら、頭にきて当然ですよね。
世の中には「自分は声なき声の代弁者である!」というスタンスを前面に押し出して意見を述べる人がいます。しかしそれは、自分の意見を正当化するために用いられる手段でしかないという場合がほとんどです。よくある野党の政府批判で持ち出される『国民』もそうですよね。「その国民て誰だよ」っいう話ですが、まあ確かにそういう括りで捉えれば、その意見表明者もそうですし、中には同じ意見の人たちもいるわけですから、あながち間違いとは言い切れません。 いわゆるサイレントマジョリティーというものは、
誰かが誰かを擁護しているときというのは、お互いの意見が一致しているという事情があるからで、信用できる、事実である云々といった話ではないですよね。
自己愛性パーソナリティ障害の人は平気で噓をつく、ということが広く認識されてきたようで、そのような傾向を持つ人たちの発言力が、日に日に弱くなってきているのを実感するようになった今日この頃です。 新型コロナ関連の分析でも、もはや違うとわかってしまったことを、自分の見立てが間違っていたということを認めず、いつまでも主張し続けていたら、それも立派なウソですよね。 今回の話にも出てきましたが、スウェーデンも、ちゃんと新型コロナ対策をしていたのにも関わらず、自分たちの都合のいい「
自然に対して「こうあるべき」なんて思うのはおかしいと感じるのに、人に対しては感じないということは、相手をコントロールできる対象だと思っているからですよね。
これも何度も言っていますが、法則とか理とか本当に絶対・普遍的な性質のものは「かくあるべき」的な方向性を示したりはしません。だから、この世界では、それらに反しない限りにおいて、どんなこともできるということです。人間の行為というものも、実際に実行できるからには、それは法則や理などには反していないといういうことです。引いては、どんな生き方であっても、実際にやってこれた、やっていける以上、それも法則や理などに反していないということです。 人の特定の行為や生き方などに批判的な感情
その人の考えが、その人の想いなどに基づいている以上、それを汲み取る形ではなく、否定する形で考えを変えさせようとしたら、反発されて当然ですよね。
正直な感想として、世の中の提言・批判の数々は、自分の考え・願望・都合通りにしたいがために、違う立場の人たちを何とか黙らせようとするものばかりだと思います。そのために『普遍的価値』とか『正しさ』などといった言葉が持ち出されるわけですが、それらすべてに例外なく「自分にとっての」という限定が付いていることを忘れてはいけないと思います。「誰にとっても」ではないことを、無理矢理推し進めようとしたら、反発されるのは当然のことですよね。 ですが、そういうものを掲げる人たちほど、自分の
何か問題が発生すると、色々なところから色々な意見が噴出するのは、どうしたらいいかということに対する見解が、人によって異なるからですよね。
新型コロナが流行して以降、このような新型コロナ関連の短い話の投稿が何話かあります。ということで、このコメントもエンターテイメント重視の短めのものでご容赦ください。 昨日の専門家の人たちの見立てのほうが当たっていた、というコメントに反応したのかどうかはわかりませんが、専門家は判断材料など色々なものを持っているのに対して、自分は持ってないからモデルなどを作れない、といった内容の言い訳がなされたようですが、だったら今まで、あなたは何を基準にして専門家の人たちを非難してきたんで