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自然に対して「こうあるべき」なんて思うのはおかしいと感じるのに、人に対しては感じないということは、相手をコントロールできる対象だと思っているからですよね。

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これも何度も言っていますが、法則とか理とか本当に絶対・普遍的な性質のものは「かくあるべき」的な方向性を示したりはしません。だから、この世界では、それらに反しない限りにおいて、どんなこともできるということです。人間の行為というものも、実際に実行できるからには、それは法則や理などには反していないといういうことです。引いては、どんな生き方であっても、実際にやってこれた、やっていける以上、それも法則や理などに反していないということです。

人の特定の行為や生き方などに批判的な感情を抱くのは、それこそ自分の特定の特殊な価値基準に基づいて価値判断がなされているからであり、そこに普遍性はないということです。つまるところ、数多の行為・あり方の中から特定のものをピックアップして「こうあるべき」と主張するという行為も、その人の特殊な価値基準を基に行われている行為なので、そこには普遍性はないということです。

どんな行為でも例外なく肯定されている以上、人から言われたことに、大人しく従う義務なんてありませんよね。そもそも「義務」というものも約束事の範疇です。つまり、人に何かをしてもらうには同意・合意というものが必要不可欠だということだと思います。ハッキリ言って、それしか方法はないと私は断言したいと思います。そう考えると、自分の特殊な価値観などに基づいた考えを、あたかも普遍性があるかのように偽って「こうすべき!」と言い張って、他人をそれに無理矢理従わせようとするなんて、愚かとしか言いようがないと思います。そんな法則・理を無視した行為が実現するわけありませんよねぇ……。

「One More Chance」カレン(CV.小清水 亜美)


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