見出し画像

誰かが誰かを擁護しているときというのは、お互いの意見が一致しているという事情があるからで、信用できる、事実である云々といった話ではないですよね。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

画像9

自己愛性パーソナリティ障害の人は平気で噓をつく、ということが広く認識されてきたようで、そのような傾向を持つ人たちの発言力が、日に日に弱くなってきているのを実感するようになった今日この頃です。

新型コロナ関連の分析でも、もはや違うとわかってしまったことを、自分の見立てが間違っていたということを認めず、いつまでも主張し続けていたら、それも立派なウソですよね。

今回の話にも出てきましたが、スウェーデンも、ちゃんと新型コロナ対策をしていたのにも関わらず、自分たちの都合のいい「海外では」の例に仕立て上げるために「ノーガドだ!」とか言い張ったりとか。それでスウェーデン在住の方から「ノーガードじゃない!」って怒られてましたよね。しかし、ウソと認めてしまえば、自他ともに認める「ウソつき」になってしまいますから、評判ガタ落ち間違いなしです。そんなことは、自分の体面を何よりも気にする自己愛性パーソナリティ障害の人には到底受け入れられることではありません。それで今に至っても「ノーガードだ!」と言い張っているわけですが、この大風呂敷、どうやって畳むつもりなのか、他人事ながら気が気ではありません。

ウソで自分を飾り立てても、結局ウソはバレるものですから、後になって逆に評判を落とすことは避けられません。それを考えたら、自分の虚栄心のために、一時的なウソつくことには何のメリットもないように思うのですが……。その手の判断ができないのも、脳の部位の未成熟と関係があったりするのでしょうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?