見出し画像

約束事が重要視される社会なら、矛盾した言動をする人が話を聞いてもらえないのは当然のことですよね。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

矛盾した言動をとる人たちがよくするのが、自分のことを棚に上げるという行為です。他人に対してあーだこーだ非難している本人が、その行為をやっていたり、人にああしろこうしろ言ってるのに、自分はできていなかったり。

自分自身が実行できていないことを他人に強要しても、聞き入れてもらえるわけありませんよね。それは、その手の要請される行為というものが、自分の自由を制限する、大なり小なり我慢・自制が必要な行為であるのにも関わらず、その主張者自身が率先してそのことに服していなかったら、当然「やってられるか!」という感情が生まれるからでしょう。

良くも悪くも共感能力の高い人たちというのは「他の人たちがやっているから自分も」という思考になる傾向が高いと思います。そういう人たちが多い社会で、特定の行為を伝播させたいと思うなら、とにもかくにも実行性が大事ということではないでしょうか? それなのに口先だけで、自分では実際の行動をしていなかったとしたら、言うことを聞いてもらえないのは当然のことですよね。先に述べたような、我慢・自制などが必要になる行為は特に。逆に反対側のベクトルの開放的・放縦的な行動は、簡単にバーッ! と、拡散してしまう傾向があるみたいですねぇ……。

もしかしたら、倫理や道徳などといったものには、『共感』という要因も含まれているのかもしれませんね。だとしたら、人を自殺に追い込んだ人たちが、いくらそれっぽいことを語ったとしても「お前が言うな!」と、そっぽを向かれるのは仕方のないことなのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?