中国政治評論2

時事通信社解説委員 西村哲也◇中国の鄧小平時代から習近平時代にかけて、特派員として北京…

中国政治評論2

時事通信社解説委員 西村哲也◇中国の鄧小平時代から習近平時代にかけて、特派員として北京・香港に合わせて13年駐在。◇中国政治評論1⇒https://note.com/xczy00

記事一覧

「反日」よりも「反中」─本土との摩擦増える香港(2013年2月)

 かつて英国の植民地だった香港は昨年7月、中国への返還から15年となり、3人目の行政長官(梁振英氏)が就任した。返還後に一国二制度の下で「高度な自治」を認められ…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=70年代も頭痛の種だった北朝鮮-トウ小平来日(4)(2005年10月)

 1978年10月に来日した中国のトウ小平副首相と福田赳夫首相の第2回会談では、主に朝鮮半島情勢について意見交換が行われた。トウ小平は「朝鮮問題の処理方法は難し…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=ソ連の核兵器使用を“予言”-トウ小平来日(3)(2005年9月)

 「ソ連は核兵器をいつか使う気になる」-。1978年10月に来日した中国のトウ小平副首相は福田赳夫首相との会談で、ソ連に対する警戒感をあらわにした。日中関係以外…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日米安保・自衛隊容認を“釈明”-トウ小平来日(2)(2005年8月)

 1970年代は日中の蜜月時代だったが、日本の安全保障政策に対する態度を大転換した中国に対し、日本の革新勢力などには不満や困惑もあった。このため、78年10月に…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=戦後日本の「軍縮」を絶賛-トウ小平来日(1)(2005年8月)

 1978年10月、中国のトウ小平副首相(共産党副主席)が日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため、日本を公式訪問した。トウは党や政府の最高ポストには就いて…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=コスイギンが“詰問”─大平外相訪ソ(2)(2002年12月)

 1972年9月の日中国交正常化について説明するため訪ソした大平正芳外相は、ソ連に対して日中が「結託」することのないようグロムイコ外相からクギを刺された翌日の1…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=グロムイコ、日中「結託」に警告─大平外相訪ソ(1)(2002年10月)

 1972年9月29日の日中国交正常化について説明するため、日本政府は関係各国へ特使を派遣した。ここでは、日中国交交渉で陰の主役となったソ連の反応を紹介する。当…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化成る─田中訪中(9)(2002年9月)

 1972年9月27日夜から28日未明にかけての日中外相会談で、共同声明の内容をめぐる交渉が事実上妥結したことを受け、田中角栄首相と周恩来首相は同日午後、田中訪…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化交渉、ついに妥結-田中訪中(8)(2002年9月7日)

 田中角栄首相訪中3日目の1972年9月27日夜、田中と毛沢東共産党主席の会談に同席した大平正芳外相は同会談終了直後の午後10時10分から、第3回外相会談に臨ん…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「政治」論じていた田中・毛沢東会談-田中訪中(7)(2002年8月)

 1972年9月27日午後8時半から、北京訪問中の田中角栄首相と毛沢東中国共産党主席の会談が急きょ設定された。場所は故宮の西側に位置し、党・政府首脳の事務所や自…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=実態は“反ソ同盟”-田中訪中(6)

 1972年9月の日中国交正常化交渉は田中角栄首相が北京入りして3日目の27日午後、クライマックスを迎える。第3回首脳会談での田中、周恩来両首相の発言は「日中国…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「戦争終結」で修正案─田中訪中(5)(2002年8月)

 田中角栄首相訪中2日目の1972年9月26日午後は、田中と周恩来首相の第2回首脳会談に続いて、大平正芳、姫鵬飛の両外相が2回目の会談を行った。焦点はやはり、「…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=中国側、「日米安保」「自衛力」を容認─田中訪中(4)(2002年7月)

 田中角栄首相と周恩来中国首相の第2回首脳会談(1972年9月26日午後)では、周首相が冒頭で、中国側の戦争賠償放棄に関する高島益郎外務省条約局長の発言を厳しく…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「侮辱」に激怒した周恩来─田中訪中(3)(2002年7月)

 「これはわれわれに対する侮辱である」―。田中角栄首相訪中の2日目(1972年9月26日)午後に行われた2回目の首脳会談で、周恩来首相は怒りをあらわにした。外務…

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=幻だった「高島発言」─田中首相訪中(2)(2002年7月)

 田中角栄首相訪中2日目の1972年9月26日午前、田中、周恩来両首相の委託を受けた大平正芳、姫鵬飛両外相が、国交正常化の共同声明をめぐる1回目の交渉を行い、双…

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「台湾」と「米国」が焦点に―田中首相訪中(1)(2002年6月)

 今年9月で日中国交正常化から30年。先の瀋陽総領事館事件が日本政府を揺るがす大騒動になったことからも分かるように、対中関係は今も、日本外交にとって最大級のテー…

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「反日」よりも「反中」─本土との摩擦増える香港(2013年2月)

「反日」よりも「反中」─本土との摩擦増える香港(2013年2月)

 かつて英国の植民地だった香港は昨年7月、中国への返還から15年となり、3人目の行政長官(梁振英氏)が就任した。返還後に一国二制度の下で「高度な自治」を認められた香港は中国本土との経済交流や人的往来を拡大しながらも、中華圏で唯一の国際金融センター、もしくは多種多様なメディアが活動する情報発信基地として独特の地位を保っている。
 しかし、本土と香港の接触が増えれば増えるほど、香港側では本土に対する反

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=70年代も頭痛の種だった北朝鮮-トウ小平来日(4)(2005年10月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=70年代も頭痛の種だった北朝鮮-トウ小平来日(4)(2005年10月)

 1978年10月に来日した中国のトウ小平副首相と福田赳夫首相の第2回会談では、主に朝鮮半島情勢について意見交換が行われた。トウ小平は「朝鮮問題の処理方法は難しい」などと述べており、当時の中国指導部が現在と同様、プライドの高い北朝鮮への対応に苦慮していたことが分かる。

■「米軍が数百キロ退いても問題ない」
 
 70年代初めに中国が日米に急接近したことに狼狽した北朝鮮は、72年に南北共同声明を発

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=ソ連の核兵器使用を“予言”-トウ小平来日(3)(2005年9月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=ソ連の核兵器使用を“予言”-トウ小平来日(3)(2005年9月)

 「ソ連は核兵器をいつか使う気になる」-。1978年10月に来日した中国のトウ小平副首相は福田赳夫首相との会談で、ソ連に対する警戒感をあらわにした。日中関係以外では、この会談の主題はソ連の脅威だった。

■世界中が平和祈願、「ソ連は別」

 10月23日の会談で、トウ小平は戦後日本の「軍縮」を絶賛した上で、「二つの超大国は毎日毎日、『軍縮』や『緊張緩和』を唱えながら、他方、緊張を激化させ、軍備を拡

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日米安保・自衛隊容認を“釈明”-トウ小平来日(2)(2005年8月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日米安保・自衛隊容認を“釈明”-トウ小平来日(2)(2005年8月)

 1970年代は日中の蜜月時代だったが、日本の安全保障政策に対する態度を大転換した中国に対し、日本の革新勢力などには不満や困惑もあった。このため、78年10月に来日して福田赳夫首相と会談したトウ小平副首相は、この問題で中国の基本的な立場を詳述した。
 また、経済協力に関するこの時の話し合いは、後の円借款など日本から中国への大規模経済援助の布石となった。

■「戦争は避けられない」

「戦争は避けら

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=戦後日本の「軍縮」を絶賛-トウ小平来日(1)(2005年8月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=戦後日本の「軍縮」を絶賛-トウ小平来日(1)(2005年8月)

 1978年10月、中国のトウ小平副首相(共産党副主席)が日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため、日本を公式訪問した。トウは党や政府の最高ポストには就いていなかったが、事実上は華国鋒党主席(首相)をしのぐ実力者。中国の最高指導者が来日したのは史上初めてのことだった。72年に国交を正常化した日中関係は、貿易、航空、海運などの諸協定を結んだ上で、同条約を締結して基礎を固め、新たな段階に入った。

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=コスイギンが“詰問”─大平外相訪ソ(2)(2002年12月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=コスイギンが“詰問”─大平外相訪ソ(2)(2002年12月)

 1972年9月の日中国交正常化について説明するため訪ソした大平正芳外相は、ソ連に対して日中が「結託」することのないようグロムイコ外相からクギを刺された翌日の10月24日、クレムリンの首相接見室でコスイギン首相と会談した。コスイギンは、日中の指導者がソ連が抱えている領土問題も話し合ったのではないかなどと、グロムイコ以上の細かさで大平を“詰問”した。
 
■日中、ソ連西部国境も議論?
 
 70年代

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=グロムイコ、日中「結託」に警告─大平外相訪ソ(1)(2002年10月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=グロムイコ、日中「結託」に警告─大平外相訪ソ(1)(2002年10月)

 1972年9月29日の日中国交正常化について説明するため、日本政府は関係各国へ特使を派遣した。ここでは、日中国交交渉で陰の主役となったソ連の反応を紹介する。当時の報道では、ソ連が理解を示したとされているが、日本外務省が情報公開法に基づいて開示した外交文書によれば、ソ連の指導者は実際には、日中が対ソ戦略で「結託」することのないよう警告し、日本側に強烈な圧力を掛けていた。

■ブレジネフは会わず

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化成る─田中訪中(9)(2002年9月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化成る─田中訪中(9)(2002年9月)

 1972年9月27日夜から28日未明にかけての日中外相会談で、共同声明の内容をめぐる交渉が事実上妥結したことを受け、田中角栄首相と周恩来首相は同日午後、田中訪中で最後(4回目)の首脳会談を行った。日本外務省が情報公開法に基づいて開示した外交文書から、日本側がこの会談で読み上げた台湾問題処理に関する文書の全文が初めて明らかになった。
 
■台湾問題で詰めの協議

 「きょうは台湾問題を話し合いたい

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化交渉、ついに妥結-田中訪中(8)(2002年9月7日)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=日中国交正常化交渉、ついに妥結-田中訪中(8)(2002年9月7日)

 田中角栄首相訪中3日目の1972年9月27日夜、田中と毛沢東共産党主席の会談に同席した大平正芳外相は同会談終了直後の午後10時10分から、第3回外相会談に臨んだ。田中訪中時の政治レベルの会談で唯一の深夜折衝であり、日本側の会談記録には、冒頭に「(外相同士の)最終会談であり、最も重要なもの」と注記がある。

■焦点は戦争終結時期

 第3回外相会談では、姫鵬飛外相がまず、「本日(27日)午後の事務

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「政治」論じていた田中・毛沢東会談-田中訪中(7)(2002年8月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「政治」論じていた田中・毛沢東会談-田中訪中(7)(2002年8月)

 1972年9月27日午後8時半から、北京訪問中の田中角栄首相と毛沢東中国共産党主席の会談が急きょ設定された。場所は故宮の西側に位置し、党・政府首脳の事務所や自宅がある同市中心部の中南海。日中最高首脳の初顔合わせという歴史的会談である

■公式記録は「不存在」

 田中・毛会談は田中が中南海の毛主席邸を訪ねる形で行われ、日本側から大平正芳外相と二階堂進官房長官、中国側からは周恩来首相、姫鵬飛外相、

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=実態は“反ソ同盟”-田中訪中(6)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=実態は“反ソ同盟”-田中訪中(6)

 1972年9月の日中国交正常化交渉は田中角栄首相が北京入りして3日目の27日午後、クライマックスを迎える。第3回首脳会談での田中、周恩来両首相の発言は「日中国交正常化は第三国に対するものではない」という対外的な説明とは裏腹に、両国の接近が事実上の“反ソ同盟”だったことを明確に示している。

■「中ソ同盟条約、ないも同然」

 この日の首脳会談は一言で言えば、田中と周恩来がソ連の悪口を競い合ってい

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「戦争終結」で修正案─田中訪中(5)(2002年8月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「戦争終結」で修正案─田中訪中(5)(2002年8月)

 田中角栄首相訪中2日目の1972年9月26日午後は、田中と周恩来首相の第2回首脳会談に続いて、大平正芳、姫鵬飛の両外相が2回目の会談を行った。焦点はやはり、「日中戦争がいつ終わったのか」という問題である。

■原案を焼き直し

 大平はこの会談で、共同声明に記す戦争状態終結の表現について新たな案を提示した。
「第1案は『中華人民共和国は、中国と日本国との間の戦争状態の終了をここに宣言する』という

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=中国側、「日米安保」「自衛力」を容認─田中訪中(4)(2002年7月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=中国側、「日米安保」「自衛力」を容認─田中訪中(4)(2002年7月)

 田中角栄首相と周恩来中国首相の第2回首脳会談(1972年9月26日午後)では、周首相が冒頭で、中国側の戦争賠償放棄に関する高島益郎外務省条約局長の発言を厳しく批判して、日本側をたじろがせたが、会談の本題は日米安保体制だった。周首相はこの問題では打って代わって柔軟姿勢を示し、中国の対日政策が大転換したことを公式に表明した。

■「米を困らせない」

 周恩来はまず、中国の立場を次のように詳述した。

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「侮辱」に激怒した周恩来─田中訪中(3)(2002年7月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「侮辱」に激怒した周恩来─田中訪中(3)(2002年7月)

 「これはわれわれに対する侮辱である」―。田中角栄首相訪中の2日目(1972年9月26日)午後に行われた2回目の首脳会談で、周恩来首相は怒りをあらわにした。外務省条約局の高島益郎局長がこの日午前の外相会談で、戦争賠償問題に関する日本側の公式見解を説明したが、これが「侮辱」だと言うのだ。
 初日の宴会で中国側の不興を買った田中自身の「迷惑」発言と周恩来の高島批判で、日本側は交渉開始早々から守勢に立た

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=幻だった「高島発言」─田中首相訪中(2)(2002年7月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=幻だった「高島発言」─田中首相訪中(2)(2002年7月)

 田中角栄首相訪中2日目の1972年9月26日午前、田中、周恩来両首相の委託を受けた大平正芳、姫鵬飛両外相が、国交正常化の共同声明をめぐる1回目の交渉を行い、双方が共同声明案(後掲)を提示した。田中と周恩来は計4回会っているが、共同声明の文言など細かいことには、ほとんど触れておらず、具体的な折衝はもっぱら、両外相に任された。

■「硬骨の士」?

 この第1回外相会談で、いわゆる「高島発言」で有名

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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「台湾」と「米国」が焦点に―田中首相訪中(1)(2002年6月)

日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=「台湾」と「米国」が焦点に―田中首相訪中(1)(2002年6月)

 今年9月で日中国交正常化から30年。先の瀋陽総領事館事件が日本政府を揺るがす大騒動になったことからも分かるように、対中関係は今も、日本外交にとって最大級のテーマだ。ここでは、昨年4月に施行された情報公開法に基づいて、日本外務省が秘密指定を解除して開示した過去の主要会談記録によって、日中首脳外交の足跡をたどる。
 日本側で公開された一連の文書は、国交正常化交渉に関する、これまでの"定説"が必ずしも

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