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日中首脳外交~外務省の秘密指定解除文書を読む=中国側、「日米安保」「自衛力」を容認─田中訪中(4)(2002年7月)

 田中角栄首相と周恩来中国首相の第2回首脳会談(1972年9月26日午後)では、周首相が冒頭で、中国側の戦争賠償放棄に関する高島益郎外務省条約局長の発言を厳しく批判して、日本側をたじろがせたが、会談の本題は日米安保体制だった。周首相はこの問題では打って代わって柔軟姿勢を示し、中国の対日政策が大転換したことを公式に表明した。

■「米を困らせない」

 周恩来はまず、中国の立場を次のように詳述した。
「日米安保条約問題について言えば、わたしたちが台湾を武力で解放することはないと思う。(台湾防衛の方針を確認した)1969年の佐藤(栄作首相)・ニクソン(米大統領)共同声明は、あなた方には責任はない。米側も、この共同声明をもはや取り上げないと言った。佐藤が引退したので、われわれの側はこれを問題にするつもりはない。したがって、日米関係については、何ら問題はないと思う。われわれは日米安保条約に不満を持っている。しかし、同条約はそのまま続ければよい。国交正常化に際しては同条約に触れる必要はない。日米関係はそのまま続ければよい。われわれは米国を困らせるつもりはない」 「日中友好は排他的なものではない。国交正常化は第三国に向けたものではない。日米安保条約に触れぬことは結構である。米国を困らせるつもりはなく、日中国交正常化は米国に向けたものではない」
 周恩来は日米安保条約に「不満」を示しながらも、「米国を困らせるつもりはない」「日中国交正常化は米国に向けたものではない」などと述べ、米国への配慮を見せた。周は第1回首脳会談でも、同じ趣旨の発言をしており、少ししつこいという印象すら受ける。
 前年7月にキッシンジャー米大統領補佐官(国家安全保障担当)がひそかに訪中して以来、既に1年以上も米国とハイレベルの直接接触を持っていた中国は、田中の首相就任を機に日中が早期国交樹立に突き進んだことに、ニクソン政権が不安を抱いていることを知っていたとみられる。
 周恩来のこれらの発言は、中国が日米安保条約を事実上容認したことを示すと言える。
 一方、「台湾を武力で解放することはない」というのも、かなり思い切った発言だ。台湾問題については、第3回首脳会談(27日午後)の席上、ベトナム問題との絡みで詳しく論じられる。

■自民党分裂を危ぐ

 周恩来のこうした発言に対して、田中は日本国内、特に自民党の党内事情を持ち出した。
 田中「(戦争)賠償放棄についての発言を大変ありがたく拝聴した。これに感謝する。中国側の立場は恩讐を越えてという立場であることに感銘を覚えた。中国側の態度にはお礼を言うが、日本側には、国会とか与党の内部とかに問題がある。しかし、あらゆる問題を乗り越えて、国交正常化をするのであるから、日本国民の大多数の理解と支持が得られて、将来の日中関係にプラスとなるようにしたい。日本側の困難は中国と政体が違うこと、日本が社会主義でないことから来る。つまり、この相違から国交正常化に反対する議論も出る。しかし、国交正常化は政体の相違を乗り越えた問題であるから、この問題で自民党の分裂を避けたいと考えている」
 周恩来「田中総理が自民党内の国交正常化を急ぐなという意見を抑えて、一気呵成(かせい)にやりたいというその考えに全く賛成である」
 田中「自民党の中には、国交正常化には十分時間をかけろという意見が多い。それは、中国が大きな力で統一されたが、その中国に不安を持っているためである。他の社会主義国は別として、中国は日本に対し内政不干渉であるという考えが国交正常化の前提となっている。日本の国内で中国が革命精神の高揚をやることはない、日中間に互譲の精神と内政不干渉、相手の立場を尊重するという原則が確認されれば、自民党内も収まると思う」
 周恩来「その点は自信を持ってほしい」
 田中「日本の国内には、中国が大国であることに対する恐れがある」
 日本側に、社会主義の大国である中国に対する「不安」や「恐れ」があることを、田中は率直に説明した。内政干渉はしないとの保証を求める田中の発言からは、国交樹立直前の段階になっても、自民党内で“中国脅威論”が根強かったことが分かる。
 田中は「自民党の分裂を避けたい」とまで述べており、どうしても党内がまとまらず、反中国派の離党もしくは除名といった事態に至る可能性も想定していたと思われる。

■「最大の土産」

 田中の発言を受けて、周恩来はこう“釈明”した。
 周「日本は経済大国である。われわれは遅れている。中国は人口が多いが、潜在的な力を持っているに過ぎず、現実の力はない。将来、力が付き、大勢力となったとしても、超大国にはならない。国内に力を注ぐのに精一杯である。(内政干渉問題について)思想に国境線はない。思想は人民が選択する問題である。しかし、革命は輸出できない。経済力について言えば、中国は20世紀の末になっても、一人当たり国民所得で日本のレベルに到達できるかどうか全く分からない。中国の国民総生産(GNP)は昨年、1500億ドルだった。一人当たり国民所得はせいぜい200ドルである。日本は、昨年は一人当たりで国民所得はいくらですか。(田中の説明を聞き)それでは、今世紀の末になっても、到底日本のレベルに到達できないと思う。われわれは財政上、先端的な武器は持ち得ない。また、軍事大国には決してなりたくない。日本がどれだけの自衛力を持つかは日本自身の問題であり、中国側から内政干渉はしない」
 田中「日本は核兵器を保有しない。防衛力増強は国民総生産の1%以下に抑える。軍隊の海外派兵はしないという憲法は守るし、これを改変しない。侵略は絶対にしない。だから、日本に危険はない。国交正常化の結果、中国が日本に内政干渉しないこと、日本国内に革命勢力を培養しないことにつき、確信を持ちたいというのが、大平(正芳外相)とわたしの考えである。中国が革命を輸出しないということがわたしの最大の土産になる。自民党を国交正常化問題について全部賛成に回らせることが問題解決のカギである」
 田中が示した懸念に対し、周恩来は「革命は輸出できない」と言明。これを聞いた田中は「最大の土産」を得たと安堵している。
 また、周恩来は「日本がどれだけの自衛力を持つかは日本自身の問題であり、中国側から内政干渉はしない」と述べ、日本の「自衛力」増強を明確に容認した。
 中国の国力に関する周の説明は「へりくだり過ぎ」と思えるほど謙虚だ。このような姿勢は、「ポスト毛沢東」を担ったトウ小平には、ある程度引き継がれたが、対日米接近の動機となったソ連の脅威消滅や中国自身の高度経済成長という客観情勢の変化もあって、江沢民時代になると、ほとんど見られなくなった。

■林彪が反対?

 本題と直接の関係はないが、興味深いのは、周恩来が会談の最後に、日米への接近に林彪(71年9月に失脚、死去した共産党副主席兼国防相)が反対したと語ったことだ。
 田中が対中国交正常化で党内をまとめる決意を強調すると、周恩来は「われわれのところでも、日中国交正常化に少数の者が反対した。彼らは米中関係改善にも反対した。林彪がそうだった」と応じた。
 既に公開されている米政府の外交文書によれば、ニクソンが田中の7カ月前に訪中した際にも、毛沢東と周恩来は同じようなことを述べている。
 毛沢東「わが国にも、ある反動グループがあなた方(米国)との接触に反対した。その結果、彼らは飛行機に乗って国外へ逃げた」
 周恩来「多分、あなた方はご存じでしょう」
 毛沢東「世界の中で、米国の情報は比較的正確だ。その次は日本だ。ソ連は結局、(墜死した林彪らの)遺体を掘り出したが、(この事件について、対外的に)何も言っていない」
 周恩来「(林の乗った航空機が墜落したのは)外モンゴル(当時のモンゴル人民共和国)だった」
 もっとも、林彪事件には、いまだに謎が多く、彼が本当に毛沢東の外交政策に反対したのか、それとも、実際には反対しなかったが、失脚かつ死亡して“悪者”になったため、新たな罪をなすり付けられたのかは分からない。
 極左全盛だった文革中の中国で、急きょ日米との関係改善を図れば、抵抗や異論が出ていることは容易に予想できる。このため、「林彪派が反対勢力だったが、既に壊滅した」と強調して、日米の指導者を安心させようとしたとも考えられる。

(注)引用した文書は、日本外務省の「田中総理・周恩来総理会談記録(1972年9月25日~28日)-日中国交正常化交渉記録-」(交渉当時の記録を88年9月、外務省中国課が整理したもの。当時は「無期限極秘」扱い)。
 このほかに、ウィリアム・バー編「The Kissinger Transcripts」(99年、ニュー・プレス)。(2002年7月26日)

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